第15話 運命の子、誕生する

 ベルトランに移住して数か月後。


 アスセナはいよいよ出産の時を迎えた。


 臨月のある日、明け方に起こった破水は、夕暮れの頃に陣痛へとつながった。


「アスセナお嬢様! ソフィアがついていますからね!」


 ソフィアは怒涛の勢いで城下町へと走り、最近ますますたくましくなった肩に産婆を担いで戻ってきた。


 女たちが寝室にこもっている間、ラウルは落ち着かない様子で廊下を入ったり来たりしていた。


(リリアナ……アスセナを守ってくれ……!)


 天国の妻に祈りを捧げながら、ラウルは手に汗をにぎった。


 思い返せばアスセナが生まれた時も何も手につかなかった。


 前世からワーカホリックだったラウルだが、あの時ばかりは仕事など頭から吹き飛んだし、心配で心配で一睡もできなかった。


(アスセナ……どうか無事で……!)


 こんな時、男の自分は何もできない。


 当時の妻も今の娘も、命がけの大仕事に挑んでいるというのに、夫で父である自分は役に立てない。痛みの一片さえ引き受けてやることはできない。


(情けないな……)


 無力なばかりか、ぶるぶると武者震いさえ止まらなくて、ラウルは思わず自嘲を洩らした。


 こんなザマではオズヴァルトに笑われるだろうか──と思った瞬間、床が地震のようにガタガタと揺れた。


「……アスセナ……安産……無事……神……加護……!」


 オズヴァルトが手を祈りの形に組み、巨大な全身を激しく震わせていた。


 貧乏ゆすりというレベルではない強烈な振動に、廊下は波打つように揺れ動き、床板は今にも穴が空きそうだ。


「オズ! 動揺しすぎだ!」


 ラウルがぺしっとスキンヘッドを叩くと、オズヴァルトは「はっ!」と我に返った。


「おまえは歴戦の猛者、常勝無敗の軍事司令官コマンダンテ・ヘネラルではなかったのか!?」


「だってぇ! どんな戦に臨んだ時よりも緊張するんだもぉん!」


 内股になって訴えるオズヴァルトだが、そういえば彼にも息子がいたはずだ。


「オズ……息子が生まれた時はどうだった?」


「うむ。誕生の報告を受けたのが戦場でな。一刻も早く帰りたくて単騎で敵陣を突破した。全身に返り血を浴びたが風呂に入るのももどかしくて、血まみれのまま息子を抱こうとした瞬間、妻に蹴り飛ばされた」


 オズヴァルトが指さした先で、壁が大きくえぐれていた。妻に蹴られてめり込んだ跡らしい。


「そんなことだから妻子に捨てられるのだ!」


 ラウルはもう一度ぺしっとスキンヘッドを叩いた。


「……我らが焦ってもどうしようもないな、オズ」


「ああ。ここは心を落ち着けるため、雑談でもしよう」


 オズヴァルトは大きく深呼吸をして、首をひねった。


「ラウル。赤子の名前はオスカルとオズパルドとオズディオのどれがいいと思う?」


「自分の名を入れようとするな!」


 三度目に突っ込んだ後、ラウルはふと窓の外を仰いだ。


「……ん……?」


 アスセナの陣痛が始まってから数時間。とっくに夜中といっていい時刻になっているのに、窓の外がやたらとまぶしいのだ。


「これは……!」


 頭上に広がるのは暗闇をもくつがえすような、きわめて明るい空だった。


 大気の中に光の帯が散乱し、宵のとばりが薄明のベールをまとって輝いている。


「まるで白夜だ……」


 ラウルが前世で生きた世界には、白夜という自然現象があった。


 高緯度の地域にだけ起こる、太陽の沈まない不思議な夜。実際に目にしたことはないが、このような光景なのだろうか。


 地平線にとどまったままの太陽が、夜と昼との境目を消している。


 落ちることのない陽光に照らされて、空も海も大地もすべてが幻想的な琥珀アンバルの色に染まっていた。


「……沈まぬ太陽……」


 このアンバル王国はかつて、征服王フェルナンドという希代の英傑に導かれ、"太陽の沈まぬ王国"と称えられた。


 荘厳なほど美しい光景に圧倒されて、ラウルもオズヴァルトも呼吸を忘れる。


 金剛石のような日輪が、ひときわ大きくきらめいた刹那。


「……ァ……ホギャァァ……!」


 黎明の中に、産声が響いた。

 

 新しい一日をもたらすような、力強い泣き声だった。


「「生まれた……!!」」


 ラウルとオズヴァルトは手を取り合った。


「生まれたぞ! オズ!」


「生まれたな! ラウル!」


 オズヴァルトはもう泣いているし、ラウルも落涙しそうだったが、アスセナの無事を確かめるまではまだ安心できない。


 しばらく気を揉みながら二人でそわそわしていると、扉が開いてソフィアが出てきた。


「アスセナお嬢様はご無事ですよ。旦那様、オズヴァルト様」


 開口一番、最も聞きたかったことを言ってくれたソフィアのおかげで、ラウルはようやく安堵を覚えた。


 ソフィアのたくましい腕にちょこんと抱かれているのは、白いスワドルに包まれた赤ん坊。


「旦那様。元気な男の子です。」


(孫……私の孫か……)


 ラウルは背筋を正し、コホンと咳払いをし、しかつめらしい表情を作った。


──孫との初対面だ。祖父として威厳を保たなくては。


 そう決意しながら、初めて孫を抱く。


 生まれたばかりだというのに、赤子は目を閉じてはいなかった。ぱっちりと開いた瞳はつぶらで愛らしく、澄んだラピスラズリの色をしている。ラウルとアスセナと同じ色だ。


「きゃん……わいい……!!」


 祖父の威厳はもろくも崩れ去った。


(いかん。さすがにじじバカ過ぎたか……!)


 ラウルは変な声を出してしまった自分を反省した。


 娘の子で、自分の孫だからだろうか。ただただ可愛く見えて仕方ないが、さすがに身びいきが過ぎるかもしれない。


「はぁん……きゃわゆぅい……っ!」


 オズヴァルトも変な声を出していた。


(よかった。一人じゃなかった)


 ラウルは安堵して、もう一度孫を見つめた。


 まだ新生児なのにすでに整った顔立ちをしている。髪は薄くて色はわからないが、睫毛は長く、鼻筋はすっと通り、輪郭はきれいなラインを描いていた。


「もしかして、うちの娘は天使を産んでしまったのでは……?!」


「ああ、天使だ! 間違いない!」


 早くもじじバカ発言をくり出すラウルを、オズヴァルトが全力で肯定した。


 血のつながらないオズヴァルトの目にも天使に見えるのなら天使ということだ。


「わん! わぉん!」


「おお、カナル」


 孫フィーバーに包まれる二人の元に、カナルがじゃれついてきた。


「すまんな。まだ触れさせてはやれん」


 カナルはくーんと鳴きながらも、暴れたり騒いだりはしなかった。オズヴァルトに抱えられ、赤ん坊を見て嬉しそうにしっぽを振っている。


「よく無事に生まれてきてくれた──」


 孫を抱いたおっさんと、犬を抱いたおっさんは、二人して涙に暮れたのだった。

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