第5話 ソフィア、名は体を表す
ラウルが職務放棄してから一ヶ月。
アスセナは体調がすぐれず、ずっと自室で臥せって過ごしている。
婚約破棄のことは気にするなと改めて話し、アスセナも理解してくれた……はずなのだが、元気は戻らないままだ。
鍵をかけて閉じこもったりはしないものの、年頃の娘の部屋にずかずか入るのはためらわれて、ラウルは二の足を踏んでいる。
ラウルが廊下をうろうろしながら、そわそわ様子をうかがっていると、ソフィアが部屋から出てきた。アスセナ付きの専属メイドだ。
「ソフィア。アスセナの様子はどうだ?」
ラウルが尋ねると、ソフィアは悲しそうに首を振った。
「食欲がないとおっしゃって、ほとんど何もお召し上がりになりません……」
ソフィアの持つトレイには、数時間前に届けた食事がほぼ手付かずで残っている。
ただでさえ細身で
(なぜこんなに落ち込んでいるんだ……?)
もしや婚約破棄を宣言されたからだけではなく、他にも何かショックな事件があったのではないかとラウルは眉をひそめる。
(……嫌な予感がする……)
ラウルが苦い顔をした時、ソフィアは怒り心頭で叫んだ。
「あのアホ王子! アスセナお嬢様を苦しめるなんて許せません!」
「落ち着け、ソフィア。ホアン王子だ」
「アホ王子で合っています」
「そうだな」
一応訂正はしたものの、ラウルはすぐに認めた。
父であるラウルは当然のこと、メイドのソフィアもまたアスセナを傷つけたホアンに激怒している。
ソフィアは浮浪児だった。住む家もなく路上を
不遇な生い立ちのため、ずっとリリアナにしか心を開かなかったソフィアだが、リリアナが亡くなってからは崇拝の対象は娘のアスセナに移った。
ソフィアはアスセナの専属メイドだが、任命されたわけではない。アスセナ以外のために動く気が皆無なのだ。メイド側からの逆指名による専属なのである。
「アスセナお嬢様命」「お嬢様の幸せこそ私の幸せ」と公言するソフィア。
その忠誠心はありがたく、心強く思っている。しかし……。
「……ソフィア」
ラウルはコホンと咳払いした。
「はい? 何ですか旦那様?」
「その……メイドにその筋肉は必要なのか?」
ソフィアは誰もが認めるであろう美少女だ。顔は。
顔から下はというと……広い肩幅に、発達した腕筋、ムキムキに盛り上がった胸筋。
メイド服からはみ出すソフィアの屈強な肉体は、文官のラウルよりもはるかにたくましい。
鍛えられた筋肉と限りなく薄い脂肪は、前世で見たボディビルダーを
ソフィアは敬愛するアスセナを守るべく、日々過酷なトレーニングをこなし、筋肉を追い込んでいる。
その結果、どこに出しても恥ずかしくない立派な武闘派メイドに育ったのだ。
「何をおっしゃるのですか、旦那様」
ソフィアは太い腕で力こぶを作った。
「私の名は"
(知恵ってそんなマッスルな意味だったかな……?)
自分の語学力に自信がなくなる。
ラウルは困惑したが、ソフィアは亡きリリアナに付けてもらった名前を誇りに思っているらしい。
ソフィアが厚い胸を堂々と張った時。がなり声が聞こえてきた。
「レジェス宮中伯! いるのだろう!?」
王家が遣わしてきた使者だ。ここのところ毎日のようにラウルの
「いい加減にしろ! 今日こそは登城してもらうぞ!」
会いたくないし、出社する気もゼロだが、放っておけば謀反だとか反逆だとか騒がれて余計に面倒なことになる。ラウルは嫌々ながらも出迎えた。
「レジェス宮中伯! 今日という今日は出……誰!?」
使者の男は威勢よく怒鳴ったが、ラウルの横にいるソフィアを見た瞬間、目を剥いて後ずさる。
「うちのメイドで、ソフィアといいます。名は体を表しているでしょう?」
ラウルが紹介し、ソフィアはボキボキと指を鳴らした。
「ごきげんよう。私の大事なお嬢様を婚約破棄なさったアホ王子の犬さん……」
アホ王子ではなくホアン王子なのだが、怖くて指摘できない。
使者はソフィアから目をそらし、ラウルに向かって声を張り上げた。
「レジェス宮中伯! なぜ登城しない!?」
「なぜと言われましても……」
ラウルは深々とため息をついた。
「逆にお聞きしますが、退職したのになぜ登城しなくてはならないのですか?」
ラウルが宮中伯の激務をこなしてきたのは、自身の栄達がアスセナを守る壁になると信じていたためだ。
自分が昇進することで、愛する娘に強い後ろ盾を用意してやりたかった。
しかしその娘が理不尽に傷つけられたのだ。もはや王家のために働く気はない。
忙しくて金を使う暇もなかったおかげで、蓄えはたっぷりとある。隠居しても娘や使用人たちを充分に養っていけるはずだ。
「た、退職など! 貴様が一方的に宣言しただけだ! 陛下は認めていない!」
使者の男は言い切った。
国王デメトリオから何としてもレジェス宮中伯を連れ戻せと厳命されているのだ。退くわけにはいかない。
「今すぐ職務に戻れ! デメトリオ陛下のご命令だぞ!」
「ダメトリオ陛下が今さら私に何のご命令を……?」
(ダメって言った? 今、ダメって言ったよね?)
使者は耳を疑った。言い間違いか聞き間違いということにしたい。
「アホ王子のしつけ一つできないダメ国王に、服従を誓う気などありません」
(アホって言ってるしダメって言ってる!)
使者は地団駄を踏み、騒々しくわめいた。
「報告できない返答ばかりするなぁぁ!」
ラウルは涼しい顔で手を叩いた。
「ソフィア、お客様のお帰りだ」
「かしこまりました」
ソフィアは
美しい顔の下に
「ま、待て。まだ話は終わってな──」
「ええ、お話ししましょう」
ソフィアはにっこり笑って、血管の浮き出る拳をにぎりしめた。
「私は
(知恵ってそんなマッスルな意味だったかな……?)
自分の語学力に自信がなくなった彼は、そのまま速やかにつまみ出され、ソフィアの剛腕によって空を舞うお星さまとなったのだった。
◇◇◇
命からがら王宮へと戻った使者を待っていたのは、王子ホアンからの叱責だった。
「おめおめと追い返されてきたのか!? 役立たずが!」
ラウル・レジェスが欠けて以来、公務は滞り、宮廷は混乱の様相を呈している。
原因を作ったホアンの元には、各所から怒涛のような不満と批判と非難が押し寄せていた。
「たかだか娘を婚約破棄されたくらいで職務を全放棄するか? 王家よりも娘が大事だなんてラウル・レジェスはどうかしてる!」
冷徹で知られる宮中伯が、あんなに娘ファーストの男だなんて思わなかった。
荒れるホアンに八つ当たりされて、使者の男は愕然とかぶりを振った。
「恐れながら、ホアン殿下。殿下は甘く見すぎたのです……」
「何をだ!?」
首から上は美少女、下は筋肉隆々。カワイイとコワイが同居する、何かの悪夢のようなメイドを思い返して、使者の男はがくがくと震えた。
「アスセナ嬢がいかに周囲から愛されているかをです……!」
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