第3話 ラウル、職務放棄する

 ラウル・レジェスは宮中伯きゅうちゅうはくである。


 宮中伯とはその名の通り、宮廷内で君主の補佐を務め、政務を処理する役職だ。


 ラウルは数人いる宮中伯の中でも頭角を現し、近年は国王の秘書職セクレターリアまで兼任している。


 秘書職セクレターリアは国政の中枢に携わり、様々な改革を主導する要職。


 旧態依然とした古い慣習に惑わされず、これまでになかった柔軟な発想を次々と提唱していくラウルを、他の側近たちは口をそろえて称賛した。


「レジェス宮中伯は実に有能だ」


「十歳の頃には大人並みの知力を備えていたというぞ。まさに天才だ」


「誰も考え付かなかった斬新な提案。固定観念に囚われない広い視野。効率を重視した合理的な考え方……どれも周囲を先んじていて素晴らしい」


 十歳にして成人並みに賢かったと言われる秀才。実は中身は大人なのではないかと噂されたほど博識だった少年は、長じてからもその才を遺憾なく発揮し、様々な改革を主導している。


 そのラウルは今も、四十を過ぎているとは思えない端正な顔で、計上された予算案を厳しく精査していた。


(うーん……ここはもっとコストカットできるな……)


 数字を見ながら浮かぶのは、前世のビジネス用語。


(エビデンスのない迷信による無駄な支出はここ十年でかなり削減できたが……急激な改革を嫌がる声もある。しっかりとコンセンサスを取った上で進めないと後で面倒なことになるな。この件はアウトソーシングするのが最善か……)


 三つ子の魂百まで。社畜の魂転生後までである。


 前世の記憶と経験とスキルを、ラウルは現世でもちゃっかりと生かしていた。


 ブラック企業で鍛えられた体力。無駄を排除したシステム考案力。かつてクライアントを説得しまくった交渉術。


 現代のノウハウを駆使し、手腕を発揮した結果、ラウルは今やアンバル王国の国政に欠かせない重臣となっている。


 娘のアスセナがホアン王子の婚約者であることから、ラウルの栄達を妬んで「娘の逆七光りだ」「娘をさし出して王家に取り入ったのだ」と陰口を叩く者もいたが、実際にラウルと共に働けば、誰もがその実務力を認めざるを得なかった。


「ん? あれは……?」


 ラウルはふと顔を上げた。そのまま吸い寄せられるように一点を凝視する。


 静かに思索にふけるラウルを、他の側近たちは尊敬のまなざしで見つめた。


「レジェス宮中伯、何やら難しい顔をしているな」


「きっと難解な施策を考えておられるのだろう」


「さすが骨の髄まで仕事人間でいらっしゃるのだな」

 

 ラウルは彼らからは見えない位置で、ぐすんと鼻をすすった。


 花壇に百合の花が咲いていたのだ。可憐な花に亡き妻を思い出して、感傷に浸っていたところだった。

 

(リリたん……もう一度会いたい……)


 リリたんとはリリアナの愛称である。


 氷の参謀と称されるほど冷徹な宮中伯ラウル・レジェスが、二人きりの時だけは妻をリリたんと呼んでいたことを知る者は誰もいない。




「レジェス宮中伯! 大変です!」


 センチメンタルな気分を破るように騒々しく駆け込んできたのは、王家に仕える従者だった。


「ホアン王子殿下がアスセナ様との婚約破棄を宣言されました!」


「……!?」


 衝撃的な報告を受けて、ラウルは凍りついた。


 空気が急速に冷え込み、他の者たちはあわあわとうろたえる。ラウルは氷よりも冷たい目で従者の男に尋ねた。


「……アスセナはまだホアン殿下と共にいるのですか?」


 男は蒼白な顔を横に振った。


「い……いいえ。すでにレジェス家にお帰りになられたと……」


「では、私も帰らせていただきます。そして──」


 ラウルは即座にきびすを返した。


「婚約破棄が事実であれば、二度と登城しません」


 突然の出勤拒否宣言に、側近たちは泡を食って止めにかかった。


「レジェス宮中伯! 何を言っているのです?」


「この後は大事な閣僚会議があるというのに!」


 引き止めようと伸ばした手が、ラウルの肩をつかむことなく宙を掻く。


「それでは失礼します。一刻も早く娘に会いたいので」


 颯爽と王宮を後にしたラウルは、そのまま振り返ることなく自邸へと向かった。


(アスセナ……!)


 愛しい妻が残してくれた、可愛い一人娘。


 父子家庭で至らないことも多かったはずなのに、アスセナは本当にいい子に育ってくれた。


 自分はいずれ娘より先に死ぬ。だからアスセナの未来のためには、良い結婚相手を見つけることが一番だと考えていた。


 ホアンはアンバル王家の第一王位継承者。この国で最上の結婚相手だ。


 甘やかされて育ったホアンには不安もあったが、国王が必ずアスセナを大切に扱うと固く約束したのでしぶしぶ承諾したのだ。


(あの王子にアスセナを幸せにする甲斐性がないなら、私から破談を申し出てもいいと思っていた)


 だから婚約に未練はない。アスセナの価値もわからないぼんくら王子など、こちらから願い下げだ。


 だが突然に婚約破棄を突きつけられて、アスセナがどれほど傷ついたかと想像すると、胸が痛んで仕方なかった。


「リリたん……すまない……」

 

 ラウルは半泣きになりながら、天国の妻に謝った。


「必ずアスセナを幸せにすると、君に誓ったのに……!」




◇◇◇




 残された者たちは茫然と打ちひしがれた。


「……ホアン殿下……なんと浅はかなことを……!」


 ラウルが娘の逆七光りで出世したのではないように、アスセナも父の後ろ盾があって選ばれたわけではない。


 清楚で聡明なアスセナが、王子妃として申し分のない淑女だということは誰もが知っている。


「あんな非の打ちどころのない婚約者を捨てるなど、殿下はいったい何を考えているんだ!?」


 側近たちが王子への不満をぶつけ合った時。扉がコンコンと叩かれた。王宮の官吏が訪ねてきたのだ。


「レジェス宮中伯、おいでですか?」


「政策審議会の草案を作成したので、目を通していただけませんか?」


「建設を計画している公共施設の企画書です。どうか宮中伯のご意見を頂戴したく──」


 次々と現れては続々と書類を積み重ねていく官吏たちは、ラウルがすでに退城したと聞いて血相を変えた。


「はぁ? なぜです? 困ります!」


「困っているのは我らもだ!」


 ラウルが抜けては閣僚会議も回らないし、執務もみるみる滞っていく。


「……ホアン殿下は甘く見すぎたのだ……」


 阿鼻叫喚の中。側近たちはがっくりと肩を落とし、頭を抱えた。


「ラウル・レジェスの親バ……娘への愛をな……!」

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