経過録 二日目

 あ、夕方だ。カメラのライトを付けないとだね。こんばんは! ぼくチャリ。アルは今疲れて寝てるから今はぼくがカメラを回しているんだ。

 ぼくたちは今、"あっぷるちぃくたうん"っていうところに行く途中なんだ。今日はでこぼこ道をずいぶん走ったけど、まだ二百キロしか進んでないみたい。ホテルでぼくたちは今晩すごすんだ。ホテルのベッドはふかふかで、白い家とは大違いだ。

 白い家は、ぼくが暮らしていた場所なんだ。アルは"けんきゅうじょ"って言ってたね。ぼくには何をする場所なのかはよく分からなかったけど、楽しい所じゃないみたいなんだ。ぼくは毎日、"頭が良くなるしゅじゅつ"を受けていた。注射をガマンできれば、お薬が飲めれば、むずかしいテストをクリアすれば、ジェマー先生にごほうびのお菓子がもらえたんだ。しゅじゅつも注射もテストも嫌いだったけど、終わった後のジェマー先生の笑顔がぼくは好きだった。そんな先生の怖い顔を見たのは、あの時が初めてだ。ジェマー先生のあの顔を見ていると、ぼくは逃げたくてたまらなかった。

 そうだ、アルのことも紹介しないと。アルはぼくの友達なんだ。ぼく、昔のことはよく覚えていないけど、アルのことは知ってるよ。アルはすごいんだ。小さい時からぼくに解けないテストを簡単に解いちゃったんだ。最初は無口だったんだけど、だんだんぼくとも話すようになった。そのうち手で器用に物を掴んで、工作のテストもクリアしちゃったんだ。ぼくはアルと競争する時もあったけど、一度も勝ったことがない。ちょっと悔しいよ。


「ゴードン様。お掃除に入りますよ」


ホテルの人のくぐもった声が聞こえてくる。この時間に掃除しに来るなんて、仕事熱心な人だなぁ。ぼくはドアを開けに行く。


「チャリ! 伏せろ!」


アルの声に押されて、ぼくは慌てて床に伏せた。バァンと大きい音が鳴り響いて、ドアと窓に穴が空く。アルはぼくを引っ張り上げて、ドアの方をにらむ。寝起きのはずなのに、アルの腕の毛はハリネズミのように逆立っている。


「こんな所まで付けて来やがるとは、ワーカーホリックも大概だぜ」


「ジェマーに言われたんだ。人一人とネズミ一匹の掃除だけで金をたんまりくれるってね」


ドアの穴から声が聞こえる。どうやら、ただのお掃除の人じゃないみたいだ。ドアの奥から何かをぶつける音が響く。またバァンっていう音がして、ドアが吹き飛ばされた。ぼくとアルはテーブルの下に隠れる。開いたドアから男の人が入ってきた。黒いスーツを着て、サングラスをかけている。いかにも怖いって感じの人だ。男の人は楽しげに鼻歌を歌って、こっちに向かって来る。


「ホテルの連中に、こう聞いたらすぐ分かったよ。ネズミの被り物を被った変な客はいなかったかってね」


男の人はズレたサングラスをクイっと上げる。そのすき間から見える灰色の目はすごく見覚えがあった。でも、ぼくこの人知らない。


「惨めったらしい様だな、チャリ。頭をいじられなかったら、こんな事にもならなかったのにね」


落ち着いた声だけど、男の人が持っている長い棒はぼく達に突きつけられていた。あの棒の先を見ていると、とっても不安になる。


「やめときな、ギンピィ。俺達を撃っても、報酬よりホテルの修理費の方が高くつくぜ」


「ホテルにネズミがいるのは大問題だよ。それもこんな大きいネズミがいるなんてね。お前を駆除すれば、ホテルの連中も修理費の事なんて忘れてくれるさ」


ギンピィっていう名前も、聞き覚えがある。アルはテーブルをひっくり返して、ぼくの身体を抱えた。それと同時にギンピィが持つ鉄の棒が火を吹く。アルはぼくを抱えたまま、窓を突き破った。ぼく達の体は2階から地面に転がり落ちる。背中を打って痛かったけど、アルは頭から血を流してもっと痛そうだ。


「大丈夫? アル」


アルは頭を抱えてふらふらになっている。ぼく達の足元に黒い弾が飛んできた。窓からギンピィが、鉄の棒をこちらに向けている。逃げないと。そう思ってぼくはアルを引っ張って、乗ってきたバイクに向かって走った。後ろから耳を打つような音が何度も聞こえて来るけど、振り向かない。振り向いたら顔を撃ち抜かれてしまう。そんな気がした。アルが苦しそうに呻く。アルをバイクに乗せて、ぼくはバイクのエンジンを点けようとした。動いてくれ。アルがやっていたように。ぼくはアルの真似してエンジンを点けた。何度か試して、バイクが勢いよく震え出す。同時に、後ろの音が近づいてきた。ぼくはハンドルを回して、バイクを走らせる。街を抜けるまで、ぼくは振り返らなかった。恐怖から逃れるように、ぼくは道路を走る。


 街の明かりが少なくなってきた頃、ぼくは疲れて眠くなっていた。バイクを一旦止めて、ぼくはベンチにアルを寝かせる。頭の血が渇いてべっとりついていた。手当てをしないと。でも、どうやって? 考えれば考える程頭が痛くなってくる。アルは今まで何度もぼくを助けてくれた。ぼくだってアルを助けないと。もっとぼくの頭が良ければ。何もできない自分にぼくは腹が立った。


「困ってるようね。これを使いなさい」


後ろから来た車が止まって、女の人が降りてくる。女の人がぼくに包帯を差し出す。その時、灯りに照らされた女の人の姿を見て、ぼくの頭はカナヅチで殴られたような衝撃が走った。後ろで結んだ赤い髪に、縁の黒いメガネ。オリーブ色の丸い目。ぼくはこの女の人を知ってる!


「キニアン......さん?」


「私のことが分かるのね、チャリ。それなら話が早いわ。一緒にアルの手当てをしましょう」


キニアンさんはアルの血をティッシュで拭き取る。キニアンさんの事はあまり思い出せないけど、ぼくが覚えている限りでは悪い人じゃないと思う。ぼくの記憶の中にあるキニアンさんは、優しくぼくに話しかけていた姿だけだ。ぼくとキニアンさんは夜明けまでアルの手当てをした。疲れも眠気も忘れて、ぼくはアルに寄り添っていた。

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