第四話 玲奈

 夕暮れの光が、長く影を伸ばす放課後のグラウンド。風間玲奈、高校二年生。陸上部のウェアに身を包み、スタートラインでクラウチングの姿勢をとっていた。引き締まった太腿の筋肉が、夕陽を受けて艶めく。日焼けした肌に、汗が光る。彼女の真っ直ぐな瞳は、前方のゴールだけを見据えていた。


「セット!」


 コーチの声が響く。息を止め、全身の神経を集中させる。


「……ゴー!」


 号砲一閃。玲奈は、爆発的な力でスターティングブロックを蹴った。鍛え上げられた体が、風を切って加速していく。しかし数メートル走ったところで、わずかな硬さが脚にまとわりつくのを感じた。フォームが微妙に崩れる。必死に腕を振り、ゴールラインを駆け抜ける。


「……12秒85」


 コーチが読み上げたタイムは、彼女の自己ベストには程遠い平凡な数字だった。

「玲奈、後半また力んでるぞ! もっとリラックスして、前へ前へ!」

「……はい!」

 悔しさを噛み殺し、玲奈は力なく返事をした。


 最近、ずっとこの調子だった。中学時代は県大会でも上位に入る実力で、高校でも期待の短距離選手だったはずなのに、この一年、記録が全く伸びない。むしろ落ちている。焦れば焦るほど、体がうまく動かなくなる。


 隣りのレーンでは、ライバルの美咲が軽快なピッチで自己ベストに近いタイムを叩き出している。少し前に入部してきた一年生の後輩も、驚くほどのスピードで成長していた。祝福したい気持ちと焦り、そして認めたくない嫉妬心が、玲奈の胸の中で渦巻いていた。


 練習が終わり、部員たちが帰り支度を始める中、玲奈は一人グラウンドに残った。納得がいかない。このまま終わりたくない。彼女は、黙々とスタートダッシュの練習を繰り返した。夕焼けがトラックを赤く染め、影がどんどん長くなっていく。

 足元には、最新モデルの陸上用スパイク。鮮やかなブルーと蛍光イエローのデザイン。軽量で反発力に優れ、地面をしっかりと捉える鋭いピンがついている。それは、彼女のスピードを最大限に引き出すための、最高の武器のはずだった。しかし今は、そのスパイクの性能すら、自分の不甲斐なさを際立たせるようで、空しく感じられた。スパイクのピンが、硬いアンツーカーのトラックをカリカリと引っ掻く感触だけが、妙にリアルだった。


 誰もいなくなった部室で着替えを終え、重い足取りで校門を出る。いつもの帰り道、玲奈は人気のない路地裏に足を向けた。バッグの奥から、くしゃくしゃになったタバコの箱とライターを取り出す。震える指で一本抜き取り、火をつけた。深く吸い込むと、乾いた咳が少し出た。タバコの煙が肺を満たし、そしてゆっくりと吐き出される。

(…こんなもの吸ったって、速くなるわけないのに)

 陸上選手にとって害でしかないことは百も承知だ。確実にパフォーマンスを落とすだろう。それでも、玲奈はタバコをやめられなかった。焦りや不甲斐なさが胸に渦巻くとき、この紫煙の苦い味が、まるで自分自身を罰しているような、歪んだ安堵感を与えた。それは、一種の自傷行為に近かった。煙が夕闇に溶けていくのをぼんやりと眺めながら、玲奈は唇を噛んだ。数分後、火を消した吸い殻を足で踏みつけ、誰にも見られないように側溝の奥へと蹴り込んだ。


 週末に行われた記録会。雲ひとつない青空が、逆に玲奈の心を重くしていた。今日は、なんとしても結果を出さなければならない。スランプ脱出のきっかけを掴みたい。スタートラインに立ち、玲奈はぎゅっと唇を結んだ。隣りのレーンの選手たちの息遣い、観客席からの微かなざわめき、全てがプレッシャーとなってのしかかる。


「オン・ユア・マークス」


 スターティングブロックに足をかける。心臓が早鐘のように打っている。


「セット」


 腰を上げ、全身に力を込める。今度こそ、完璧なスタートを。


 ピストル音。


 しかし、反応がコンマ数秒遅れた。焦りが全身を硬直させる。必死に腕を振り、脚を回転させるが、動きがぎこちない。隣りの選手たちにぐんぐん引き離されていく。ゴールラインが、やけに遠く感じられた。


 ゴール後、電光掲示板に表示されたタイムを見て、玲奈は呆然とした。自己ベスト更新どころか、予選通過ラインにも遠く及ばない、惨憺たる結果だった。周りの選手たちが健闘を称え合ったり、悔しがったりしている声が、耳鳴りのように遠く聞こえる。


(なんで……どうして……!)


 悔しさと、情けなさと、行き場のない怒りが、胸の奥から込み上げてくる。涙が溢れそうになるのを必死で堪え、玲奈は誰とも目を合わせずに、足早に競技場の裏手へと向かった。そこは選手や関係者以外はほとんど立ち入らない、芝生の広がるエリアだった。

 バッグからタバコを取り出し、震える手で火をつける。深く煙を吸い込むと、胸のあたりが少し痛んだ。

(こんなことしたって、何の意味もない。タイムが縮まるわけでも、速くなれるわけでもない。むしろ、悪くなる一方なのに)

 それでも、この煙を吸い込む瞬間だけ、現実から逃避できるような気がした。自暴自棄な思いが、煙と共に吐き出される。肺を焦がすような感覚が、今の自分には罰のように心地よかった。


「くそっ!」

 タバコを地面に叩きつけ、火花が散るのも構わずスパイクで踏み消した。それでも、胸のむかつきは収まらない。


 その時、ふと、足元の芝生の上に、鮮やかな緑色の物体がいるのに気づいた。体長10センチほどの、太ったイモムシだった。ゆっくりと、しかし確実に、体をくねらせながら前進している。その、のんびりとした無防備な姿。


 玲奈の心に、黒くどろりとした衝動が湧き上がった。まるで、自分の必死の努力を、この小さな生き物が嘲笑っているかのように感じられた。自分の思い通りにならない身体、結果の出ない現実。その全ての苛立ちが、目の前のイモムシへと向けられた。


(……邪魔)


 ほとんど反射的だった。玲奈は、履いていたスパイク――鋭い金属製のピンが何本も突き出た、戦闘的なデザインの靴――の底を、イモムシの真上に持ち上げた。


 そして、一気に体重を乗せて踏みつけた。


 グチュリ。


 生々しい音が響いた。スパイクのピンが、柔らかいイモムシの体を容赦なく貫き、引き裂く。緑色の体液が飛び散り、芝生とスパイクのソールを汚した。足裏に伝わる、ぐにゃりとした不快な感触。玲奈はさらに数回、執拗に踏みつけ、緑色の塊を完全に破壊した。


 行為の後、玲奈は、はっはっ、とわずかに息を切らしていた。足元の惨状を見下ろす。悔しさが完全に消えたわけではない。しかし、何かを徹底的に破壊したことで、ほんの少しだけ張り詰めていた神経が弛緩し、心が凪いだような気がした。一瞬だけ、自分が何かをコントロールできたような、歪んだ感覚。


 玲奈は、忌々しげに舌打ちをすると、スパイクについた緑色の汚れを、近くの芝生に乱暴に擦りつけた。金属のピンが芝生を引き裂く。綺麗にはならなかったが、今はどうでもよかった。重い足取りで、彼女はロッカールームへと向かった。スパイクの底に残る感触だけが、やけに生々しく感じられた。


 競技場での一件は、玲奈の中で、パンドラの箱を開けるようなものだった。一度知ってしまった、破壊による歪んだ解放感。それは、スランプ脱出の兆しが見えない彼女にとって、抗いがたい魅力を持つようになっていた。踏み潰し行為は、喫煙と共に、玲奈のフラストレーションのはけ口として、急速に常態化していった。

 練習で思うようなタイムが出なかった日の帰り道、まずタバコに火をつけ、その煙の向こうに次のターゲットを探す。試合でライバルに負けた後、後輩の急成長を目の当たりにして、焦りと嫉妬を感じた時。そんな、心がささくれ立った時に、玲奈は決まって一人になれる場所を探した。グラウンドの隅、使われていないテニスコートの裏、帰り道の公園の茂み、河川敷の土手。そこが、彼女だけの秘密のステージとなった。

 タバコを吸いながら、次の「犠牲者」を探す。そして、見つけると、まるで何かの儀式のように、ゆっくりと近づき、最後の一服を吐き出すと同時に、それを踏み潰すのだった。


 ターゲットは、その時々で目についたものだった。芝生を跳ねるバッタ、木の幹を這う毛虫、アスファルトの上を歩くカマキリ。時には、地面に落ちている硬い木の実や、捨てられた空き缶なども、彼女の怒りの対象となった。


 玲奈の行為は、単なる憂さ晴らしというよりも、もっと切実な、歪んだ儀式めいたものになっていた。自分の肉体――スピードとパワーの象徴であるはずの脚――が、現実世界では結果を出せず、コントロールを失っている。その無力感を埋めるかのように、彼女は足元の小さな存在を、徹底的に支配し、破壊することで、一時的に「自分はまだ何かをコントロールできるのだ」という感覚を取り戻そうとしていたのかもしれない。そして喫煙は、そんな自分をさらに罰し、追い込むための行為だった。タイムが落ちるとわかっていながら吸うタバコは、自分自身への裏切りであり、諦めであり、そしてどこか甘美な破滅への誘いでもあった。


 その儀式において、「靴」は重要な役割を果たした。陸上用のスパイクは、最も強力な破壊兵器だった。鋭い金属製のピンは、虫の硬い甲殻すら容易く貫き、対象を文字通り串刺しにして引き裂いた。踏みつけた時の、ピンが突き刺さる独特の感触は、玲奈に最も強い、しかし最も後味の悪い満足感を与えた。

 練習時に履くランニングシューズは、スパイクほどの鋭さはないが、クッション性とグリップ力に優れた厚いソールが、対象を確実に押し潰した。ぐにゅり、とした感触がダイレクトに伝わってくる。

 普段履きの、デザイン性の高いスニーカーは、様々なソールのパターンを持っていた。ワッフル状のソール、深い溝が刻まれたソール。それらが、踏み潰した対象に独特の模様を残すこともあった。


 玲奈は、その日履いている靴によって、無意識にターゲットを選んだり、踏み方を変えたりしている自分に気づいていた。それはまるで、自分の脚力と靴の性能を、歪んだ形で試しているかのようだった。破壊の後、靴底についた汚れを落とす時、彼女はいつも言いようのない虚しさを感じていたが、それでも、この行為をやめることはできなかった。吸い殻を踏み消す感触と、虫を踏み潰す感触が、どこか頭の中で重なることもあった。加速する破壊衝動と自己破壊願望は、玲奈を孤独なトラックへと、さらに深く引きずり込んでいくようだった。


 玲奈にとって、同じ陸上部の美咲は、良きライバルであり、そして、何でも話せる親友…のはずだった。しかし、玲奈がスランプに陥ってから、その関係性は少しずつ変化していた。美咲は最近、目覚ましい成長を遂げ、次々と自己ベストを更新していたのだ。玲奈は、練習や試合で美咲の活躍を見るたびに、表面上は「すごいね!」「おめでとう!」と笑顔で祝福した。しかし、内心では、焦りと、どす黒い嫉妬心が渦巻くのを抑えきれなかった。なぜ自分だけが置いていかれるのか。


 ある日の練習後。玲奈は、またしても納得のいく走りができず、一人グラウンドの隅に残っていた。夕暮れの空の下、むしゃくしゃした気持ちをぶつけるように、スパイクで地面を蹴っていると、足元に大きなトノサマバッタがいるのに気づいた。それは格好のターゲットだった。近くのベンチに腰掛け、まず一本タバコを吸う。煙が目に染みた。

(……こんなことしても、無駄なのに)

 わかっている。わかっていても、やめられない。タバコの火を地面に落とし、スパイクのピンでグリグリと踏み消すと、玲奈は躊躇なく、そのスパイクでトノサマバッタを踏みつけた。何度も何度も、執拗に。


 その時だった。

「……玲奈? 何してるの…?」

 背後から、聞き慣れた声がした。振り返ると、そこには、忘れ物でも取りに戻ってきたのだろうか、美咲が心配そうな顔で立っていた。その視線は、玲奈の足元――無惨に潰れたバッタの残骸と、汚れたスパイク、そして、傍らに落ちているタバコの吸い殻――に向けられていた。


(見られた……!)


 玲奈は、全身の血が引くような感覚に襲われた。咄嗟に、スパイクを履いた足を後ろに引いて隠すようにしながら、慌てて言った。

「う、ううん、なんでもない! ちょっと、虫がいたから……びっくりして…」

 明らかに動揺した声と、不自然な態度。そして、足元の惨状と、微かに漂うタバコの匂い。美咲は、聡い子だった。玲奈が何かを隠していること、そしてそれが普通ではないことであるのを、おそらく感じ取っただろう。美咲は、一瞬何か言いたそうな顔をしたが、結局、「そ、そっか…気をつけてね」とだけ言って、足早に去っていった。その目に、軽蔑の色が浮かんだように見えたのは、玲奈の気のせいだろうか。


 その日以来、玲奈と美咲の間には、目に見えない壁ができてしまったようだった。美咲は、以前のように屈託なく話しかけてくることが減り、どこか玲奈の様子を窺うような、心配しているような、しかし同時に、少し距離を置いているような、そんな微妙な態度をとるようになった。玲奈もまた、美咲の視線を過剰に意識してしまい、どう接していいのか分からなくなっていた。


 秘密を知られたかもしれないという恐怖。美咲を失いたくないという気持ち。しかし自分の抱える闇を、嫉妬心を、そして喫煙という裏切りを、素直に打ち明けることなど、玲奈のプライドが許さなかった。唯一の親友かもしれない存在との間にできた溝は、玲奈の孤独感をさらに深め、皮肉にも、彼女を踏み潰しと喫煙という行為へと、より強く依存させていくことになった。美咲の明るい笑顔の影が、常に玲奈の心を重くし、孤独なトラックの上で、彼女を苛み続けていた。練習の合間、一人になるとタバコを隠れて吸い、その煙に自分の惨めさを重ねるのだった。


 地区大会の決勝。スタートラインに並ぶ8人の中に、玲奈の姿はあった。隣りのレーンには、予選をトップタイムで通過した美咲がいる。これが最後のチャンスかもしれない。ここで結果を出せなければ、もう……。プレッシャーが、鉛のように玲奈の体を重くする。昨夜も、不安と焦りから、いつもより多くのタバコを吸ってしまい、喉の奥には不快な感覚が残っていた。


「オン・ユア・マークス、セット」


 号砲。


 玲奈は、祈るような気持ちで飛び出した。しかし、スタートから体が硬い。焦りがフォームを乱し、スピードに乗れない。必死に腕を振る。歯を食いしばる。隣りを走る美咲の背中が、ぐんぐん遠ざかっていくように見えた。他の選手たちにも次々と抜かれていく。ゴールラインが、憎らしいほど遠い。レース中盤、わずかに胸が苦しくなり、呼吸が浅くなるのを感じた。タバコのせいだ、と頭の片隅で冷静な自分が囁いた。


 結果は、惨敗だった。自己ベストにも遠く及ばないタイムで、最下位に近い順位。優勝したのは、圧倒的な走りを見せた美咲だった。彼女は満面の笑顔で仲間たちに駆け寄り、祝福の輪に包まれている。


 玲奈は、誰とも目を合わせることができなかった。グラウンドに一礼するのも忘れ、よろよろと競技場の裏手へと向かった。悔しさ、情けなさ、美咲への嫉妬、自分への怒り。あらゆる負の感情が、ぐちゃぐちゃになって胸の中で渦巻いていた。涙が、熱い塊となって込み上げてくる。


(なんで、私だけ……!)


 足元に、誰かが捨てたのであろう空き缶が転がっているのが目に入った。玲奈は、履いていたスパイクのまま、その空き缶に怒りをぶつけるように、何度も、何度も、力任せに踏みつけた。ガシャン! バキッ! 金属が歪む甲高い音と、スパイクの鋭いピンがアルミを貫く感触。空き缶は、見るも無惨な形に潰れていった。


 はあ、はあ、と肩で息をしながら、ポケットを探る。指先にタバコの箱が触れた。最後の一本だった。それを取り出し、唇に挟む。ライターで火をつけようとした、その時。

 ふと足元を見ると、昨日の雨でできた水たまりに、自分の姿が映っていた。泥と汗にまみれ、髪は乱れ、憎悪と絶望に歪んだ表情をした自分。そして、その足元には、無残に破壊された空き缶と、泥に汚れたスパイク。唇には、まだ火のついていないタバコ。


(……私、何やってるんだろう……)


 その瞬間、すとん、と何かが腑に落ちた。こんなことをしても、タイムが縮まるわけじゃない。速くなれるわけじゃない。タバコを吸ったって、自分を傷つけるだけで、何も変わらない。ただ、醜い破壊の跡と、虚しさだけが残る。今まで自分がしてきたことは、結局、何の解決にもならない、ただの自己満足で現実逃避だったのだと、初めて心の底から理解した。


 涙が今度こそ止めどなく溢れ出した。それはもう、単なる悔し涙ではなかった。自分の弱さ、醜さに対する、痛切な涙だった。唇からタバコがぽとりと落ち、水たまりに浮かんだ。


 その時、背後から声がした。

「玲奈!」


 振り返ると、美咲が立っていた。表彰式を終えたのだろうか、首には金メダルがかかっている。彼女は仲間たちの輪を抜け、わざわざ玲奈を探しに来てくれたのだ。


 美咲は、玲奈の足元の惨状と、水たまりに浮かぶタバコを見て、一瞬、悲しそうな顔をしたが、すぐにいつもの太陽のような笑顔を向けた。

「悔しいよね。すっごく悔しいの、わかるよ。でもね、玲奈なら絶対、また速くなれる。私、知ってるもん。玲奈が誰よりも努力してること。だから……一緒に頑張ろうよ」


 その、どこまでも真っ直ぐで、温かい言葉と笑顔が、玲奈の固く閉ざされた心の扉を、ゆっくりとこじ開けていくようだった。堪えていた嗚咽が堰を切ったように漏れ出した。


 玲奈が、この深いスランプから本当に抜け出せるのか。踏み潰しの衝動と、自傷行為のような喫煙から、完全に解放される日は来るのか。美咲との関係は、元通りになれるのか。それはまだ分からない。


 しかし、ゴールラインの向こう側には、破壊とは違う道が、確かにあるのかもしれない。そう思えた。スパイクの鋭いピンが残した心の傷跡は、まだ痛むかもしれない。タバコの煙のようにまとわりつく後悔も、すぐには消えないだろう。けれど泥にまみれた足元から、もう一度、新しいスタートラインに立つ力はまだ残っているはずだ。


 美咲が、そっと玲奈の肩に手を置く。夕暮れの競技場に、二人の少女のすすり泣きと、そして、ほんのわずかな希望の光が、静かに満ちていくようだった。スパイクの残響と、消えかけたタバコの苦い記憶は、まだ遠くない過去の音として耳に残っている。それでも、風は確かに未来へと吹いていた。

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