第32話 ケティの猛攻とエルマの逃げ足
32 ケティの猛攻とエルマの逃げ足
彼女が言う通り――彼女が戦う理由は単純だ。
彼女の始祖は、嘗てミレディー・ド・ウィンターに仕えていた。
だが、ケティという名の始祖はミレディーを裏切る事になる。
ダルタニャンという青年に恋した彼女は、ミレディーの情報を彼に流したのだ。
結果、ダルタニャンは有利に状況を進め、遂にはミレディーと情を通じる事になった。
ミレディーはダルタニャンに騙される形で、彼と関係を持ったのだ。
その事が遠因となって、ミレディー・ド・ウィンターは死んだ。
恐らくケティが裏切らなければ、ミレディーの運命も変わっていただろう。
少なくともアトスに己の生存を気づかれる事なく、人生を謳歌していた可能性はある。
ミレディーの死を知った時、始祖ケティは己の裏切りを悔やんだ。
ミレディーとはとても善人とはいえない女性だったが、自分の所為で嘗ての主が死んだのだ。
元々善なる女性だったが為に、始祖ケティは誰かの死を悼まざるを得ない。
ましてやその死が自分の所為だと言うなら、尚更だ。
その想いは時を超え、子孫にまで受け継がれた。
始祖ケティは生涯〝後悔〟に苛まれたが為に、その想いを子孫に託す事になる。
故に彼女は――ミレディー三十世に仕えるしかない。
今度こそミレディーの名を冠する女性に忠誠を尽くし、彼女の人生を彩る。
還理翠子を〝人生に勝利した悪女〟にするべく、死力を尽くすのだ。
よって、彼女の心は凍てついていると表現できる程、冷淡だ。
確かに己で言っていた通り、彼女はエルマ達に情を覚えている。
〝阿増絶阿〟としてエルマ達と接した時間は、決して悪くはなかった。
だが、彼女の本質は、還理翠子の願いを叶える事にある。
それ以外の事は眼中になく、あらゆる事が二の次と言えた。
その翠子が敵と定めたなら、例え情を覚えた人間でも躊躇なく殺す。
翠子の計画に沿って、翠子の敵は皆殺しにするのが、彼女だ。
それだけの〝後悔〟が彼女の心を支配し――彼女を突き動かしていた。
事実、彼女ことケティに容赦はない。
彼女は翠子の命令通り、思う存分暴れる。
《――つっ?》
謎の攻撃が、エルマに迫る。
その一撃は〝阿増絶阿〟だった時の、比ではない。
絶阿が眼を開いた瞬間――宇宙は七十兆個消えた。
圧倒的とも言えるその業は、嘗ての〝絶阿〟の物ではない。
彼女は己の力を、ただ誇る。
《ええ。
〝絶阿〟だった頃は、あなたの力を試す必要に迫られていた。
あなたの力が予想以上だと感じた私は、翠子様の計画通り振る舞うしかなかったのです。
蛇処エルマを殺し切るには、翠子様の計画通り行動するしかないと思った私は、その通り動いた。
現に今のあなたは、翠子様の計算通り反撃できずにいる。
翠子様の計画が、蛇処エルマをそうなる様に追い込んだから》
確かに〝絶阿〟を騙った時全力を出しても、ケティはエルマに勝てたかは怪しい。
その為ケティは、エルマの能力を見切る事に、終始した。
本気では戦わず、エルマの戦力を計る事に注力したのだ。
その時得た情報は、エルマがタクテクタと戦った事で、より信憑性が増した。
翠子の見解だと、エルマの能力は、こうだ。
蛇処エルマの能力は、三段階に分かれている。
『極限回避・一極点』は、エルマを死から遠ざける物。
死が及ばない距離まで逃れるだけの速度を、エルマに与えるのが『一極点』である。
逃げる事に特化したこの力は、何者も追いつく事が出来ない。
例えどの様な速度や能力を以てしても、蛇処エルマは己の死から逃避する。
『極限回避・二極点』はそれでも尚、エルマを死に至らしめようとした時発動する。
死からの逃避でも状況が好転しない時、エルマは世界さえも組み替える。
自分が有利になる様、世界の構造を変え、己の死から逃れるのだ。
だが『極限回避』の悪辣な点は、その先にあった。
『極限回避・三極点』は『極限回避』の奥義と言える。
なにせ『三極点』は、敵のあらゆる情報を塗り潰す。
敵がどの様な能力を持っていようと、それがエルマを脅かす物なら、エルマはそれを超越する。
己の死を回避する為に、エルマは敵の能力を一切無視して、敵を打破する攻撃を放てる。
これは〝そうする事でしか、自身の死を回避できない〟という状況に追い込まれた時、発動する能力だ。
『一極点』でも『二極点』でも状況が好転しないなら、最早敵を打倒するしかない。
蛇処エルマは己の命と尊厳を守る為に、敵以上の力を以て、常識を上書きする。
これは正に、無敵の力と言っていいだろう。
敵が致死性の業を使わなければ、この能力は発揮できない。
しかし、それでも敵が蛇処エルマの存在を脅かせば、エルマはこの無敵の力を使用できる。
それは間違いなく、敵と言う第三者の敗北を意味していた。
けど、だからこそ、エルマはいま劣勢なのだ。
《ええ。
貴女の力の根源は〝聖女であろうとする〟事。
悪女である事を否定し、聖女として生きる蛇処エルマは、その事を唯一のルールにした。
貴女の『極限回避』は、貴女の聖女としての生き方を穢そうとする者に対して発動する。
でも貴女は今、それだけの力を使えない。
聖女にあるまじき行いに及んだ貴女の力は、確実に落ちている。
伊織さんを真っ先に救おうとした事で、蛇処エルマの力は間違いなく衰えているの。
即ち――蛇処エルマは『絶対回避・三極点』が封じられた状態にある》
《………》
翠子がテレパシーで語っている事に、誤りはない。
自ら聖女らしかぬ真似をしたエルマは、一時的に力が低下していた。
死からの逃避は可能でも、死を及ぼそうとする敵の打破は出来ない。
蛇処エルマは現在、反撃する事は叶わず、ただ逃走を繰り返す。
ケティの大規模攻撃を受け、その度にエルマはケティの能力範囲外まで逃げる。
宇宙は全壊するが『神』がそれを直ぐに再生する。
ケティは尚も宇宙を全壊するが、エルマはその間に逃走した。
これは、その繰り返しだ。
―――駆ける、駆ける、駆ける、駆ける、駆ける、駆ける!
蛇処エルマはただ、自らの死から逃避する為、世界を駆け巡る―――!
(つまり私に残された選択肢は――時間を稼ぐ事。
逃げに徹して、己の不調が回復する時まで待つ。
『三極点』が封じられている以上――私に攻撃手段は無いから)
蛇処エルマは冷静に、己がおかれている立場を分析する。
全ては、還理翠子の計画通り進んだ。
翠子の計算通り、蛇処エルマの能力は劣化した。
ただ逃げる事しか出来ない以上、エルマは時間を稼ぐしかない。
問題は劣化している自分が、本当にケティ達の攻撃をしのぎ切れるかという事。
最早『絶対回避』と言い切れない力しか持たない自分では、何時か致命傷を受けるかも。
そうなれば、この勝負は翠子とケティの勝利で終わる。
蛇処エルマとしては、完敗と言う他ない。
《いえ。
それでも貴女は、驚異的だわ。
ケティの攻勢を受けながら、私の能力からも逃避しているのだから。
貴女は既に私が思い描く物語の、登場人物に過ぎない筈。
だと言うのに、私が頭の中で巡らせているストーリーに貴女は沿っていない。
私の頭の中では既に五億回は死んでいる筈の蛇処エルマは、尚も生存している。
私とケティの能力を同時に受けながら尚も生存している貴女って、本当に何者?
蛇処エルマとは、一体何なのかしら?》
いや。
それ言うなら、還理翠子やケティも尋常ならざる存在だ。
明らかに〝神〟であるタクテクタ・ルーロンさえも上回っている彼女達は、一体誰?
翠子は、ただ一笑した。
《それは多分、私達には人ならざる者の血が混ざっているから。
私でも想像がつかない何者かが、人と混ざった結果、私達の様な人種が生まれた。
人をやめ〝神〟さえも超えた力を持ったのが、私達よ。
ええ。
私達の祖先はどこかの時点で――『第二種知性体』と関係を持った》
恐らくケティ達の力は『神』さえも超えている。
ならば、翠子は『第二種』さえ引き合いに出すしかない。
『第二種知性体』とは、この世界の理から外れた存在だ。
何故なら彼等はこの宇宙の外で活動する、超次元的な存在だから。
宇宙人や『第三種知性体』さえも超越している彼等は、正に破格の存在と言えるだろう。
次元違いの存在で、何者も彼等には敵わない。
その彼等が人間に興味を持ち、誰かと関係を持った?
その子孫である翠子達は、ある日隔世遺伝により彼等の力の一端に目覚めたと言うのか?
仮にそうなら、翠子達の力は確かに破格だ。
人を超え、ヒトを超え、〝神〟を超え、『神』さえ超えたのが、彼女達と言えるだろう。
エルマがタクテクタ・ルーロンに勝てたのも、その為。
翠子達がそのエルマと互角以上に戦える理由は、そういった事情があるから。
何の前情報もなく『第二種知性体』という存在に辿り着いた還理翠子は、やはり微笑む。
《つまり――私達の力は同位という事。
二対一である以上、私達の有利は揺るがない。
その上蛇処エルマの力は衰えているのだから、貴女はもう死ぬしかないでしょう。
それでも生きながらえようとしている蛇処エルマは――確かに〝死〟を恐れている》
《………》
始祖の〝死〟に対する恐れを受け継いでいる、蛇処エルマ。
ならば彼女は己の死から逃避する為に、自衛するしかない。
己の存在を脅かす事象から逃れるのが、蛇処エルマだ。
だが翠子達が、エルマと同レベルの能力者だとすれば、やはりエルマに勝ち目はない。
翠子が言う通りエルマの力が劣化して、二対一に持ち込まれた時点で勝敗は決した。
《それでも今も逃げている貴女は――やはり生き汚いとさえ言える》
今もエルマを仕留めきれない、ケティと翠子。
戦況がここまで進んだ所で、翠子は、エルマの逃げ足は想像以上だと認めるしかない。
だとしたら、蛇処エルマもまた――自分達の様な〝試練〟を受けているのだろう。
〝試練〟とは〝混血種〟である翠子やケティ達を、更に上位の存在に高める為の儀式だ。
端的に言えば、翠子は名誉を汚された存在の失意を人の数以上に体験している。
それを百四十兆回繰り返しているのが、還理翠子だ。
人にしてみれば永遠とも言える時間を、一瞬で体験したのが、還理翠子と言っていい。
その為、翠子の脳は加速状態におかれた。
人にとっての一秒が――翠子にとっては一グーゴルプレックス秒と言える。
脳がそういう状態に加速しなければ、翠子は〝試練〟を全う出来ない。
ヒトや『神』を超える為、翠子の脳はそこまで進化している。
いや。
それは翠子の従者も同じだった。
人の数以上の後悔を体験したケティも、翠子と同位の存在と言えた。
この時点で翠子達は――只の〝混血種〟さえも大きく超越した。
今の彼女達は、人の常識では推し量れない存在だ。
常人がこの話を聴いても、とてもついていけないだろう。
そんな自分達と戦いながら、蛇処エルマはまだ生存している。
確かに死にかけている筈なのに、蛇処エルマは尚も生き延びているのだ。
《………》
正に驚異的と言える、逃げ足。
ならば、還理翠子は蛇処エルマを抹殺する為に、次の手を打つしかない。
ここでケティと言う名の従者は、カードを切る。
《私の力は、絶対的と言えます。
何故なら、私の力はあらゆる存在を凌駕するから。
例え何者でもあっても、私の攻防力を上回る事は出来ない。
何故なら私の能力とは――『あらゆる存在の精神性を矛と盾に変える事』だから》
《な、に――?》
絶句する、蛇処エルマ。
そう謳うケティの目的は、何?
そんな事は、決まっている。
途端――ケティはその一撃を深川伊織に向けて放った。
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