コメット・リユニオンⅡ

 授業が終わり、プリントの束をまとめていた僕の耳に、後ろから少し浮ついた声が届いた。

「石塚先生~!」

「おう、なんだお前たち、来てくれたのか。誰かと思ったよ」

「へっへへ、似合う?」

 眩しいくらいの真っ赤と銀色に染めた髪を揺らしながらやって来たのは、先月、受験を終えて塾を辞めたばかりの二人だった。

 受験の頃まで真っ黒だった髪の毛が嘘のように垢抜けていて、思わず苦笑する。他人の姿はどんどん変わっていくんだな。

「俺らさ、明日の卒業式の日、ライブハウスで卒業ライブやるんだよ」

「先生も来てよ。テンション上がるし!」

「へえ、いいじゃん。軽音部頑張っていたって言ってたもんな。どこでやるの?」

「これ、チケット! ここのライブハウス。知ってる? 小さめのとこだけど、ステージとか照明とかちゃんとしてるんだ!」

「学生料金あるから、ライブハウス借りやすいんだよな」

 彼等からチケットをもらい、僕は思わず、指先を止めた。記憶の中に、薄暗い照明と、ほんのり煙たい匂い、音の響くフロアが蘇る。

「……ああ、聞いたことあるかも」

「本当!? それじゃ、俺たちの勇姿を……って言いたいところだけど、お客さん一人でも多く見てほしくて! お願い! 来て!」

「素直だなぁ」

 わざわざ辞めた塾の先生まで呼ぶなんて、必死だな。可愛い生徒を持ったものだ。

 ……会場を見なければ、もっと喜べたが。

 僕は『会場:スターゲイザー』と書かれたチケットを見て、複雑な表情を隠しながら、「楽しみだよ」と彼等に微笑んだ。



 ライブ当日。仕事を終えてから駆けつけた会場は、予想よりも人の熱気であふれていた。

 地下へと続く狭い階段を降りると、重たい扉の向こうから音が漏れてくる。

 ベースの振動が床を伝い、心臓の鼓動を少し早くする。

 手に触れた鉄の取っ手は、冷たくて、懐かしい感触だった。

 扉を開けると、やや小さめのフロアに、色とりどりの照明が交差していた。ステージでは高校生たちがギターをかき鳴らし、客席ではその仲間たちが手拍子と歓声を送っている。

 青春という名の騒がしさが、光の粒になって宙を舞っていた。

 彼等の演奏に耳を傾けていると、カウンターの奥に、ふと見覚えのある顔があった。

 数年前と変わらぬ姿で、変わったところと言えばピアスの数が少し増えた女性が、慣れた手つきでカップを並べている。

 目が合った瞬間、彼女の表情がふっとやわらいだ。

「……あら? もしかして、ひろちゃん?」

「葵さん、ご無沙汰してます」

 名前を呼ばれて、僕は少し戸惑いながら近づいた。

「久しぶりだね。顔つき、大人になったじゃん。ドリンクチケット、交換しようか。何が良い? ビール?」

「さすがに、生徒の演奏の場で飲酒は……。ジンジャーエールとかで」

「あはは、そっか。待っててね~」

 プラスチックのカップと、黄金色の炭酸飲料が入ったペットボトルを準備する葵さんを横目に、周りをちら、と見渡す。

「武なら、今日はいないよ」

「えっいや、そういうわけじゃ」

 けたたましく大きく響くドラムの音があってよかった。心臓の音がばれてしまうところだった。

 なみなみと注いだジンジャーエールを差し出され、葵さんはこちらの心を見透かすような瞳で、にこり、と笑った。

「武も、不器用だと思っていたけど、二人ともそうなのかもね」

「……あの、あいつ、今もここにいるんですか?」

 息をのむようにして、僕は尋ねた。

 彼女は少しだけ考えるように視線を伏せ、それから短く頷いた。

「言わないでって言われているから、あまり深くは言えないけど。今日は近くの別の場所に、もしかしたら」

「……会えるかもしれないんですか」

「さあ、どうかな」

 茶目っ気のあるウインクをしながら差し出されたジンジャーエールを震える手で受け取った瞬間、ステージ上で響く「卒業おめでとう~!」という声が耳をつんざく。

 

 ふと、心の奥に、波の音がよみがえった。

 部室のストーブ、曇った窓。そして、彼の横顔。

「卒業式の日の夜、あの日の海で」

 そう言った、彼の優しい眼差し。

 

「まさか……」

 僕はポケットの中のスマートフォンをそっと取り出し、表示された日付に目を落とした。


 そこには、静かに「三月一日」の文字が浮かんでいた。


 あの卒業式の日と、同じ日だった。

 

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ミラージュボーイは彗星を連れて 矢神うた @8gamiuta

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