アラフォー幼女は異世界で大魔女を目指します

梅丸みかん

第一章 塔の上から見た異世界

第1話 プロローグ

 たとえどんなにお金や権力があっても「死」は誰にでも平等に訪れる。

 だけど、日々の暮らしに追われていると、その事実をつい忘れてしまう。

 お金も権力もない私でさえ……


 私の名前は伊藤美香。

 ありふれた姓と名、極めて平凡な人生を歩む、ごく普通のおばさんだ。


 こんな風に「死」について考えるようになったのは、先月母を亡くしてからだ。

 六十二歳で癌になった母は六十八歳でその生涯を閉じた。


 六年間の闘病生活……苦痛に耐え、最後は痛みを緩和するための強い薬を投与され、そのせいで意識が朦朧としたまま息を引き取った母の姿が忘れられない。


 結婚もしておらず、独り身の私にとって母は最も身近な存在であった。

 だからこそ、こんなに早く逝ってしまったことが、最初は現実のこととは思えなかった。


  就職してからは長く離れて暮らしていたせいもあるだろう。実家に戻れば、そこにはもう母はいない。仏壇に飾られた遺影と位牌だけが、かつての暮らしを物語っていた。


 母が亡くなっても時間は同じ速さで流れ、会社でもいつもの仕事を繰り返す。


 きっと私が死んだとしても世の中に何の影響も及ぼすことなく、まるで何事もなかったかのようにこの世界は動き続けるのだろう。


 今まで深く考えたことはなかったけど、変なスイッチが入ったように人生について色々考えてしまう。

 アラフォーの私はこの先、結婚もせず一人暮らしが続いていく可能性が高い。


 一般事務職で働く私は、これといって何の取り柄もなく、特にやりたいこともない。

 とりあえず、このまま普通に働いていれば毎月ちゃんと給料も、年に二回のボーナスもそれほど多くはないけど一応もらえる。

 何事もなく定年までいけば退職金だってちゃんと出ると思う。


 だけど……


 母の最期の言葉がよみがえる。


「人生は短いねぇ……病気になってからは後悔ばかりだったよ。『いつかやろう』なんて言っていたら、その日なんて来ないんだよ。美香、やりたいことがあるなら今すぐやるんだよ」

 その言葉は私の胸に深く突き刺さった。


 私がやりたいこと……なんだろう?


 考えた末、数年前から始めた登山が思い浮かんだ。

 とりあえず山にでも登ってみるか?


 こうして私は一週間の有給休暇をとることにした。

 上司も快く承諾してくれた。


 会社でも時折、考えに耽っていたから、周りから見れば母が亡くなったことで私が落ち込んでいるように見えたせいなのかもしれない。


 休暇一日目の今日はちょうど私の誕生日。その記念も兼ねて、以前から行きたかった少し遠方の山に登ることにした。とはいえ、四十歳の誕生日に特別な喜びを感じるわけでもないのだけれど。


 私にとって山は心の癒しだ。

 せっかくの長期休暇ということで、山頂にあるホテルに一泊するコースを選んだ。


 清々しい景色と美しい山々の景観は命の洗濯にふさわしい。

 ウキウキした気持ちで家を出た時は、空も晴れていて「まさに登山日和!」と思っていたのに――


 山を登り始めてしばらくすると、ぽつり、ぽつりと、冷たい雫が頬に落ちた。

 雨? さっきまであんなに晴れていたのに……

 山の天気は変わりやすいって言うけど、何も私が登山をする時にその特性を発揮しなくても……


 雨宿りを探していると、木々の間に赤い影がちらついた。

 近づくと、それは燃えるように真紅の鳥。こちらを見て首をかしげ、ふわりと飛び立つ。

 

 珍しい鳥……この山にあんな鳥いたの?……

 そもそも、他の場所でもあんな真っ赤な鳥を見たことがないんだけど。


 ずっとその鳥の行き先を見つめていると、鳥は少し先で止まってこちらを見ている……ような気がする。

 私のことを待っているのだろうか?


 気のせいだと思ったけど、追いかけてみるとまた少し先の木の枝に止まっていた。

 その木の先には、山肌が剥き出しになっているのが見えた。


 え? ちょっと道に外れたかも……雨粒がさっきよりも大きくなってきた。

 どうしよう……


 私が不安に思っていると、赤い鳥は岩壁にある洞穴へひゅっと消えた。


「ん? こんなところに洞穴……ちょうどいい雨宿りスポット! 私も少しの間便乗させてもらおう……ちょっと奥まで行くのは怖いから入り口付近で」

 私は、そろりと洞穴に近づき中の様子を伺う。

 

 思ったよりも深くない……目の先に岩壁が見えた。

 奥行きは五メートルもなさそうだ。


「あれ? あの鳥はどこに行ったんだろう? 確かにこの中に入っていったように見えたけど……気のせいじゃないよね?」

 不思議な気持ちで、私は奥の岩壁に近づきそっと手を伸ばした――


 と思ったら、華麗に岩壁をすり抜けて、派手に転倒。膝をついた。


「ちょ、え、何? 確かに壁、あったよね。どこいったの?」


 何が起きたのかわからなかった。

 岩壁は、そこにあるはずだった。支えてくれるはずだったのに。


 地面についた手のひらに伝わる感触は柔らかい。

 どう見ても絨毯が敷かれている。確かめるように撫でてみた。

 私の部屋にあるものよりも肌触りが良くかなり上質に思えた。


 それよりも洞穴に絨毯ってどういうこと?


 不思議に思ってそっと顔を上げると……

 そこにはまるで御伽話に出てくるような、可愛らしい部屋が広がっていた。

 小花柄の壁におしゃれな模様で飾られた白い家具。

 私のイメージとはまったくかけ離れた乙女チックな部屋だ。


「……いや、ちょっと待って!」

 混乱した頭で、私はなんとか立ち上がる。


「私、洞穴に入ったよね!? 洞穴! ごつごつの岩! なのに、目の前の風景はなに?」

 わけがわからない。


 夢か、妄想か、幻覚か……?


 どう考えてもおかしいでしょ。

 私は、来た方向を確かめようと、後ろを振り返った。

 そこには、アンティーク調の意匠が施された姿見がひとつ、ぽつんと置かれていた。


 え?  まさかとは思うけど、私、この鏡をすり抜けてきたってこと……?

 うそでしょう? こんなの想定外なんですけど!


 でも、念のためその鏡に触れてみた。

 ……うん、普通の鏡。手、跳ね返された。

 鏡が反転して、裏に抜け道が……なんてこともない。

 ってことは……え、ここ、出られない感じ? 一方通行?


 この状況……もしかして、ここって異世界ってことないよね……

 やだそれ、心の準備もなにもなしに異世界転移とか、聞いてないんですけど。


 と、とにかくこの部屋の持ち主、いるよね。


「すみませーん! 誰かいませんかー? 元の場所への出口どこですかーー!」

 私はできる限り大きな声で叫んでみた。でも誰も出てこない。 

 ここに住んでいるわけじゃない? 

 もしかして別荘とか?


 とりあえず、壁をペタペタ。いやいや、入口と出口は別でどっかの壁がパカッと開いたりしてくれないかなって思ったんだけど……

 でも、何も起きない。


 うん、夢だ。こんなこと現実にあるはずがない。

 これが夢ってことはいつの間にか眠ってしまったってこと?

 え? どこで?

 思い出せない……

 きっと夢だから思い出せないに違いない。


 私はそう自分に言い聞かせて、改めて今いる場所を見回した。

 部屋は広く、左手には二つの扉。右手にはステップがあり、薄いピンクのカーテンで仕切られたスペース。

 しかも洞穴の奥にいるはずなのに明るい。

 

 正面にあるアーチ型の白い格子ガラス扉から、やわらかな光が降り注いでいる。

 その向こうには、ベランダのようなスペースが続いているようだった。



 そうか、窓があるから妙に明るかったのか……って、いやいや、納得してる場合じゃない!


 そもそも、洞穴の中に部屋があること自体、おかしいのだ。


 私はその事実にすぐ気づけなかった。それだけ、動揺していたのだろう。


 人は本当に、予想外の状況に直面すると、思考が止まってしまうものなのだ。


 ……でも、窓があるってことは、外が見えるってこと。

 もしそれが飾りじゃないとしたら――


 私は、正面に見えるガラス張りの扉へと、恐る恐る歩み寄った。

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