✦✦Episode.21 生きる術 ✦✦
✦ ✦ ✦Episode.21 生きる術
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奈落の底に落ちてから数日の時が過ぎた。 いまだ、牢獄の鎖につながれたまま、クロトはため息交じりに天井を見上げた。 クロトが痛みに気絶した後、目を覚ましたのは数時間後のことだった。 ゆっくりと身体を起こし、いつの間に布地の上で寝ていたのか――身体には包帯が巻かれ、傷の痛みもいくらか和らいでいた。
静かに揺らめく松明の炎が、いっそう孤独感を際立てる。 壁には何かで引っ掻いたような、深い爪痕が残り、壁面は薄汚れて黒ずんだシミがいくつも残っている。 以前にも誰かがここに居て、もがき苦しんでいたような……そんなただならぬ気配をひしひしと感じる。
(落ち着かないな……あの壁のシミ……まるで血の跡みたいだ)
この場所では、自分の吐息しか聞こえてこない。 孤独感が一層押し寄せ、身動きするたびに鉄の鎖がジャラリと鈍い音を立てた。 髪に染みついた泥と埃の入り混じる、湿気った臭いが空間に漂う臭気と入り混じって、不快な感じを際立たせている。 暗い牢獄の中――奈落の底では日の光も届かず、時間の間隔さえつかめないまま、ただ時間だけが過ぎて行く。
(今は、一体いつで、朝なのか、それとも夜なのか……?)
しばらくボーっと考え事をしていると、どこか遠くから足音がこちらに向かってくるのが聞こえて来た。 クロトは、もう寝たふりをせずに、一体どんな奴がこの場所にくるのかと、ほんの少し警戒の色を見せながら待っていた。 ガチャリと鉄格子の鍵が開くと、外から幼げな少女が、牢の中に入って来た。
(こ、子供……!?)
「お、黒髪君~おきたねぇ、調子はどう?」
少女は、くりっとした目でこちらを覗き込むと、ピンク色の長い髪を左右に束ね、髪色と同じような色の布地で作られた、可愛らしい衣服を着て、そのスカートをふわふわと揺らしている。
「……?(この声、あの時の……?)」
「あれ? 君おしゃべりできないのかな?う~ん……困ったわね」
「あっ……いやっ、少し驚いただけだ……その、大人っぽい声だったから…」
「あははは、それよく言われるんだよね~! うんうん、君……大分調子が良くなってきたみたいだね」
少女は、腕を組んで、にこにこしながら何度も頷いた。 見た目こそ子供なのに、声だけはやたら大人っぽくて、そのギャップを感じてクロトは思わず拍子抜けしていた。
「傷はどう? ちょっと見せてくれる?」
「あ、ああ…」
少女はそっとクロトの腕を取ると、まだ痛々しく残っている傷を確認して、手際よく薬を塗っていく。 ヒヤリとした液体の感覚が、肌に染みわたっていく。
「ん、あれ? 今度は光らないのね?(この間は、青く光っていたような……?)」
「光る……?」
「ん-ん、なんでもない!(彼自身、それを分かっていないようね、報告が必要だわ……)」
「じゃあ、また後で来るから、ゆっくりしててね!」
「あ、あぁ……(随分と明るい性格だ……なんだか、ホッとするな)」
それから、何度かクロトの元へ少女はやって来た。 次に来た時には、クロトが目を覚ましたこと聞きつけた男も一緒になって後をついて来た。 男の身長は見上げるほど高く、蒼い髪に、青い瞳…高身長と低身長の差の激しい二人が、一緒に並んでクロトの事をまじまじと見据えていた――男は「ようじがある」と、すぐさまその場から立ち去って、どこかへ消えて行く。
「そうだ――私ちょっと、忘れ物を取りに……」
「おい、ちょっとまて――そろそろ…ここがどこだか…教えてくれないか…!」
少女は、思い立ったように立ち上がり、踵を返すと……クロトもその後を追うように、あわてて立ち上がった。
「あ、まだ立ち上がったらダメだって、傷口開いちゃうよ!」
「ぐ……あぁっ!」
「あぁ、いわんこっちゃない! ほら、座って…?そっと、そっとね…?」
唸り声を上げると、傷口に当てられた布からジワリと、血が染み出して……痛みに身をかがめた彼を、少女は慌てるように、肩そっとを抑えると、ゆっくりと壁の近くへ座らせ、背中をもたれかけさせた。
「く……悪い……」
少女はこの暗い世界で、日を灯すような明るい性格をしていた。 何だかホッと安心させてくれるようで、いつの間にかクロトも心を開き始めていた。
(こんな場所で、こんな温かい気持ちになるとは思っていなかったな)
まるで――はじめて友達が出来たような、嬉しい気持ちが心の中から込み上げてくる。
身体中に負った傷の痛みに耐えながらも、少女とのやり取りに少しずつ心が和らいでいくのを感じていた。 暗くて寂しいこの世界で、たったひとりで孤独に染まることなく、正気を保っていられるのも…この少女が彼の傍で優しく声をかけ続けてくれた、そのおかげなのだ。
クロトは、ふっと目を閉じた。
『――クロト』
一瞬の事なのに、閉じた瞼の奥で、光り輝く世界が目に映る。 霞んだ記憶の中で――微かにシエルの笑った顔が頭の中によぎって……やがて、溶けるように揺らめいて消えていった。 闇の底に閉ざされ、はるか遠く……手の届かなくなってしまった光を思い出すと、クロト静かに目を開けて、眉をひそめ、ギリッと歯を食いしばった。
動かそうにも、鋭い痛みが邪魔をして…‥思うように動いてくれない身体に、苛立ちを覚えた。
「…くっ(思うように動けない、自分の身体じゃないみたいだ)」
「ほらほら、早く治さいと! 自由に動けないよ!取りあえず、食べるのが一番だからね!」
「……食べる?」
「うん!よいしょっと! ほら、ご飯作って持ってきたから。 お粥くらいなら、食べられるでしょ?」
「いや、お腹は確かにすいているんだが……何も口にしたくないような……」
「もー仕方ないんだから……」
少女は持ってきた器を手に持ち、スプーンで粥をすくい上げた……熱を冷ますように、フーフーと息を吹きかけている。 少し冷めたのを確認すると……間髪入れずに、ズボッと彼の口の中に粥を押し込んだ。
「あづっ!!(や、やけどする!!)」
「えぇー?結構冷ましたんだけど…」
クロトは、少し涙目になりながら、ゴクリと粥を飲み込んで、困った表情を浮かべていた。 少女は、その顔をみるや否や……自分の手の甲に少しだけ粥を乗せ、その温度を確かめた。 幸いやけどする程の温度ではなかったようで……少女はくすっと笑うと、クロトの顔をまじまじと見つめた。
「もしかして……猫舌なんだぁ?」
「んなっ……!! い、いきなりで驚いたっていうか……もう自分で食えるし!」
「へぇ~じゃあ、ご自分で食べてくださいな、はいどうぞ」
「くっ……(自分の事くらい――自分で出来る…っ!)」
クロトは、横取りするように少女からスプーンと器を奪い取ると、器から上がった湯気に顔をしかめ……フッと決心したように意気込み……そのまま口の中に無理やり一気に掻き込んでいった。」 涙目を浮かべて「あづっあづっ」と言いながら食べている彼を見ながら、少女は目を細めてにこにこと笑っていた。
「はは…ふぅん……猫舌ねぇ~今度はもう少し冷ましてあげるからね~」
「…こ、子ども扱いするな! 悪かったよ、猫舌で――
「あはは、へーきへーき!じゃあ、また後でね」
クロトは、ゴクリと喉を鳴らして粥を飲み込むと、口を尖らせて少女から目をそらし、その器をグッと差し出した。 少女は、空になった器を受け取り、近くにあった板の上にのせ、それを持ち上げてゆっくりと立ち上がる。 少女の後ろ姿を見つめ、クロトは壁から身体を少し離すと、小さく声を出して少女を呼びとめた。
「なぁ…!」
「ん?なぁに?」
「その……ごちそうさまでした…」
「はぁい、どういたしまして、じゃぁね~」
少女は、片手を板から離して、クロトに手を振りながら、鉄格子の扉をくぐって外へ出ていった。 ガチャンッと、鉄格子に鍵のかかる重たい音が、牢の中へ響き渡った。 少女はコツコツと足音を鳴らし、軽快に階段を上っていき、近くの古びた木製のドアを抜けてどこかへ消えていった。
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再び沈黙が訪れて、シーンとした牢獄の中、憂鬱な時間は静かに流れて行く。 クロトは、ゆっくりと手を上げ、手首をそっと眺めた。 魔力を打ち消す封印は、まるで本当に自分が“災いの神子”であると証明するかのように、手枷に施されている。
(これはいつか、外してもらえる時が来るのだろうか?)
身じろぐ度に鎖が音を立て、自分が繋がれなければいけない存在なのだと思い知らされれていく。 自分の事を看病してくれる少女たちが、一体何を考えてそうしているのかも分からない。
(――この檻の中で、一生このまま繋がれて生きて行かなければならないとしたら……)
「“災い”…俺…」
彼の微かな呟きは、冷え切った床に吸い取られて儚く消えていった。 いつか、この場所から外へ出る事は許されるのだろうか? そんなことさえ、きっと許される事は無いのかもしれない。
(自由を奪われて、牢獄の中、鎖につながれて……なんて、最悪な運命なんだろう)
彼の心は今、自分自身を見失っている気がして、胸の奥から込み上げてくる不安に「はぁ…」と、ため息ばかりこぼしていた。
「うっ……うぇっ……(ま、まずい、吐きそう……)」
腹の底から先ほど食べた粥が戻りそうな気配がして、吐気を催すと、サッと顔を青ざめて口を両手で抑えた。
(あの粥、恐ろしいほどまずまずかった!! 一体、何を入れたらああなるんだよっ!)
少女の持ってきた粥は、あまりにもまずく、クロトは吐き気をこらえるのに必死になっていた。 粥を一口食べると、雑草のように青臭く、中に入っていた穀物さえ芯が残ってガリガリとした不可解な食感だった。
しかし、この状況でわがままを言える立場ではない事はクロト自身が良く知っている。 何も口にしたくはなかったが……仕方なく。 出された物を食べるしか、生きる術はないだろう。 胃の中に何かを入れさえすれば、身体はゆっくりと回復していき――生きる気力だけは保てる。
「くぅう……取って食うにしても、もう少しましなものを食わせるはずだぜ!」
彼は無理やり吐き気を抑えると、天井を見上げて呟いた。 まだ、胃の中であの粥が暴れて、何度も込み上げてくる胃液に、クロトは気を紛らわせようとして首を横に振った。 やがて、少しずつ吐き気が引いて来ると、クロトは深く息を吐き……口元を手で拭った。
(し……死ぬかと思った……こんなところで、吐いてたまるか……っ)
「くそ……随分弱くなっちまったなぁ……」
(おれは、こんなにも非力な存在だったなんて……思ってもみなかった)
こんな場所に来るまでは……自分にも、村の人達にも甘えていただけで……平和な毎日だったのは、みんなが気を使ってやってくれていた事だと改めて感じた。
(一人でも生きていけるって…どこかで自分を過信しすぎていたのかもしれない)
「今更、気が付いた所で――もう遅い」
悔いる気持ちを抑えきれずに、ギュッと拳を握りしめ……ふと、この奈落の底で出会った二人の顔を思い浮かべた。 あの神天台の大穴を通って、土の中に埋もれているこの場所に――誰かが住んでいるとは、今まで本当に考えた事もなかった。
(あぁ――許されるなら、外の世界に帰りたい)
しかし、その願いは届くことなく……彼は深い闇の中に埋もれていた。 もう、村に戻ることは許され無いのかもしれない……黒い翼に怯えた、人々の――目。 災いの神子である自分は、村に必要のない……むしろ、消えて欲しい存在だったのだと知ってしまったから……。 彼はもう、外の世界へ戻る希望すら自分には残されていないのだと、諦めてうなだれることしかできなかった。
クロトは、考える事さえ疲れ果て……頭は重く、どうしようもない眠気が襲って、ゆっくりと瞼を下ろした。 壁にもたれかかりながら――今、感じている痛みと苦しみから逃れるように……身体は夢の中へ沈んでいく。 彼は静かに寝息を立て始めると、物音ひとつしない空間の中、彼の吐息だけが聞こえていた。
彼の意識が夢の中に溶けて行くと、傷口からぼんやりと淡く光る青の筋が広がるように根をはって、彼の身体を包み込んでいく――解けた糸をゆるやかに結び付けるように、魔法の力が波紋のように肌を伝うと、深く刻まれた傷跡をゆっくりと癒していく。
『きっと……もうすぐ……』
『あなた自身の、本物の“花”が開花する……』
それはまるで、幼い頃に――いや…もっと、ずっと……触れられない程遠くの記憶の中にある……温かくて優しい、懐かしい声が……そっと響いていた。
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