✦✦Episode.20 傷だらけの足✦✦

✦ ✦ ✦Episode.20 傷だらけの足




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 シエルは静かに村へ戻ると、門の陰に身を潜め、村の様子を眺めていた。 夕暮れ時の空は、オレンジ色に染まり――村中の家の屋根を優しく照らしている。 村の大人たちは、皆仕事を終え、黙々と家へ帰る支度をしていた。


 やがて、皆家の中に戻り、人の気配が少しずつ減っていく。 シエルはゆっくりと村の中へ足を踏み入れた。 家の煙突から柔らかい煙が流れて……美味しそうな夜ご飯の香りが村の中に漂っている。


(こんな時でも、嘘みたいにお腹がすくのね……)


 おいしそうな香りに、思わずシエルのお腹がぐうっと鳴った。 朝、目が覚めてから……まだ何も口にしていないことを思い出して――身体はフラフラとしながらおぼつかない足取りで村の中を歩いて進む。


「おかぁさん、お腹空いたー!」

「はいはい、もうできるから皿用意してー!」

「え~お母さんがやってよ~!」

「こんのっーまてぇ――っ!」

「ベー!きゃははは――!」


 通り過ぎて行く家の中から、幸せそうに笑う子供たちの声が聞こえて来る。 今は忘れてしまったけど、きっと自分にもそんな瞬間があったのだろうかと、懐かしい記憶を辿る様にして目を閉じた。


(やっぱり、あの森で目覚める前の事は……何も思い出せない)


 記憶がすっぽりと抜け落ちて――自分自身が産まれた場所も、親の名前も……何もかもが思い出せずに、残るのは彼への思いと……ただ辛い気持ちだけだった。

 ノアの医院の前までやってくると、チラリと横目で流し見て、その場を静かに通り過ぎて行く。


(まだ……行かなければいけない所があるの)


 あの日、運命の歯車は回り出し――全てが始まった。 あの神天台ばしょへ向かって、シエルは重たい足を引きずるようにして、一歩ずつ確実に進んでいった。 


(私がクロトを突き落とした……その真実を、この目でしっかりと確かめないといけないわ)

(だからまだ、あの家には戻れない)


 体を置いてきぼりにして、気持ちだけが先に行こうとしている。 泥とにまみれ、傷だらけになって痛む足に、顔をしかめながらも一心に歩き続けた。 ふと、道の先をみると――道の外れに、花が沢山咲き誇っている場所を見つけた。 


「クロト……ここで、私たち手を繋いで――私の世界を貴方に見せてあげたよね」

「あの時は、花の隙間から珍しい妖精が飛び出して、ラッキーだって…私…一人ではしゃいでいたよね」

『今度また、お前の世界を見せてくれるか…?』

『もちろん――約束ね』

『約束か、いいな、それ』


 二人で小指を繋ぎ合わせて、交わした小さな約束。 あの時、クロトは何かを言いかけて――少し照れながら、帰り道を慌てて走っていった。


「本当は――ちょっと聞こえてたんだ。 でも私……バカだから、目をそらさないで言って欲しかった」

「クロト……約束したのに、ごめんね。 でも…もう…見えなくなっちゃったの…あなたに、私の世界を見せる事は、もう出来ない……」


 胸がギュッと締め付けられてとても苦しい。 もう、歩く気力もなくなって、この場所で立ち止まってしまいそうだった。

 見つめた先に――沢山に数を増やしたランタナの花。 赤や黄色…ピンクにオレンジ…色とりどりに咲いて、風に揺られている。


(バカ……いつまで泣いてるの、私……)


 シエルは唇をギュッと噛みしめて、道の先を見上げた。 神天台の頂上は、今いる場所からは霞んで見えている。

 震える足は、何とか一歩を踏み出した――その時。


「「シエルねえちゃん!!」」


 村の子供たちの叫ぶ声が、シエルの耳に届いた。 子供たちは一目散にシエルの元へ駆け寄って、ギュッとその腕にしがみついた。


「みんな…? どうやってここに……?」

「へへ、おれたち、ひみつの抜け穴があるんだ」

「おかあさんに、ないしょででてきちゃった……」

「わたくしたちの、秘密の伝達網で、ございます、ふっふっふ」


 子供たちは、それぞれ自分の言いたいことを我先にと呟いていた。 シエルはよく聞き取れずに、困った表情をしながら、腕にしがみついている子供をそっと撫でた。


「えっと……よく聞こえないの、一人ずつお願いね」

「わたしたち…シエルおねえちゃんに、おねがいがあって、きたんです!」

「お願い…?」


 子供たちは皆――小さな手でたんぽぽの花を握りしめていた。 今にも泣きそうな顔をして、シエルの顔を見つめている。 シエルが優しく微笑みを返すと、震えながらその口を開いた。


「さいきん、パパもママもへんだ…クロトおにいちゃんを、わるいひとっていうんだ!」

「シエルおねえちゃんは…そんなこと、おもってないよね?」

「えぇ…彼は優しくて…素敵な人だよ」


 シエルは静かに、そして淡々とした声で答えた。 彼女の言葉を聞いて、子供達は安心した表情を浮かべ、こらえきれずに目からポロポロと涙をこぼし――少し離れて様子をうかがっていた子供たちも、シエルの近くに一斉にあつまって、ギュッと抱き着いて大きな声で泣き出した。


「うえぇん…っ!!」

「おねえちゃあん!」

「よしよし、大丈夫……大丈夫だから、泣かないで」

(あぁ…泣かないでなんて、私が言える事じゃない。 でも――こんなにもクロトは子供たちから慕われていたのね)


 シエルはそっとしゃがみこんで、子供たちを安心させるように頭を撫でながら真っ直ぐな瞳で子供たちを見つめていた。 子供たちの泣き顔は、くしゃくしゃになって、目からも鼻先からも……抑えられない悲しみがあふれ出し、流れていた。


「うえぇん…シエルおねえちゃん…っおいにちゃんのこと、さがして…っ」

「ひっく…ぼくたち…うぅっ、にいちゃんのこと…しんじてるんだもん」

「うわあああん――」


 子供たちは、グッとシエルの前へ、手に握りしめていたたんぽぽの花を差し出した。 シエルはそれを、一本一本大切に受け取っていく。 中には、手の中の熱で萎れてしまった花もいくつか混ざっていた。 それでも――子供たちの思いを無駄にしないために、静かにその花をまとめて行くと……一つの小さなたんぽぽの花束にその姿を変えた。


「こんなに沢山……ありがとう、私も…クロトお兄ちゃんの事…信じてるよ」

「クロトおにいちゃん、ぜったいかえってくる?」

「…心配しないで、きっとこまた、ここに一緒に来るよ」

「うん…っやくそくしてね!ぼくたち――まってる!」

「わたしも、おにいちゃんたちがかえるまで…ちゃんと、ママとパパのおてつだいしてまってる!」


 子供たちの顔に、だんだんと笑顔が戻っていく。 真っ直ぐ前を見るその強さに、シエルの折れそうな心も、再び勇気を取り戻して、そっと顔をあげて、しっかりと力を込めて立ち上がった。


「おーい、夕ご飯できたよー!どこにいるんだい―?」

「あら、お宅も?…まったくどこ行ったのかしら…おおい!子供ーっ!返事しなー!」

「元気で仕方ありませんわねぇ~ほほほ…おぉーい!戻ってらっしゃぁーい!」


 すっかり夕飯の支度が整って。 母親が、居なくなった子供たち心配して呼ぶ声が、村の中から聞こえて来る。 子供たちは、振り返ってそれぞれの家の方に視線を移した。


「さぁ、お母さんが呼んでるよ!帰らないと、叱られちゃう…」

「やっべーうちのかあちゃん、怖いんだよー怒られるかなー?」

「ふふふ、君が怒られる確率はおおよそ50%約半分というところですね」

「えー、ヤダー!」

「じゃあな、しえるねえちゃん!」


 子供たちは踵を返し、それぞれの内の方向へ駆けだしていった。 そして、一人の子供が立ち止まってシエルに向かって振りかえり 「おねえちゃん、さっきのやくそく、ぜったいだよぉ」と、叫びながら――再び地面を蹴って走っていく。


「うん――約束ね」


 シエルはぽつりとつぶやいた。 子供たちは途中、何度も振り返りながら「ばいばーい」と、手を振っていた。 シエルの目の前から、子供たちが皆姿を消し、賑やかだった場所には静寂が訪れた。


(私、決めた)



 子供たちに沢山の勇気をもらって、シエルの心の中には、力強い決意が芽生えていた。 ベラスが言ったあの言葉。


『“ルシフェル学園都市”…そこに“鍵”がある』

「私、行くわ…! ルシフェル学園都市へ!!」




✦ ✦ ✦


 シエルは、そっと神天台の広場に足先を付けた。 神天台のふもとから、緩やかに翼を広げてここまで飛んでやってきた。


「すごく荒れてる。 酷い……」


 広場の中は、地面が削れ、粉々に砕けた小石があちこちに散らばっている。 夕日に反射したガラスの破片がキラキラと輝いて、そこで起きた出来事の衝撃の強さを物語っていた。

 中心部分にあったはずの大穴は、その場所には何もなかったかのように、跡形もなく消えていた。 シエルは、微かに盛り上がった部分に片膝をついて、そっと地面をなぞる。


「間違いない――ここで、私がクロトを落としたのね」


 ハッキリとは覚えていない。 けれど、シエルは確信していた。 この場所に、大穴があって、そして……彼はここから地の底へ落ちて行った。 


(どこまで深いかもわからない。 生きてる望みは――あるのかしら……)

「…っ! お願いっ…! 生きててね…絶対よ…」


 シエルは地面の上に、そっとたんぽぽの花束を手向けた。 ふと、何かを感じて顔を上げると、立てられた灯の傍に、黒い羽が一枚だけ引っかかって、静かに風に揺られていた。


(こんなところに)


 シエルは、黒い羽をそっと手に取ると、自分の服から一本の紐を抜き取り、羽と結び付け――首元に下げるようにして服の中に目立たない様にしまい込んだ。

 それと同時に、ノアが、後ろから優しく語りかける声が耳に届いた。


「シエルや…もう暗くなる、一度帰っておいで…」

「ノアさん……? どうしてここがわかったんですか…?」

「おばあちゃんは、なんでもお見通しさ…」


 子供たちが、家に戻った後……ノアは医院から外を眺めた。 すると、神天台へ向かうシエルの後ろ姿が遠くから見え、彼女を追いかけて、この場所までやって来た。

 シエルは決心した表情で、ノアの顔をじっと見据えた。


「ノアさん、私…クロトを探しに行く」

「あまりお勧めしないね、まったく――その足で行くのかい? 靴ぐらい、履いたらどうだ?」

「あっ……私ったら、靴も忘れていたの?」


 傷だらけで、血が滲んでいた足をノアが指をさすと、シエルは、今まで裸足でいた事にやっと気が付いて、驚きの表情を浮かべた。


「ま、とりあえずあったかいスープでも飲んで、その足直してから考えな」

「はい…」

「さ、いったいった」


 シエルが、ノアに流されるように、一足先に医院へ羽を広げて神天台を降りていく。 その後ろ姿を、ノアがじっと見つめていると――フワリと、風の精霊がノアの元へと舞い降りた。


「風の精霊、シルフィー族よ…あの子は、今夜中に立ってしまうだろうね…」

「はい…ノア様…そう思われます…」

「私は、この村を離れられない…お前が代わりにシエルを見守ってやってくれ」

「はい…仰せのままに…」


 風の精霊は、再び空に舞い上がって、虚空の中へスゥっと溶けて消えていき…静かな夜の風となって、優しく村の中を吹き抜けた――


『――生きててね…絶対よ』

『誰?……誰かの思いが聞こえる』

『光の神子の……思い……ならば、私が届けよう』 


 眠っていた土の精霊が、花に込められた思いを微かに感じ取り、そっとたんぽぽに手を触れた。 地面は、ほんの少し、花の真下に小さな空洞を開いて――花は静かに穴の中へ沈み込んでいく。 土の精霊は落ちていく花を見届けると、穴は音もなく閉じられていった。




✦ ✦ ✦


「痛っ!」

「我慢おし、まったく……靴も履かないで行くとは、大切な体を傷つけたらだめじゃないか」

「はい……返す言葉もありません」


 ノアは、シエルの足を優しく治療し包帯を巻きつけていると、シエルのお腹がぐぅっと音を立て、面白くなって大きな声で笑い出した。


 そして、すぐに食事の準備を整えると――暖かいスープを器に入れ、シエルの前に差し出した。 照れながらも、シエルは一思いにスープを飲み干していく。 その夜…ノアは自分の部屋の中へ戻ると、シエルも後から追いかけるようにして、自分の部屋へと戻っていく。


 夜更けに、カチャりとノアの部屋のドアがわずかに開く。 老婆はその気配に気が付いて、ゴウゴウと寝息を立てて、寝ている様に見せかけた。


「さようなら…ノアさん…黙っていなくなること、お許しください…」


 ノアの寝息を確認した少女は小さな囁き声で呟くと、そっと部屋のドアを閉めた。 老婆は静かに、部屋の窓から外を覗くと、旅行く少女の後ろ姿を見守った。 純白の少女が、一人…村の門を抜けて行く。


「エンタス…」


――ポトンッ

 シエルの目の前に、小さな袋が落ちてきた。


「さぁ、心のままにお行き…これは、わずかばかりの、ばばぁからの贈り物さ」


 それは、ノアがいつも腰に括り付けていた革の袋だった。 シエルは、革の袋を手に取って、中をそっと開いてみた。 沢山の道具たちが、小さな光となってその中にぎゅうぎゅうに押し込められていた。 何と、その袋は……物を光にして仕舞う事の出来る不思議な革の袋だったのだ。


「ノアさん…っ」


 シエルは、革袋をギュっと握りしめ……そのまま、村の外へ向かって一目散に駆け出した。



――さようなら、ノアさん。

 …さようなら、アルテラ村の子供たち――


 目指すは――

――魔法と知の天使達が集う場所。

     ――ルシフェル学園都市へ――!!


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