✦✦Episode.18 光の神子✦✦

✦ ✦ ✦Episode.18 光の神子





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「――そうさ、全部“いつわり”だったのさ」

「だれ!?」


 シエルが、そこに居る影の姿を一目見ようと顔を上げた、その時――突然視界が真っ暗になったかと思えば、ゾッとするような男の声が背後から聞こえ、身体の自由を奪われ、シエルは心の底から恐怖に震えた。


 非力な妖精たちは、目を見開き怯えた顔をして、羽音を鳴らしながら……高速に木の陰へ向かっていく。 そのはねは、太陽の光彩を帯びて七色に反射し――空を切り、周囲に散り散りになって、その姿を隠した。

 木の陰から、顔だけをチラリと覗かせてシエルの事を遠くから見守っている。


「いやっ!やめてっ!離してっ……!!」


 シエルは、必死になって逃げようともがいていた。 何とか引き剥がそうと、両腕に力を込めても――か弱い少女がどれだけ抵抗したところで、自分よりも大人の男性に敵う筈もなく……感じる“無力”さに、シエルは愕然とした。


「だめじゃなぁい……? こんなところを1人で歩いたら、“獲物です・・・・”って言ってるようなものよぉ?」

「ひっ……誰なの……?」


 シエルの進もうとしていた方向から、パキパキと地面の小枝を踏む足音が聞こえてきた。 この場所に、クロトが自分を待っている……という淡い期待はもろく……あの時のガラスのペンダントのように砕け散った。

 代わりに、目の前からねっとりと絡みつくような女の声が耳に届いた。


「あらあら……んふふふ……ここで待ってれば、必ず来ると思ったわ――シエルちゃん?」

「――なぜ、私の名前を知っているの…?」

「なんでってなぁ……?くくくっ…。 ずっとお前を、見ていたんだぜ…?…ルシルフィアのお嬢様?」

 

 男は唇をシエルの耳に当てると、首筋から背筋がゾっと凍り付くような囁き声で呟いた。 足は恐怖でガクガクと震え、立ち上がっているのも、やっとだった。


「ひっ……やめてっ……あなたたちは一体、誰なの!?」

「俺様か――?くくっ、俺様はぁ~神反軍ベラス・ラルトだ…覚えておきな…くくっ、覚えておけるならなぁ…?」

「くくくっ――シエル・ルシルフィア、お前は…」

「んもぅ! ベラくぅん……他の女の子にくっつきすぎぃ~! それに、相変わらず煩いし…んふふふ」


 パタパタと、シエルの目の前で小さな翼が羽ばたく音がした。 思ったより、目の前に居る女は身長が低いようで、シエルの肩に手をかけると……耳元で、小さくちゅっと聞こえて来た。


「アハッ、口封じぃ~」

「ふっ……たく…こんな所で、俺様はまだ“動いていい”なんて言ってないのになぁ?」

「んふふふ…やだぁ、お仕置きでもするのぉ?――ねぇ、シエルちゃんのせいで、ベラ君に嫌われるところよ……?」

「ひっ……!」

「ベラ君だけは、あげないんだから――ンフフ!」


 突然女の声色が豹変し、シエルの顎を掴んだ。 身動きが取れない身体は……震えが頂点に達し、意識が朦朧としはじめていた。 女は、羽ばたきをやめ、ストンと地面に足を下ろした。 響く女の笑い声は艶めかしく……目の前で「キュポンッ」と小瓶の蓋を開けるような音が聞こえて来た。 


「ねーえ?あたしは、セレア……名前、忘れないでね? んふふふっ!!」


 ベラス・ラルトの手によって、シエルの視界は奪われたまま……冷たいガラスの小瓶を、無理やり唇に押し付けられ、中から嗅いだことのある匂いが漂って来た。


(こっ――“これは”あの時の――“毒の液体・・・・”)


 小瓶が傾けられて、中の液体が容赦なくシエルの口の中へ注がれていく。 シエルは必死に顔を背けようと抵抗するも、男の腕に顔を押さえつけられて、動かすことが出来ない。


「んっ…んっん――!(飲んではいけない!! 何とかして、逃げないと!!)」


 シエルは、空いていた手を思いっきり振り上げた――セレアが持っていた小瓶は、地面に投げ飛ばされて「コンッ」と音を立てながら、茂みの影に入り込んでいく。


「…かはっ…うっ…ゴホッゴホ!!」


 シエルはむせ込みながら、無理やり液体を口の外へ吐き出した。 液体は口元を伝い、地面まで一直線にぽたぽたとこぼれ落ちて行った。


「チッ……あーあ、全部出ちゃたねぇ、もったいなぁい~」

「くくっ…一滴でも飲み込めば充分さ…さぁ、俺様の声を聞くんだ…」

「うっ…なに……や…め…」


――ベラスの声が、頭のなかで反響し始めると、ザラザラと心地の悪い声で舐め上げられるように、耳元で聞こえてくる。 砂のような声に、シエルはボーっとして、抵抗する気力すら失っていく。


「あの日、お前を地の底へ落とすハズだった…」

「…っな……ぜ…?」

「ふふふ…“光の神子”である、あなたが邪魔なのよねぇ~」

「…私が、光の…み…こ…?」

「そうさ、そして、お前が、災いの神子を、地の底へ――“浄化おと”したんだっ…っくくっ…面白いだろ?」

「い…や、そん…な…の信じたく…な…い…」


 シエルの瞳からは、ポロポロと涙がこぼれていく。 立ち上がったはずの心が、ゆっくりと時間をかけながら…押し込められてへし折られていくようで……息も出来なくなる苦しさに、溺れていく。 震えながらか細い声で泣き声を上げるしか出来なかった。


「ひっ…わ…た…しは……彼を信じ……た、い…」

「くっくっ…! いいじゃないか、そんなにあいつの事を思っているなら――居場所おしえてやってもいいぜぇ?」

「いば…しょ?…クロトは……どこ…なの……?会い、たい…クロトの所に……いきたい……」


 聞いてはいけないと分かっているのに――本心は勝手に口からあふれ出していく。 まるで――目に見えない銀の糸に操られた、人形のように。 シエルの舌は心の底にある願いを吐き出して……すがる様な声で小さく呟いていた。

――男の声は、乾いた砂をこすり合わせるような音色で耳に届き――徐々に魂の中まで侵入して行く。 シエルの腕から力が抜けて行く――腕をダランと垂らして男の腕の中に沈み込んでいった。


「くくっ…素直になって来たじゃないか。 そうだなぁ“ルシフェル学園都市”…そこに“鍵”があるかもしれないなぁ?」

「…ルシフェル…学園都市…? 聞いた事…ない……」

「覚えてないか? ――それも、また“面白い”…。 さぁ、俺様と一緒になって――言葉を続けろ!」


 男は、片手でシエルの手を掴むと、手のひらを無理やり宙に向けさせた。 シエルの身体は、先ほど口にした毒に支配され……ぐったりとして、いまさら抗うことすら許されなかった。


「光の神子、シエルが命じる…」

『…“光の神子”……シエルが……命じる…(や……めて――っ嫌!!)』


 一瞬のうちに、頭の中で誰かの記憶が蘇る――未来なのか、過去なのか…そこに見えたのが、一体誰なのかも分からず…聞こえた声は、シエルにその男と同じ言葉を続けてはならないと警告している。

 


『「悪いことは言わない…今すぐ帰りなさい!」』

『「「な…んで?…だめ…**探さなきゃ」』

『「でも、忘れたくないなら、それしか方法が無いの!**君の為にも!」』

(やだ、いやだ……これは誰の記憶なの? お願いだから、やめて!!)


 シエルの意識は、まるでガラスの中に閉じ込められたかのように、曇った声が頭の中で響いている。 身体がふわふわとして……今立っている場所が夢なのか、現実なのか分からない。

 

「「“記憶の扉”に通じ……」」


『「早くしないと…全て――しまう!愛おしい**の事も!」』

『もう――間に合わない――!!』


 ベラスの言葉と、何かの記憶が頭の中で混在している。 意識が、黄金色の輝きの中へ吸い寄せられるように引っ張られていく。 見たことも無い景色、聞いた事もない声……消えて行ったはずの誰かものがたりの声が――シエルの頭の中へ流れ込んでくる。


『ごめんなさい…私には止められなかった』

(どうして、謝るの――あなたが悪いんじゃないのに……)


 ただひたすらに、声は謝り続けた。 痛いほどに伝わってくる誰かの思い……その記憶は、シエルがクロトを思う気持ちと、同じ“心”だった。

 少しずつ、たくさんの声が混ざりあって――まるでノイズのように聞こえてくる中、ひときわハッキリと聞こえて来る声が旋律となって頭の中で流れて行く。


『――何故……何故なのですか!!』

『我は――』

(――知らないはずなのに……私はこの声を知っている気がする)


 白い魔法は、シエルの身体を全て包み込み、額の中心から体の中へ溶け込んで――最後の一言まで、その言葉を唱えることを待ちわびている。 周囲にいた妖精たちも、その光に吸い寄せられるように集まって……愛おしそうにその光の中へ身体を沈めて行き――キラキラと輝きながらその中で消滅していく。

 その姿を、別の妖精たちが涙を流しながら見つめていた。 小さな肩を震わせながら……その後を見届けようと、共に光の中へ行く事を諦めて――笑いながら消える、大切な仲間たちを旅立たせるように――手を振って見送っていた。


「「白い魔法の“忘却”の彼方へ、その身を沈めよう…」」

(いやああぁぁああああ――!!)

「「フォル・アルト!!」」





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『し…え…る――僕らも君と……共に……』


 黄金の光は閃光となって、目にも止まらない速さで、天高く上がり、周囲を明るく照らしながら弾け飛んでいく。 ひらひらと舞う花びらたちは、喜びと悲しみを抱えながら、風に誘われてどこか遠くへ飛んでいく。

 光が消えるとともに、ベラスがシエルの身体を解放し――ゆっくりと……身体が地面に向かって崩れ落ちて行く。


「あっはっは!!大成功!!自分で自分に魔法をかけるなんて…っ!」

「やったね、ベラ君!!最高だよぉ…っ」

「たまんねぇよ、シエルお嬢様ぁ――?」

「「アッハハッハハッハハ!!!」」


 ベラスは、頭を抱えて震えながら大きな笑い声をあげた。 セレアも、それに続いて口元に手を置き、ベラスを称えるようにニタニタと笑っている。 まるで、本物の悪魔のような振る舞いが垣間見えて――シエルは悔しさに震える手を握りしめた。


――カチッ。

(とけい…の、音……?)  


 シエルの中で、一秒ずつ確実に……時を刻む秒針の音が鳴り響き始めた。 重たい身体が崩れ落ちて行く中――ベラスとセレアの顔がふと見えた。


 黒いローブの隙間から、蒼い髪と、青い瞳を覗かせて――今起きていることを楽しんでいるように、ベラス・ラルトはニタニタとシエルを見据えて笑っている。 


「んふふ、ねーえ? これはあたしからのお土産……どぉ?直してあげたのよ…?優しいでしょ?」

「これは……(だめ…ここで気を失うわけには……)」


 ぐらぐらと視界が揺れて、霞んでいく視界の中で…セレアがシエルの首に何かをぶら下げ……手の中に何かをそっと握らせた。 近くで見えたセレアは――まるで、血のような真っ赤な髪色をして、赤くルビーに染まった瞳を輝かせていた。


「じゃあ、ね?シエルちゃん――まぁた会いましょう?…次に会った時は、私の事なんて覚えていないでしょうけどね」

「くくくっ……さぁ、セレア――行くぞ、じゃあな。 ルシルフィアのお嬢様ぁ」

「ねーえ、べらくぅん…セレア、飛べない。 抱っこしてぇ…?」

「くく……もちろんさ……俺様がそうしないことはあったか…?」

「んふふ、無いわ……」


 セレアは、ベラスの肩にちょこんと乗ると――二人の身体はサラサラと風の中に砂のように散って溶けて消えて行った。 誰もいなくなった森の中はとても静かで――静寂の中シエルはひとり……その場でパタッと意識を失った。


 遠くで見つめていた妖精たちは、恐ろしい気配が無くなったのを確認すると、シエルの元へ再び舞い戻っていく。

 彼女が目を覚ますまで、じっと傍に寄り添い見守っていた。

 薄くて透明な羽が、くるくると万華鏡のように踊りながら、太陽の光に照らされてキラキラと七色に輝いている。 散って言った仲間たちの花びらを一枚、また一枚と集めては……まるで花の飾りのように、シエルの周りに散りばめていった。


『しえる…君は独りじゃない。 僕たちが傍にいる。 だから――前を向いて、歩き出すんだ』

『君の中へ消えて行った仲間たちも、きっとそれを望んでいる』

『僕たちは――非力で……君を直接助ける事はできないけど……』

『ぼくたちは……シエルが、大好きだよ』


 ジワリと、シエルの指先に絡みついていた花の根から、葉が数枚枯れ落ちた。 妖精たちはその葉に触れないように、ふーっと息を吹きかけると、葉は砂になりながら……風がその場から遠ざけるように優しくさらっていった。

 

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