第39話 邪神襲来・1

 翌朝、体調がすぐれないという理由でルナリアは朝食を断った。

 侍女のサラが心配して消化のよさそうな食事を運んできたが、ルナリアはベッドから出るのも億劫おっくうだった。


「ジェレル様は早朝から遠出をなさったそうです。執務室に陳情書が山のように届いているのに、お急ぎのご用でもできたのでしょうか」

 

「さぁ、どうかしら。息抜きにお出かけされたのかもしれないわ」

「それならルナリア様も誘ってくださればいいのに」

「きっと私と一緒にいると息が詰まるのよ」


 ルナリアは苦笑いを浮かべてようやくベッドから起き出す。

 昨晩のことを知らないサラは、「そんなことありません!」と怒ったように声を荒げた。


「ルナリア様と一緒にいるジェレル殿下は、とても優しい目をされています。癒されることはあっても、息が詰まることなど絶対にありません!」


 無条件で味方をしてくれるサラの存在が、今のルナリアにはありがたくて心にみた。


(それにしても、私……昨晩はジェレル様の部屋で大胆なことを……)


 あまり眠れなかったが、頭が冷えてから思い返すと自分の言動が恥ずかしくて仕方ない。自室の中をウロウロと歩き回ってみたが、いてもたってもいられない気持ちがさらに強くなっただけだった。

 

 王太子妃修行も残りわずかとなり、今後は王妃とともに王宮で行われる行事の準備を手伝うことになる。

 ジェレルと顔を合わせるのが気まずい今日は、むしろおしゃべりな王妃の話を黙って聞いているほうが気楽に過ごせる気がした。


 ルナリアは身支度を整えると、王妃の応接室へ向かう。

 階段を下り、中庭を抜けると、妙なにおいが鼻についた。辺りを見回してみるが、特に変わった様子はない。それでもルナリアは踵を返し、自室から剣を持ち出した。


(確か仮面舞踏会の夜にも、このにおいを嗅いだ気がする)


 ルナリアは注意深く階下へ進み、サラを従えて廊下を歩く。

 妙なにおいが強くなってきたので、いつでも剣を握れるよう身構えた。


 王妃専用の応接室へ近づくにつれ、においがはっきりしてくる。同時にルナリアは、辺りが静かすぎることに違和感を覚えた。


「王妃様……?」


 ルナリアは応接室の手前で声を上げた。

 部屋の中から返事はないが、わずかに人の気配を感じる。静かだが、息を潜めているような――。


「ルナリア、来てはダメ!」


 短く言い放ったのは王妃だった。

 ルナリアは応接室の戸口に立ち、室内の光景を目にした瞬間、ためらわず鞘から剣を抜いた。王妃をはじめ、室内にいたすべての者が、獣人のような姿の妖獣に捕らわれていた。


「ヒーッ、ヒヒッ! いつも威勢のいいお嬢さんだ。でも今日はおとなしく一緒に来てもらうよ」


 王妃の手を後ろで縛り、羽交締めにしているのは、王妃より少し背の高い少年だった。おそらく侵入者の中で唯一の人間だ。

 煤けたような着古した黒いローブを身につけているので、魔導士なのだろう。声に聞き覚えがあるので、仮面舞踏会の夜にルナリアを襲撃した連中の一人に違いない。


「あなたは誰? 王妃様を離してちょうだい」

「ふーん。ちゃんと王太子妃らしくなったんだ。感心だね。でもさ、王太子はお嬢さんを怖がっているんじゃないか?」


 ルナリアは少年魔導士の言葉に眉をひそめた。

 彼が何を知っているというのか――?


「いいから、その手を離しなさい」

「気になるくせに。不仲説が出るのも当然だよ。王太子はお嬢さんに触れるのが怖いはず」

「黙りなさい!」


 少年魔導士は歯を見せて「ヒーッ、ヒヒッ」と笑う。


「知りたいくせに」

「いい加減にして」

「じゃあ剣を手放して、こっちに来なよ。僕が用のあるのはお嬢さんだけだからさ」


 少年魔導士が王妃を捕まえたまま、ルナリアのほうへ一歩近づく。

 王妃はルナリアをまっすぐに見つめ、首を横に振る。


「ルナリア、私のことは構わず逃げなさい」

「いいえ、王妃様。私は大丈夫です」


 ルナリアは笑みを浮かべて、剣を自分の背後に投げ捨てた。

 そして少年魔導士に向けて両腕を差し出す。


「いい心がけだね。じゃあ行こうか」


 どこへと尋ねる間もなく少年魔導士が描いた魔法陣の中に引き入れられたルナリアは、王妃たちの前から瞬時に消えた。




 


 ジェレルは早朝から側近のティオだけを従えて、王都の東の外れにある小さな農村を訪れていた。

 農家の朝は早い。ジェレルが村に着いたときには、村人たちのほとんどは忙しく働いていた。


「静かな村を想像していましたが、活気がありますね」


 先導していたティオが馬の歩を緩め、ジェレルに並んだ。

 村人たちは王太子の顔を知らないので、ジロジロと物珍しげに見る者が多い。旅人が訪れること自体、めったにないようだ。ジェレルはそんな好奇の視線を少しも気にせず、目的地に向かって進んだ。


 村の中心部を抜け、牧場が点在する道の突き当たりに、古い小さな家が見えた。

 どれだけの歳月、風雨を凌いできたのか。黒ずんだ藁葺わらぶきの屋根は、しばらく手入れがされていないようだった。


「やけに静かですね」

「嫌な予感がする」


 ジェレルはティオの訝しげな視線を受け止めると、木の扉に手をかけた。

 慌ててティオが、ジェレルと扉の間に大きな身体を割り込ませる。


「ここは私が先に行きます」


 ジェレルは小さく頷き、一歩下がった。

 あらためて扉の正面に立ったティオが、大声で「突然の訪問、失礼」と家のものへ呼びかけた。

 しかし返事はなく、人の気配も感じられない。


 ティオは扉をノックし、「どなたかいらっしゃいませんか」ともう一度声を上げる。


「殿下、どうします……」


 振り返ったティオは驚いた。ジェレルが魔剣を握ったまま、苦しげに頭を抱えている。


「どうされましたか」

「ルナリアが……、あの妖獣使いに、捕らわれた……」

「王宮にヤツが現れたのですか?」

「そのようだ。ルナリアは……もういない」


 ティオは目を見開いたが、すぐに立ち上がり、勢いよく扉を叩いた。


「ガルフ殿、いらっしゃいませんか? 王宮から参りました。王太子殿下が貴殿をお召しです」


 家の中からは一向に返事がない。

 ティオは深呼吸の後、ついに扉に手をかけ、おそるおそる取っ手を引いた。


「ガルフ殿! いらっしゃるなら……」


 家の中へ踏み込んだティオが絶句する。

 ジェレルは頭が割れるような痛みを振り払うようにして立ち上がり、ティオの後に続いて家の内部へ足を踏み入れた。


 玄関から見える雑然とした部屋の片隅に、不自然に横たわる人体と血溜まりが見える。

 ティオは用心しながらも素早く倒れている人影に近寄った。


「ガルフ殿!? ガルフ殿!!」


 ジェレルはひと足遅かったのだと知り、唇を噛んだ。


「誰の仕業だ?」

「この矢、トレヴァー卿が好んでお使いになっているものかと」

「……本人が痕跡を残していくだろうか」

「では暗殺者の仕業だとして、なぜ今、ガルフ殿を狙ったのですか?」


 ティオはガルフの目を閉ざしてやると、祈りを捧げた。

 矢が急所に1本、そして背中に3本刺さっていた。家に押し入るなり矢を撃ち込んだのだろう。

 確実に息の根を止めるつもりでやって来たのだとしたら、理由として考えられるのはガルフの口を塞ぐためか、怨恨か――。


「ルナリアを見つけなくては……」

「ええ、ここは村に駐留している兵士に任せて、行きましょう」


 ティオが立ち上がり家の外へ出た、そのとき――。


けがれた血の王子!」

「長年我らを欺きやがって!」

「王を殺せ! 王太子を廃せ!」


 いつの間にか、ガルフの家の外には、十数人の若い男女が集まっていた。中には5、6歳の幼い子どもの姿もあった。

 ティオと同年代の男たちが、交互に現王家をおとしめる言葉を発し続ける。

 

 ジェレルが戸口に立つと、一瞬静かになった。

 その静寂を破ったのは、幼き子が投げた石が両者の間に落ちた音だった。

 ティオが声をひそめてジェレルに耳打ちする。


「殿下、申し訳ありません。私がこの扉を開けるとき『王太子殿下』と言ったせいで、こんなことに……」

「気にするな。これが現実だ」

 

 ジェレルは集まった若者たちの視線をものともせず、ティオの前に進み出て、全員に聞こえるように言った。

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