第2話
ずしん、とそれは平原に落ちた。
何も無い、ただっぴろいだけの平原に落ちるのは異形の存在。
巨大な怪物だ。下手な家屋よりも余程大きい怪物だ。
人型ではある、だが所々が異形其の物。
猪の髑髏の頭部。熊と人を融合させたような歪な腕。蜥蜴の足に蜥蜴と狐の尾を合わせた尻尾。
背中からは被膜の付いた翼の生えた腕が生えており、腕が肩を掴むことで翼を形成している。
腹部は更に特徴的で縦に割れた口が付いており、牙が外側に突き出ている。
全長三十メートルを超える怪物──魔王ヴィルト・シュヴァインである。
その体は、ボロボロだった。
左腕は斬り落とされ、両の足はずたずたに崩れている。腹の口の牙は折れ、腹から血を流している。
頭部の頭蓋は左半分が消し飛んでおり、翼の腕は折れ曲がって骨が見えている。
「まだだ……まだ……まだ死ねない……」
ヴィルトは言葉を呟き、本来なら使えぬ聖力を見に纏う。
この世界には超常たるエネルギーが二つ存在する。
人類、善に属するものが使えるという聖なる力、聖力。
有を強化する力であり、身体能力の強化から自己治癒、物質の強化など機能は多岐に渡る。
それに反する力が魔力だ。
闇に属する魔の者達の能力であり、生あるすべてを憎む能力である。
有を無に返す力であり、破壊に特化した呪いの力。
何処までも破壊にのみ特化した能力であるが、優れた者ならば聖力と同じ現象をある程度起こす事が出来る。
そして当然、魔王と語られるヴィルト・シュヴァインが使える能力ではないが……どういう原理かヴィルトは使える。
ヴィルトは大きく口を開け、息を吐く。
ただの吐息が破壊の渦となり、大地を消し飛ばした。
しゅるしゅると。ヴィルトの身体が小さくなっていく。
小さく小さくなっていき、遂には人間大まで小さくなり──最後には純粋な人となった。
小柄な人間だ。身長は百六十五センチ程だろう。
全裸。その身に纏う衣服は無く、可憐な身体が露わになっている。
黒髪、赤目の少女と言える外見だ。
胸は小さく、尻も小さい。女性としての体は成熟していないと言って良いだろう。
外見だけは美しい。シミやニキビが無い綺麗な白い肌。艶のよい唇。きりっとした眼。
だが、この少女が元は異形であったことを考えると、最初に抱くのは恐怖だろう。
何故魔王が人型になったのか、というとエネルギーの節約だ。
巨体であれば維持するのにも大量のエネルギーを消費する。だが人間代まで小さくなれば維持で消費されるエネルギーも相応に少なくなる。
無論普段であれば巨体を維持するのに必要なエネルギー等些細なものだ。だが致命傷を負った今ではそのエネルギーすら自己治癒に回すべく人型となったのだ。
少女となったヴィルトは眠りに着く。平原の中。全裸で仰向けになり眠りこける。
一時間、二時間と眠り続け──遂には太陽が沈み夜となっても眠り続ける。
そして太陽の代わりに月が輝き、深夜と言える時間になってヴィルトは起きた。
身体をばねの様に動かし跳ね起き、腰に手を開けて口を大きく開ける。
「──ふふ……勝った! 勝ったぞ! 勇者! 我は生き延びたのだ!」
わぁーはっはっは! とヴィルトは女の声で叫ぶ。
叫んだのち、ヴィルトは徐に腕を振るう。
それだけで暴風が巻き起こり、地形がスプーンで抉ったかのように削り取られる。
「魔力万端! 聖力ばっちり! 完全無欠の魔王の再臨だあぁぁぁ……」
叫びながら徐々にボリュームを落とし、遂には意気消沈する。
ばたん、と勢いよく大地に仰向けに転がった。
ヴィルトの体を草原に生えた草が襲う。ちくちくとした痒さがヴィルトを襲う。
「……どうしよ」
ヴィルトはポツリと呟いた。
ヴィルト・シュヴァインはかつて魔王として己の勢力を率いていた。
幾多の魔族を作り出し。魔物を産み出し使役し世界に絶望と混沌を撒き散らした。
だからこそわかる。己の能力で生み出した眷属の気配が一切感じられないと。
ここが何処なのか。ヴィルトにはわからない。
(勇者が言っていた「消える」という言葉……どういう意味だ?)
消える、等と言っておきながら実際は欠片も消えていない。己の身は健在である。
ならば成すべき事は世界に絶望と混沌を撒き散らす事──のはずなのだが。
そのやる気が一向に湧かない。
常にその身を襲っていた破壊衝動が無く、何故か冷静な思考が行えている。
ヴィルトにとって人とは喰らうべき餌だった。そこら辺に居る動物であり、大した価値もない塵芥。
そのはずなのに。団結して、武器を取り。魔王と称し恐れた相手に立ち向かってくる──そのことが理解できなかった。
そして今、ヴィルト・シュヴァインは人について理解したいという欲求が芽生え始めていた。
それは恐怖の裏返しなのかも知れない。自らを打ち倒した恐るべき存在を理解したいという恐怖からの焦りなだけかもしれない。
だがそれでも、魔王ヴィルト・シュヴァインは人を知ろうと思ったのだ。
「よし! じゃあ行くか!」
善は急げとばかりに、ヴィルトは人を探して走り出した。
ヴィルトの速力は人知を超えている。
その気になればマッハの領域で走る事など朝飯前であり、走った場合の最高速度はマッハ十にも達する。
飛行した場合はマッハ二十五と飛んだ方が速かったりする。
だが人型になった場合はそこまでの馬鹿げた速度は出せず、時速五百キロが限度となる。
無論常に最高速度を出す訳ではない。時速四百から五百キロの間を行き来しながらヴィルトは全裸で走り回る。
傍から見れば全裸で走る少女という新聞紙の一面に載っても可笑しくない所業である。
ヴィルトは走る。走って走って走り続ける。
道中に居たヴィルトの知らない動物──今の世界では魔物と称される魔力によって変異した動物を弾き飛ばしたりしながらヴィルトは走り続ける。
野を駆け、森を抜け、よくわからない場所を駆け回り、遂には太陽が登り始め空が明るくなった頃。
ヴィルトはようやく人の気配を感じ取る。
魔力や聖力を持つ存在をヴィルトは探知できる。これは魔力と聖力を持つ者であるからこそ。
その力を持つ故にその力に対する感知が敏感になっているのだ。
その感知した方向に向かってヴィルトは走り出した。
■
「待ちやがれ!」
「もう許さねぇからな!」
平原の中、碌に整備されていない街道を男たちと女が走っていた。
男が六人の集団であり、各々が好きに武装している。短剣、剣。モーニングスターに弓と矢。
それ以上に特徴的なのは男たちから嫌な──碌に風呂に入っていない者特有の悪臭がしている事だ。
いや、よく見れば服や装備も手入れがされてないどころか洗っていないのが見てわかる。
男達は見るだけでわかるように盗賊の類であり、一人の女を追いかけていた。
「誰が待つものか!」
女──紅い髪と赤い瞳を持つ活発そうな女だ。身長は百七十センチと女性としては少し高めだろう。
大きな胸と尻を揺らしながら、女は全力で走る。
女の恰好は走り難そうな服だ。
動きにくそうな長いスカートを履いており、上半身にはケーブを纏っている。
上下とも黒で統一された服装であり、何処か学者を思わせる。
女は走って走って走り続けて──ついに足がもつれて転んでしまう。
「あっ」
ずさり、と勢いよく地面に体が投げ出される。
「へへ、ようやく止まったか」
「手間取らせやがって」
男たちは武器を手に女に近づく。
──次の瞬間。男たちと女を風が襲う。
「なんだ?!」
立っていられなくなりそうな、眼を閉じずにはいられない暴風だ。男たちの何人かはたたらを踏む。
「居たな! 人間!」
其処に居たのは──痴女だった。
「痴女だ?!」
紛れもない痴女である。身長は百六十五センチ程と女より頭一つ分小さい。
小さな胸を持ち、腰に手をあてて立っている様は何処か滑稽にも見える。
黒い髪と赤い瞳を有し、男たちを睨んでいる。
残念なのはその体だろう。衣服を一切纏っておらず、全裸であり少女の見てはいけない陰部が丸見えになっている。余談だが陰毛は無い。
だがその姿は美少女そのものだ。肌にはシミやニキビなどの吹き出物は無く、白く整った容姿をしている。眼も鋭いが逆にそれがアクセントになっている。
そして男たちは混乱する。突如として現れた痴女に対し判断が遅れる。
「おい! そこの人間! 教えろ!」
「な、何を?」
男たちの一人──リーダー格の男が混乱しながら少女とやり取りをする。
「人間について教えろ!」
少女……魔王ヴィルト・シュヴァインは人について知るべく、盗賊に問いかけた。
そして盗賊は変な女が来たな、と下衆な欲望を膨らませる。
「人間についてか……ならたっぷり教えてやるよ」
リーダー格の男は混乱から復帰し、下衆な笑みを浮かべながらヴィルトに近づく。
「おお! 教えてくれ!」
ワクワクとまるで童女の様にヴィルトは待ちわびる。
「貴女! 逃げて──ください!」
女は一瞬痴女相手に何を言うべきか迷ったが、それでも同じ女としてこれから行われるであろう事を前に警告をしないというのは無かった。
「黙ってろ」
取り巻きの男の一人が、女の口を手で塞ぐ。
むー、むーと女は何かを言おうと必死になるが力の差は如何ともしがたい。
「で、我にどう教えるのだ?」
「こう教えるんだよ」
リーダー格の男はズボンを降ろし、その陰部を晒した。
「……? それは確か生殖器だろう? それを見せてどうする?」
ヴィルトの反応に、こいつもしかして無知なのではないか、とリーダー格の男は思う。
無知なら無知でもいい。それなりに楽しめるのだからと男は深くは考えない。
「あぁ、まずは握ってもらおうか」
ヴィルトは魔王である。その身体能力は人知を超えている。
山を砕いた逸話がある様に、その拳は山を文字通りに砕くことが出来る。
となれば当然、握力もまた非常に高い。世界最高の──人が扱える最高位金属であるアダマンタイトであろうと容易く握り潰せるぐらいには。
流石に人の形になった事でその身体能力は多少は落ちている。だがそれでも、鋼鉄を握り潰すぐらいは容易なわけで。
その身体能力で男の陰部を掴めばどうなるか──想像に難くない。
ずんむ、とヴィルトはその身体能力で男の象徴を握り潰した。
「ぎゃあああぁぁぁあぁぁああ!!!」
リーダー格の男は叫んだ。恥も外見も無く泣き叫んだ。
痛みに悶え、地面をのたうち回る。
リーダー格の男の指示が間違っていたのだ。
もし仮に男があれをそこに入れるだとか直球で本番に行くような事だったらまだ違った結末があったかもしれない。
だがヴィルトは無知だ。無知ゆえに制御という言葉を知らない。
故に握れと言われればその握力で握るものであり──つまるところヴィルトの無知から来た展開であった。
「てめぇなにしやがる!」
「人の心とか無いのか?!」
リーダーのブツを潰された事で周囲の男たちが武器を手に取る。
「いや我は言われた通りにしただけだが?」
そして本当にそうとしか捉えていないヴィルトは急に武器を抜いてきた男たちに混乱する。
「やっちまえ!」
男たちは武器を手にヴィルトに襲い掛かる。
ヴィルトはそこでこいつらは敵か、と対話を諦める。
斧を手にヴィルトに近づいた男の動体に向けてヴィルトは正拳突きを放つ。
それだけで男の上半身が消し飛び血しぶきだけが残る。
すぐさま二人目の肩を掴み、左右に割く。
臓物が大地に零れ落ち。血の匂いが充満する。
裂いた二つをヴィルトは残る二人に向けて投擲。音速で投げられたそれは凶器となり、命中と同時に男たちを弾け飛ばす。
驚愕し固まっている男に対し魔力弾を放つ。下半身が綺麗に消えて無くなった。
瞬く間に殲滅が終わった。
「ま、まて……!」
痛みで悶えながら、リーダー格の男はヴィルトに止まるよう懇願する。
両手で陰部を掴みながらの懇願は何処か滑稽にも見える。
「待たん」
ヴィルトは端的にそう言うと蹴りを放ち、リーダーの男の頭部を弾け飛ばした。
「さて、其処の人間」
「ひっ」
ヴィルトが女の方を向くと、女は小さな悲鳴を上げた。
行き成り現れた全裸の女が急に殺戮を始めれば誰だって恐怖するだろう。当然の反応だ。
「我に人間について教えて欲しい」
「わ、わかった! 教えるから!」
女は悲鳴にも似た叫び声を上げながら、どうにか立ち上がる。
それは直ぐにでも逃げようという意思の表れであり、意識はヴィルトではなく逃走経路に向いていた。
「……それで……えぇっと……人について教えて欲しいってことだけど……具体的には?」
「? というと?」
「えっと、人の何について知りたいの?」
そこまで言われて、ヴィルトは考える。
自分は人の何について知りたいのか、と。
一拍おいてから、ヴィルトは答える。
「我は人の何を知りたいのか……? そうだな……どういう考えで恐怖に立ち向かうのか……魔王に挑めたのか。それについて知りたい」
「魔王……?」
「なんだ? 知らんのか。我こそ魔王ヴィルト・シュヴァイン! 破滅の権化である!」
魔王と名乗ったヴィルトに対し、女は思わず笑いそうになる。
だが相手は瞬く間に盗賊を皆殺しにした実力者であり、何を考えているのかわからない狂人の類だ。笑えばどうなるかわからないので必死に笑いを堪える。
「貴女が魔王だって言うのなら、証拠を出してごらんなさいよ」
そして女は、まぁ出せる訳ないでしょ、と思いながらそう言い放つ。
「分かった」
ヴィルトはそう言うと変身を開始する。
腕が異様に長く伸び、熊と人の腕が融合したそれに変わる。
肉体がブクブクと大きくなり、腹から縦に割れた口が生成される。
頭部もまた代わり、猪の髑髏に変わり眼孔に赤い光が宿る。
腰の少し上から翼の生えた腕が生え、それが肩を掴むことで翼を形成する。
足は蜥蜴の足に変わり、ずしんと大地を揺らす。臀部から蜥蜴と狐の尻尾を合わせた甲殻的な尻尾が三つ生える。
全長三十メートルもある巨体を持つ、魔王ヴィルト・シュヴァインの真の姿がここに降臨した。
「えぇ……」
そして女は目の前の非現実的な光景と魔王の外見から発せられる威圧感に耐えられず失神した。
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