006 SIDE神奈川県D市~市議会議長の息子
神奈川県D市――ここはかつて、ミナトが暮らしていた町である。
何故かダンジョンにおける瘴気の発生頻度が非常に少なく、一定の地域に至っては数年に渡り、全く瘴気が発生していない。それ故に『日本有数の安全な町』という名で知れ渡っているのだった。
実際、東京から探索者ギルド総合本部の調査が入り、それが証明されていた。
理由こそ解明されていないものの、それがD市の存在を世間に知らしめていることは間違いない。瘴気に悩まされている人は、それだけ多いのだ。
もっともそれは、あくまで世間一般による総合的な評価に過ぎない。
ただ長年住んでいるだけで、そこまでD市に思い入れがない者もそれなりにいる。かくいうミナトもその一人であった。
気がついたらこの町の施設で暮らしていた――本当にそれだけの話だった。
家族と呼べる人間も、いていないようなものだった。故に静岡県富士宮市への移住についても、サラッと決断できてしまった。別れの挨拶もそこそこに、新幹線に飛び乗る羽目になったのも、本人からすれば仕方がないの一言。いずれは待ち受けている運命だったからと納得していた。
要するに切羽詰まってこそいたものの、そこまで絶望していたわけでもない。
しかしそれも、あくまでミナト個人の気持ちに過ぎず、周りがどう思っているかについては全くの別問題であった。
そう、例えば――
「くっくっくっ♪ 今頃あの施設育ちの貧乏人は、さぞ絶望してることだろうな♪」
ミナトに退路を断たせた張本人のように。
「富士宮は特に瘴気が多いことでも有名な町だからな。この町の空気に慣れ切っているアイツが降り立てば、一発でダウンしちまうことは目に見えてるぜ! やはりこのボクの筋書きは、常に完璧ってもんだわなぁ、ハーッハッハッハッ♪」
心の底から愉快そうに笑う彼の名は
神奈川県D市の市議会議長の息子で、表向きは正々堂々とプロの探索者を目指して突き進む好青年だが、裏では親の偉さを利用して好き放題行っている。まさしく悪い意味で、絵に描いたようなお坊ちゃまと言ったところだろうか。
もっとも――
「お坊ちゃまも中学を卒業したら、少しはマシになるかと思ってましたが……」
「むしろ悪い方向に助長している感じですよねぇ」
「旦那様のお力を使って好き放題されるのも、程々にしたほうがよろしいですのに」
「あれでバレていないと本気で思っているのも凄いですけど」
「それを見過ごしている旦那様も旦那様ですわ」
彼の裏の顔自体は、割と周りにはバレバレだったりもする。住み込みの家政婦たちからすれば、筒抜けにも程があるレベルで。
そしてそれを、いちいち本人に指摘することもなかった。
彼女たちはあくまで家事手伝い。バカ息子の教育係ではないのだからと。
むしろ下手に口を出せば、難癖付けられて解雇されてしまいかねない。津久田家の家事手伝いは、他の家に比べるとかなり時給が高額なのだ。余計なことさえしなければそれを得られる――そう考えれば、自ずと選択肢は決まってくる。
「さ、そろそろ洗濯物を片付けないと」
「私は夕飯の支度に入りますわ」
何事もなかったかのように仕事へ戻ってゆく家政婦。そしてそれを知る由もなく、津久田は窓の外に広がる青空を見上げながら、小さなため息をついた。
「――思えばアイツのことは、ボクが調べれば調べるほどムカつくものがあった」
目いっぱい両手を左右に広げながら、津久田は盛大な独り言を切り出す。
「親の顔も知らず、血の繋がった家族は一人もいない。そんな哀れな孤児であるはずのアイツは、いつもどこか楽しそうな顔だった! 呑気にあちこち探検したりガキどもと遊んでばかりいて……常に習い事や勉強でビッシリのスケジュールだったボクのほうが、いつもいつも辛い気持ちだった! 親や家柄的には、生まれながらにして誰よりも恵まれているはずなのに!!」
それはまるでミュージカルの舞台に立ち、煌びやかな主役を演じるかのようだが、周りに観客は誰一人としていない。
傍から見れば虚しいを通り越して、奇妙な姿とすら言えるものだったが、そんな自分に酔いしれている彼を止められる者は、当たり前だがその場には誰一人としていなかったのだった。
「だからこそボクは、そんなアイツを思い知らせてやることにしたのだ!」
一筋の涙を流しながら、津久田は青空を見上げる。脳内で悲壮なBGMを流すことも忘れない。
「市議会議長であるパパにあることないことを吹き込み、ヤツを探索者育成学校からまんまと追い出してやった! ついでに瘴気が多いことで有名な静岡県の富士宮市に行くよう、ギルドに根回しして見事に成功した! フッ、これもボクの手にかかれば楽勝の二文字でしかないんだがねぇ♪」
全ては父親の伝手を辿った結果だ。外面を取り繕い、大人を味方につける技術だけは非常に高い。まっすぐな正義感を貫く好青年を演じることなど、彼からしてみれば朝飯前なのであった。
しかしそれも、あくまで『大人』が相手だから成功したようなものだった。
他の同級生たちにはバレバレであり、なんだったらミナト本人にも七割がた気づかれていたが、津久田自身は全く気付いていない。
知らないことは幸せなこと――それを地で行くのも彼の姿なのだ。
「あ、そういえばヤツは、もう富士宮市に行っているはずだな。ここは一つ、ネットニュースで今の様子をチェックしてみるか!」
スッと涙を引っ込まさせつつ、津久田はポケットからスマホを取り出す。
「さてさてー♪ 富士宮市の今の様子は……あん?」
しかしネットニュースの地域カテゴリのトップに引っ掛かってきたのは、富士宮市関連ではなかった。
神奈川県D市で瘴気が確認された――そんな見出しのニュースだった。
「……フッ。くだらん記事を書くヤツがいたもんだ」
流し見ることもせず、津久田はニュースアプリを閉じた。完全に気分が削がれてしまったのだ。
「ちょっと弱い瘴気が出たからと言って大げさな……この町は東京のギルド本部からも認められた安全な町なんだぞ? ボクだってパパと一緒に何度もダンジョンの中に入ったことあるけど、全然なんともなかったし。そんな急におかしくなるようなことがあってたまるかってんだ!」
そして津久田はベッドに身を放り投げる。ふんわりとしたマットに身が沈んでゆくのを感じながら、天井をぼんやりと見上げていた。
「もうすぐ夏休みの特別講習で、いよいよボクもダンジョンデビューとなる。そこでこのボクの腕を周りに知らしめてやる! この町のダンジョンは、常に安全が約束されているわけだからなぁ♪ 明るい未来も約束されていて……フフフ♪」
妄想に浸り続ける津久田は、どこまでも幸せそうな笑顔を浮かべていた。
後日、それらが全てひっくり返されることを、知る由もないままに。
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