第32話 融合魔術士は異世界の常識をぶっ壊す

 数日後、自分が前世で死に、赤子として生まれ変わった現実をようやく受け入れた今、次に頭をもたげてきたのは、数えきれないほどの疑問だった。

 まず、ここは日本なのか?

 そもそも、地球なのか?

 はたまた、まったく別の世界か?

 目もまだぼやけている俺には、部屋の中の風景すら曖昧のため、聴覚から情報を得るしかなかった。そこで両親の会話からヒントを探る。言語は日本語でも英語でもない、聞いたこともない言語を話している。しかし、俺はその言語を理解している。幼い頃から、生活の中に溶け込んでいたかのように、まるで違和感がない。そのことに、違和感を覚える。結局、言語からは場所の特定には至らなかった。

 そして、なにより不思議なのは、前世の記憶があまりにも鮮明に残っているということだ。幼い頃からの記憶や大学生活の記憶。教師という夢に向かって歩んでいた日々のこと。家族や友人達の顔、声まで、まるで昨日のことのように思い出せる。この記憶は、成長するにつれて消失していくのか?誰しもがそうなのか?俺だけが特別なのか?疑問が止まらないが、問いに誰かが答えてくれるわけでもなく、目の前にあるのは赤ん坊としての生活だけだった。

 泣いて、母乳を飲んで、排泄して、下着を替えてもらって、そして、眠る。この繰り返し。言葉もなく、意思も伝わらず、ただただ世話を焼かれる存在であるというのは、思っていたよりずっと辛かった。俺は前世で22年生きた。心も思考も成熟し、自立していた自分が、今は全てを他者に委ねるだけの存在になってしまったのだ。

 前世の俺は、休日になると勉強の合間にアニメを見たり、漫画やライトノベルを読むことを楽しみにしていた。転生や異世界ファンタジーに胸を躍らせ、

『もし、剣と魔法の世界に生まれ変わったら──俺はチート能力を授かって、冒険者として大活躍できるかもな』

 なんて、都合の良い妄想を膨らませていたものだった。しかし、いざ本当に転生してみれば、楽しいなんて感情はこれっぽっちも湧いてこなかった。むしろ、これまでの日常がどれほど尊く、自由で、ありがたいものだったのかを痛感させられるばかりだ。

 けれど、人間として生まれ変われただけでも、相当な幸運なのかもしれないとも思う。考えたくもないが、知性を持たない動物、あるいは虫や魚に転生していたら。その中で人間の記憶を保っていたら。きっと、俺は正気を保つことすらできなかっただろう。だから、せめてこの与えられた生に感謝して、生まれ変わった意味を見つけていくしかない。赤子の身でできることは限られているが、少しずつでいい。少しずつ、また始めればいい。俺は前世で、夢に手が届く寸前で命を落とした。だからこそ、今度こそ。この人生では、決めた夢は必ず叶えてみせる。


 時が流れ、気づけば俺はこの世界に生を受けてから、半年が経過していた。生後6ヶ月。ようやく視界がクリアになってきて、日常の景色がぼやけずに見えるようになってきたのを実感している。まず最初に気づいたのは、両親の顔だ。どこか見覚えのある、けれど思い出せない不思議な面影。それでも自然と心が緩むような親近感が胸に沸き上がる。きっと、この感覚が“家族”というものに紐づいた記憶の残響なのだろう。

 今日はどうやら、天気が良いらしい。家の中に射し込む陽の光がやけに明るく、空気も軽やかだ。両親がそわそわと準備をしている様子から、散歩に出かけるつもりであることがわかった。何度か外に連れて行かれたことはあるが、その当時の俺の視界は、まるで湯気の中から景色を見ているように霞んでいた。楽しいという感情などまるで湧かず、ただ肌を撫でる風の匂いや、遠くで鳴く鳥の声に、どこか“懐かしさ”のようなものを感じたくらいだった。

 ……懐かしさ。

 まだこの世界がどこなのか、確信は持てない。しかし、何かが引っ掛かる感覚があった。最初の外出から、頭の先まで思い出せているのに、後一歩で思い出せず、スッキリしない日々が続いていた。だからこそ、今日は楽しみだった。今の俺の視界は比較的はっきりしているし、何より久しぶりに“何かが変わる”予感がしていた。

 ちなみに、俺が今暮らしている家はちょっと変わっている。壁紙のような人工的な装飾は見当たらず、代わりに木の節や年輪までもがむき出しの木目が、天井や壁を飾っている。一言で言えばログハウス。その懐かしい響きと木の香りが合わさり、落ち着いた気持ちになる。もしかすると、ここは街中ではなく、自然豊かな田舎か、あるいは山間部なのかもしれない。

 そんな想像を巡らせていると、両親の準備がどうやら整ったようだった。母親の柔らかな腕に抱きかかえられ、ゆっくりと扉が開かれる。

 一瞬、眩いほどの光が視界を満たし、思わず目を細める。だが、それを越えた瞬間、目の前に広がったのは、絵本の中から飛び出してきたような、美しい村の風景だった。空は深い青に澄み渡り、白く柔らかな雲がのんびりと流れている。俺の家と同じような、中世の洋風建築を思わせる木造の家々がまばらに並び、その合間を縫うように踏み固められた道が続いている。そして村の中央には、信じられないほど清らかな川が、静かに流れていた。

 待て──。

 なんだ、この感覚は──。

 胸の奥に、じわりと熱が走る。鼻先をくすぐる風の匂い、肌を撫でる太陽の暖かさ、視界の端に広がる村の景色。そのすべてが、どこか懐かしい。まるで長年忘れていた記憶の断片が、急速に浮かび上がってきたような錯覚。

 ──俺は、この景色を知っている。

 理由など分からない。ただ、確かな既視感が胸を締めつける。心が、この場所を「知っている!」と叫んでいた。けれど、そんなはずはない。俺の故郷は日本、夢咲家。こんな自然に囲まれた中世の村なんて、知るはずがない。それなのに、この胸の奥のざわつきはなんだ?何を強く訴えているんだ?

 戸惑いを隠せないまま、ふと視界が陰ったことに気づいた。太陽が隠れた?

 空を見上げる。そこにあったのは、黒々とした巨大な影、いや影ではない。それは雲でもなかった。空の彼方、目を疑うほど遥か上空に、まるで大地そのものが浮いているかのような“巨大な大陸”が、空を覆っていたのだ。

 その大陸は、まるで王座のように堂々と、俺たちを見下ろしていた。そして、さらにその上空には、層のように6つの大陸が重なるように浮かんでいる。どれも常識ではありえない規模で、まるで空そのものが、階層となって積み上がっているかのようだった。

 それらが俺を、睥睨している。

 その瞬間だった。

 心臓を握り潰されたような衝撃。世界が裏返ったような感覚。凍りついた記憶の扉が、強制的にこじ開けられる。

「うっ……あ”あ”あ”あ”あ”あ”っっっ!!」

 気が付くと叫んでいた。身体の奥から溢れてくる感情に、幼い喉が耐えきれず、涙と嗚咽が止まらなかった。視界がにじむ。呼吸が苦しい。喉が締めつけられる。体が熱いのか寒いのかも分からない。これまでにないほど泣きじゃくり、母の胸元で暴れた。心配そうに揺れる母の声が遠くに聞こえるが、今の俺には何も届かない。

(……あぁ……そうか。そういうことだったのか)

 目の前に広がる空を見つめながら、俺は一気にすべてを思い出した。

 前世の俺が、幼い頃から繰り返し見ていた奇妙な夢。俺の成長に合わせて続いた、現実味があり、目を覚ますと断片すら思い出すことができなかった夢。最後に見た、あの惨劇も忘れていたなんて…。

 胸に居座っていた違和感。刺された夜に見た、OLの顔が誰かと重なった理由。死後の世界で出会った女性の言葉の意味──。

 すべてが、一本の線となって繋がった。

 あれは夢なんかじゃなかった。

 あれは、予知夢だったんだ。俺がこの世界に転生して歩むはずだった未来。再び夢の通りに進んでいけば、あの悲劇が現実になる。

 仲間が殺され、信頼を裏切り、すべてを失う。あの“惨劇”は、未来に待ち構えている現実だったんだ。

 あの惨劇を回避しなければならない……。

(……違う。あの惨劇を回避するだけじゃ足りない)

 リビルド。この世界に根深く染み付いた正しさという名の狂気。あいつらは言った。最下位の大陸に生まれた者は、最下位のままでいろと。虐げられたままでいろと。上位に足を踏み入れた俺たちは、神への冒涜者だと。

 だったらそんな神も、教義も、世界の仕組みごと叩き潰してやる。

 俺がこの世界の正しさを、根底から壊す。夢の中で、俺はあまりにも無力だった。目の前で大切な仲間が殺されていくのを、ただ見ていることしかできなかった。力がなかった。守れなかった。叫んでも、想っても、祈っても、何一つ届かなかった。でも、今は違う。俺には、全ての記憶がある。この世界で、仲間と過ごした日々の記憶が。出会い、笑い、戦い、泣いた記憶が。敗北と挫折の痛みが、俺の中に刻まれている。そして俺には、時間がある。この世界に生を受けて半年。俺が夢の中で、本格的に鍛練し始めたのは10歳から。9年半も早く鍛練を始められる。この退屈で辛い時間が、この瞬間、神から与えられた祝福のように感じることができる。

 何者にも負けない。

 何者にも奪わせない。

 何事にも絶望しない。

 この身が滅ぶその瞬間まで、俺は走り続ける。涙も、後悔も、すべて力に変えて。

 圧倒的な力を手にして、『最強』となることで、あの未来を、俺の手でぶち壊して運命を変える。

 そう、運命を変えるということ、それは、あの時間を、あの関係を、まるごと手放すということだ。リオンとの友情。アドマイヤの仲間達と共に歩いた、血と汗と涙に満ちた冒険の日々。

 そして、想いを寄せた人との関係……。

 すべてを、俺は捨てる。

 だけど、それでいい。あの時のように、大切な人たちを目の前で失い、魂が引き裂かれるような絶望を味わうくらいなら、死んだ方がましだ。

 あの夢の中で、言葉にできなかった想いを、心の中で俺は静かに、一人一人へ送った。

(リーラ。君は、いつも俺の話を聞いてくれたね。どんなに取り留めのない悩みでも、耳を傾け、優しい笑顔で包んでくれた。的確な言葉で背中を押してくれた。俺にとって第2の母のような存在だったんだ。ありがとう、リーラ。君の優しさを、忘れない)

(ゴーザ。寡黙で表情が怖いのに、本当は一番情に厚くて、不器用な優しさを持っていた。兄のように俺を守ってくれて、何度も折れそうな心を支えてくれた。ゴーザの背中は、俺にとっての盾だった。俺も、ゴーザのことを兄のように思ってたよ。ありがとう)

(ユリウス。どうしようもないスケベでチャラ男な俺の悪友。でも、いつも俺のことを見守ってくれていた。くだらないことを言い合った日々も、ふと放たれたユリウスの言葉が、どれだけ俺を救ったことか。ユリウスみたいな悪友がいて、本当に良かった。楽しかったよ。ありがとう)

(リオン。俺の親友。ベルルーシャ村で共に育って、同じ夢を抱いて、お互いを高め合ってきた。そしてほとんど同じ時期にアドマイヤに入って、肩を並べて戦った。腐れ縁だって笑ったけど、俺はお前と出会えたから、夢を諦めず貫けたんだ。バカみたいに笑い合って語り合って、たまに衝突して、一緒にララに怒られた。楽しかったなぁ。全部が、俺の誇りだ。俺の親友がお前で、本当に良かった。ありがとう)

(ララ。俺を救ってくれた人、初めて好きになった人。最初に差し伸べてくれた手が、どれほど俺に光を灯したか。怒らすと怖いし馬鹿力で力の加減が狂ってるけど、いつも明るく、強くて、優しくて、まるで太陽のように暖かい人。俺に希望をくれた人。そんな君が好きだった。いつか夢を叶えて、この想いを伝えたかったけど、結局叶わなかったな…。だから今、心を込めて伝えるね。大好きだったよ…ララ)

 大切な人たち。かけがえのない日々。それを断ち切るには、あまりにも痛すぎる。しかし、前に進まなければならない。

 彼らの死を、現実にしないために。

 あの惨劇を、繰り返さないために。

 そして、この世界を変えるために。

(ありがとう……みんな。俺と出会ってくれて。俺を受け入れてくれて。共に歩いてくれて。本当に……ありがとう)

 目を閉じ、心の奥底から別れを告げた。

 もう二度と、交わることのない。それでも、永遠に忘れることのない、大切な存在たちへ。

 こうして今、俺という存在のすべてを懸けて挑む、“修羅の道”が静かに幕を開ける。

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