第14話 反復

「でも…、意識を習慣化するには少なくとも数か月単位の時間が必要なのよ」


「数か月…」


「だから、不本意ではあるけれど次の実習試験に間に合わせるためには、場当たり的な対応をするしかないわね。幸い、実習試験は内容が明らかになっているわ。それなら方法は一つ」


「どうするんですか?」


「反復練習よ。意識せずとも体が勝手に動くくらいまで繰り返し練習するの」


 うわぁ、解決方法めっちゃ脳筋だなぁ……。考えるより感じろ、である。頭脳派の清戸がこのような作戦を敢行するのは少々意外ではあるが、それほど切羽詰まった状況だということか。


 清戸を見る元町の目には、覚悟が見て取れる。


「全力を尽くします。ご指導よろしくお願いします!」


 この娘は強いなぁ。爽やかで真っ直ぐな彼女を見ていると、自然と口角があがってしまう。

 いつの間にか私は、心の中で元町を応援していた。


「そうだ。さっきあなたの作業を見ていて、一つ気になったことがあるの」


 清戸は実習車の車輪の前でしゃがみこんだ。


「な、何でしょうか」


 元町はビビり気味で尋ねる。


「タイヤを付ける時、一度落としそうになったでしょ」


「はい。ホイールがハブボルトにしっかり入っていなかったみたいで……」


「そういう失敗は往々にしてある。特にタイヤホイールは重量物だから、持ち上げるのに精一杯でコントロールしにくいのよね」


「まさに、その通りです」


 元町はコクコクと頷いた。

「問題はその後なのよ。落ちそうになったタイヤを支えるために、ホイールのスポークに指をかけたでしょ」


「はい。咄嗟に手が出ました」


「ホイールの裏にはブレーキのキャリパーやディスクがあるの。さっきは支えられたから良かったけれど、もし外れたら落ちた勢いでホイールとブレーキの間に指を挟んでいたかもしれないわ」


「確かに……」


「人間はつい、不安定な物を見ると手で支えたくなってしまう生き物なのよ。例えそれが到底人の力ではどうにもできない何トンもある物体でもね。その性質にやられて、指や手、腕、あるいは命までも失ってしまった人たちが大勢いる」


 話を真剣に聞いていた元町の顔が強張る。


「整備している車がどんな高級車だろうと、人間の身体を犠牲にしてまで守らなくちゃいけない価値なんて無いの。機械なんて壊れてもいくらでも替えがきくわ。けれど手や腕は、一度失ってしまったらもう元には戻らない。そのことを決して忘れないようにね」


「はいっ」


 元町は力強く頷いた。


「それじゃあ練習を続けましょう。基本は今教えた通り。あとはそれを元町さんがどれだけ自分のものにできるかよ。私がずっと見ているとやりにくいだろうから、上にいるわ」


 そう言うと清戸は「頑張ります!」という元町の言葉を背に、階段の方へ歩き出した。

 

 ヤバッ! 元町が気になって全然プリント進んでないじゃん……。せめてやってた雰囲気だけでも出さないと。

 顎に手を当て、目の前のプリントを険しい目つきで睨む。考える人である。


「どう? 進んでる?」


「いや、ご覧の通り」


「そう。今は耐えるしかないわね。勉強の基本はできないところをできるまでやることよ」


 至極当たり前のことだけど、それができれば苦労しないんですけどね……。今の言葉を真顔で言えるってことは、マジでこれまでそうやって生きてきたってことなのか? そりゃ、成績トップにもなるわな。


 理解できない超人の考え方は置いておいて、プリントを解いてるなかで気になったことを清戸に尋ねてみる。


「この二部目のやつって、本当に私が苦手なところばっかり集まってるんだけど、どうやって作ったの?」


「昨日あなたの答案見たでしょ。その結果を反映しただけよ」


「え……。じゃあこの量一日で作ったってこと?」


 面倒くさそうに答える清戸。


「そうに決まってるじゃない。じゃ、頑張ってね」


 そう言うと清戸は、ソファーに横になり目を閉じた。


「え、何? 寝るの?」


「ええ。割とどこでも寝れるタイプだから、お気になさらず」


「いや、そういう意味じゃなくて……」


 あまりに頓珍漢な返答に、なんて言い返すか言葉に詰まっていると、清戸はすぐに深い寝息をたてはじめた。あれ、こいつネコ型ロボットと一緒に住んでる小学生?


 まったく、人が勉強している目の前で堂々と寝るかね、普通。てかマジでこれどういう状況? 逃げることもできないし、八方塞がりなんですけど。もう家に返してくれって……。

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