深紅の花嫁

月浦影ノ介

深紅の花嫁




 田野上たのがみさんという男性から伺った話だ。

 

 四月のことであった。

 その日、田野上さんは、市内でも有名な桜の名所である公園を、一人で散歩していた。

 大きな池を取り囲む遊歩道に沿って、満開の桜並木が続いている。休日ということもあり、公園は大勢の人で賑わっていた。

 当時二十代後半で独身、恋人もいない田野上さんは、すれ違う家族連れやカップルの姿を、少し羨ましく思いながら眺めていた。


 遊歩道を一周し、田野上さんは一休みしようと、公園の敷地内にあるカフェに入った。

 「いらっしゃいませ、二名様ですか?」

 「いえ、一人ですが」

 若い女性店員の問いに田野上さんがそう答えると、彼女は怪訝な表情で首を傾げた。

 「あれ? もう一人お連れ様がいましたよね?」

 「・・・・いいえ、一人ですよ」

 おかしいなぁと独りごちる店員に案内され、田野上さんは窓際の席に案内された。店内は程よく混み合っている。きっと近くにいた人を連れだと間違えたのだろうと、田野上さんはたいして気にも留めなかった。


 カフェを出て、公園の駐車場に停めた車に乗り込む。

 助手席にはバッグや買い物袋、ティッシュ箱などが無造作に置かれている。滅多に他人を乗せることがないので、助手席は普段からほとんど荷物置き場になっていた。

 「まったく、これじゃあ座れないじゃないか」

 と一人でボヤきながら、田野上さんは助手席の荷物を後ろのトランクに運ぶ。そこでハタと気付いた。

 「・・・・俺は一人で来てるのに、誰を乗せる気だ?」


 さっきの店員といい、何だか様子がおかしい。田野上さんは予定を切り上げ、そのまま帰宅することにした。空いた助手席に誰かが座っているような気がして、妙に気持ちが悪かった。

 アパートの自室に入り、上着を脱いでクローゼットに掛けようとする。そのとき、上着の胸ポケットに何かが入っているのに気付いた。 

 怪訝に思って取り出してみると、それは一枚の白黒モノクロ写真だった。仄暗く淡い色彩の奥に、誰かの姿が写っている。


 見ると、それはウエディングドレスを纏った花嫁だった。古い時代のものらしく、ドレスの形は現在と違って、ずいぶんと質素である。短めでウェーブの掛かった髪に、半透明のベールを被り、少し俯き加減な横顔。手には小さな花束を持っている。

 花嫁の女性は、とても美しかった。

 ほっそりとした顔立ちに、すっきりした鼻筋と細い眉。椅子に腰掛け、少し気恥ずかしそうに目線はやや下を向いており、口元は優しく微笑んでいる。白黒モノクロ写真だが、その肌はきっと雪のように白いに違いない。

 その姿は何とも奥ゆかしく、そして可憐に感じられた。

 花嫁は日本人のようにも、外国人のようにも見える。歳は二十歳前後というところか。

 いつ撮られたものか分からないが、ひどく古い写真だった。おそらくは戦前だろうか。昭和初期、あるいは大正の頃かも知れない。

 

 しばしの間、田野上さんはその女性の美しさに見惚れていた。

 そしてふと我に返る。むろんこんな写真に覚えはない。いったい、いつの間にポケットに入ったのか。

 記憶を辿り、やがて思い出したのは、桜並木の遊歩道を歩いていたときのことだった。

 杖を付いた高齢の男性とすれ違う直前、その男性が急によろめいて、田野上さんの方に倒れ掛かって来たのである。

 田野上さんは、咄嗟に男性を支えた。男性は「ありがとうございます。お陰で転ばずに済みました」と、丁寧に礼を述べた。

 男性はひどく痩せ細っていて、頭髪もほとんどが白髪だった。杖を握る手も小刻みに震えている。しかしその顔を間近で見て、田野上さんは驚いた。高齢と思っていたが、男性はまだ四十代ぐらいの若さだったのだ。

 その驚きを感じ取ったのか、男性が「実は病気で体を悪くしているもので・・・・」と弁解する。

 「ああ、そうでしたか。どうぞお大事にしてください」

 田野上さんはそれだけ言うのが精一杯で、その場を後にした。


 おそらくこの花嫁の写真は、あの男性の体を支えたときに、彼がそれとなく自分の上着のポケットに滑り込ませたのではないか。いくら思い返しても、その他に心当たりがなかった。

 偶然にも誤って胸ポケットに入れてしまった、とはさすがに思えないので、やはり故意に違いないのだろう。しかしそうだとして、いったい何のために、そんな真似をしたのか・・・・?


 思い掛けない出来事に困惑しながらも、田野上さんは改めて写真を見返した。

 この花嫁姿の女性は、いったいどこの誰なのだろう。写真の裏側を見ても、特に手掛かりになるようなことは何も書かれていない。

 しかし年代的に考えて、この女性はおそらくすでに亡くなっているだろう。見知らぬ故人の写真を突然押し付けられて、田野上さんの困惑は募るばかりだった。

 

 勝手に押し付けられたとはいえ、他人の写真を捨てるのも何だか気が引ける。とりあえずは手元に置いて、それから処分の方法を考えようと、田野上さんは花嫁の写真を机の引き出しに閉まった。


 その日を境に、田野上さんの身辺に不思議なことが次々と起こるようになった。

 仕事から帰って来ると、部屋に誰かがいる気配がある。読書をするにしろ、台所で食事の支度をするにしろ、常に誰かに見られているような気がする。

 朝起きると、隣に誰かが寝ていた形跡がある。引き出しに閉まったはずの写真が、いつの間にか机の上に置かれている。

 ふと背後から声を掛けられ、振り向くと誰もいない。声の主は明らかに女性だ。反対にそこにいない誰かに向かって、田野上さんの方がうっかり話し掛けてしまうことも度々だった。

 そして頻繁に夢を見る。その夢は毎回決まって、写真のなかの花嫁と自分とが、夫婦として共に暮らす幸せな日々の夢だった。

 

 田野上さんには霊感などないし、幽霊の存在も信じていなかったが、さすがにこれは異常だと思った。

 全てはあの花嫁の写真を手にした日から始まっている。あの写真はなるべく早めにお寺にでも持って行って、お焚き上げして貰った方が良いだろう。しかし仕事が忙しいのもあって、なかなかその時間が取れなかった。


 そうこうするうちに二ヶ月が過ぎ、三ヶ月が経ち、田野上さんはだんだん、花嫁の写真を手放すのが惜しくなっていた。

 剥き出しのままでは可哀想だからと、写真立てを買って来て、花嫁の写真をその中に収め、目の付くところに飾る。名前がないのも不憫ふびんだからと、花嫁に名前を付ける。

 朝夕となく何かあるたび、花嫁の名を呼んで話し掛け、夜寝るときは彼女の写真を枕元に置いた。

 夢の中の彼女はいつも優しく微笑んでくれた。いつの間にか、田野上さんは一人暮らしの寂しさを感じなくなっていた。


 やがて時が経つにつれ、不思議なことに、写真のなかの花嫁が色付き始めた。彼女の纏うウエディングドレスが次第に紅く滲んで、今ではまるで血のように鮮やかな深紅に染まっているという。 

 そして俯いていたはずの彼女の顔は、血潮を帯びて上を向き、目線はこちらを真っ直ぐに見つめている。その表情はますます美しく、妖しいほどに魅惑的なのだと、田野上さんは語った。

 筆者は、あえて写真を見せて欲しいとは頼まなかった。その写真を見たら最後、何か取り返しが付かなくなるような気がしたからだ。

 

 現在、田野上さんは四十代後半である。今まで周囲から見合いを何度か勧められたが、全て断ったそうだ。法律的には独身だが、田野上さん自身は、自分には妻がいると思っている。その妻とは、もちろん写真のなかの深紅の花嫁である。


 「・・・・実は、半年前に病気が発覚しましてね。あまり長くないんです」

 そう語る田野上さんは、まるで老人かと見まがうほど痩せ細っている。薬の影響で髪はすっかり抜け落ち、杖がなければ歩けないほどだ。

 「別に死ぬのは怖くないんです。妻のお陰で、充分幸せな人生でしたから。ただ気掛かりなのは、その妻のことです。私が死んでしまったら、誰が妻の面倒を見てくれるのでしょう」



 筆者が思うに、二十年ほど前、田野上さんの上着のポケットにそっと花嫁の写真を忍ばせた男性は、おそらく自分の死期を悟っていたのではないか。そして自分が死んだ後の「妻」の行く末を案じ、その出会いが偶然か必然か分からないが、何らかの理由で田野上さんを見込んで、愛する「妻」を託したのではないか。そんな気がしてならなかった。


 筆者がそう推察を述べると、田野上さんも同感だと頷いてくれた。

 この話を伺ったとき、我々は喫茶店の席で向かい合っていた。窓の外を眺めると、通りの桜は満開であった。


 「明日、妻を連れてお花見に行こうと思うんですよ。春は出会いの季節ですからね。きっと良い相手が見付かると思います」


 そう言って、田野上さんは穏やかに微笑んだのだった。


                 (了)



 

 




 

 

 

 

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