さよならNameless Sound

御都米ライハ

第1話

 どうしよう。

 焦燥と恐怖で頭がいっぱいな私は、ギターをさらに強く抱きしめた。


「ねぇねぇ、連絡先教えてちょうだいよ、サイドテールのかわい子ちゃん。俺、楽しいところいっぱい知ってんだよね」


 そう軽薄な様子で話しかけて来るのは、いかにも遊んでますって風体の大学生(?)。金谷駅南口をすぐ出たところで、インストの路上ライブをしていたら突然話しかけてきた。

 ほんとにどうしよう。同じクラスの男の子だってちょっと怖いのに、年上の男の人なんてもう魔王みたいなもの。音楽でやったシューベルトの『魔王』が聞こえてくる。「まいんふぁーてる、まいんふぁーてる」。ぐるぐる回る思考に、よく響くテノールがこだまして、だんだん、だんだん気が遠くなる……遠くなる…………。


 ——びぃん


 頼もしい低音に我に帰る。それは冷たい指先で握り込んだギターの音。弦に指が触れて、たまたま鳴ったようだった。

 それでも相棒と呼べるギターが励ましてくれたようで、今の私には何よりも心強かった。

 そうだよね。圧倒されてちゃいけない。ちゃんと迷惑だって言わないと……っ。

 意を決し、精一杯の怒り顔を作る。眦を上げ、息を大きく吸って出来る限り体を膨らませて、挑み――かかる!


「あ、あの、わ、私は……っ」

「——ん?」

「ぴえ……」


 別に目の前の男の人は何かを言ったわけでもないし、怖い顔をしたわけでもない。

 ただ私の言葉なんてどうでも良さそうにしただけだった。

 だけど、暖簾に腕押しな、私の意志なんてどうでも良いとさえ思っているその態度が心の底から恐ろしくて、なけなしの勇気は直ぐに萎んでしまった。

 やっぱり無理だよ……私じゃこの人をどうにもできないよ……。

 助けを求めて、視線を男の人の後ろに向ける。金谷駅は、笹良ささら市で2番目に利用者が多い駅。行き交う人たちは、それこそ途切れなく居るんだけど、誰一人として私のことなんて見てなかった。

 冷たい。この11月の夕空と同じくらい冷たい。


(うぅ、誰か助けて……っ)


 現実を断ち切るように視界を力強く閉じて、目尻に浮かんだ涙が弾けたその刹那。


「しつこいナンパはやめたらどう? その、怖がってるじゃん」

 

 耳馴染のある、声が聞こえた。 

 反射的に目を見開く。声を掛けてくれたのは、黒いダメージジーンズに同じく黒のTシャツを着たお姉さんだ。歳は目の前の人と同じくらい。首や腕に着けたシルバーのチェーンがパンクな雰囲気を漂わせている。

 お姉さんは心底呆れた様子で男の人を見ると、

 

「大学生が流石に高校生くらいの子をナンパってどうなの?」

「嫌だなぁ、お姉さん。歳の差は大してないじゃないですか」

「高校生にとっちゃ、その大したことのない差が大きいの忘れた? 1歳違うだけでやれ先輩だ、後輩だってなる時代だけど」

「やれやれ、口の減らない方ですね。このかわいこちゃんの知り合いですか?」

「いんや、全然。顔を知ってる程度。でも、助けるのが人情ってもんでしょ。それに止めたのはキミのためでもある」

「というと?」

「お巡りさんの見回り。そろそろ北口からこっちに来るけど、どうする?」

「はぁ……仕方ありませんね。なら、テレビ塔近くに移動しますか」


 溜息を1つ。私をナンパしていた男の人は、こちらを一瞥もせずに去って行った。ナンパしてきたのに、私に興味なんてないようだった。

 助けてくれたお姉さんはその背中を信じられないものを見る目で見送って、私に安心感のある笑顔を向けてくれた。


「災難だったね。今どき、あんなしつこいナンパに出くわすなんて」

「怖かったです……」

「ああいうのは、慣れが必要だからねぇ。私も初めてナンパされた時はびくびくしてたよ」


 と口では言いつつ、快活に笑うオトナなお姉さんからは、そんな初な時代はちょっと想像出来ない。 


「しばらくは此処で弾かない方が良いかも」

「はい……そうします」

ところで弾けなくなるのは残念だけど」

「はい……」


 って、ん? いつもの? っていうことはつまり?

 言葉に違和を感じた私は、思わず前のめりに問いかける。


「私のこと、知っててくれたんですか?!」

「おぉっと、いきなりどうしたの」

「え、あ、いやぁ、その」


 こういうことは正直、本人には言い辛い。でも、この機会を逃すと一生言えない気がする。

 うぅ、うぅ〜〜、ええいっ、言っちゃえ言っちゃえ! 

 自棄になった気持ちに押された私は、蚊の鳴くような声で白状した。


「実は、お姉さんのファンで……」


 私を助けてくれたお姉さんは、私が路上ライブを止めたくらいのタイミングで、入れ違いで弾き語りを始めるミュージシャンだ。


「え、ほんと。それは嬉しいな」

「えへ、でへへ」


 駄目だ。顔がとろけ切ってるのが分かる。


「ねぇ、名前は?」

「そ、そんな私なんて……」

「いいじゃん、教えてよ。アタシのファンの名前をさ」


 う、歯を見せて笑わないで欲しい。断りにくいから。

 でもだけど、ナンパから助けてくれた恩もあるし……それに憧れの人に名前を覚えてもらうのは少し、ううん、だいぶ嬉しい。

 だから、恩返しなんて綺麗な理由でデコレーションした我儘を言葉にする。


「宗谷……宗谷そうや美鈴みすず、です」


 宗谷美鈴。何度も誰かに告げた、聞き慣れすぎた響きの自分の名前。

 だというのに、目の前のお姉さんに告げたその響きは、曲が始まる最初の一音のようだった。


「そっか、美鈴ちゃんか」


 お姉さんが《《にかっ》と笑って名前を呼ぶ。

 その声は胸が苦しくなる音楽の音と良く似ていた。





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