ばあさんのルージュ
小田虹里
第1話 じいさんが逝った
大層な田舎に住んでいたじいさんが、亡くなった。田舎では、じいさんとばあさんが古民家でふたり暮らしをしていた。その中にある小さな和室に、親族一同が集まる。主な話は、今後のばあさんの居場所についてだった。ばあさんの子どもは三人。いずれも男で、僕の父親は次男坊だった。三人とも結婚をし、子どもも居る家庭。それに、仕事もあって都会へ出ていた。県さえ違うこの田舎のばあさんの家に、引っ越してくるのは難しいだろう。かといって、ばあさんを預かろうと言い出す息子は居なかった。嫁さんたちも、良い顔をしない。
ばあさんは、昔から性格が曲がったところがあった。
僕は会話には参加せず、どの方向性で着地するのかを静かに見守った。時折、ちらりちらりとばあさんの方へ視線を向ける。ばあさんも、こちらの会話には参加しようとしない。じいさんのことを思い出しているのか。難しい顔をしながらも、やはりいつもよりは元気がない。当然と言えば、当然か。この小さな家に、ばあさんは独り取り残されてしまったのだ。
話し合いの末、ばあさんはこの田舎に独り残る道を選んだ。
息子たちの誰もが、ばあさんとの関わりを拒んだのだ。
それから、あっという間に一年半の時が過ぎた。僕は大学の二年生。色々な資格を取ろうとしていた為、キャンパスライフは勉強一色に染まっていた。夏休みも、二ヶ月設けられているが、僕が学校に通わないで済む、フリーの日はたったの七日間だけだった。それだけ勤勉に励んでいたところで、親父から僕にある話が持ちかけられた。
ばあさんの、終活を手伝ってきてくれ。
親父はそう告げた。僕は、溜息しか出ない。
「なんで僕が?」
「明後日から数日、時間があるんだろう? なに、身辺整理をして来てほしいだけだ。最近、ばあさんはボケてきてるらしくてな」
「だったら、尚更親父が行けよ」
「父さんは、仕事がある」
(んな、暴論な。僕だって、忙しいっていうのに!)
内心で毒づいてから、再度溜息をこぼす。結局大人の勝手に振り回され、良いようにされるのが子どもの役割なのだ。噛み付くだけ無駄かと自身の中で完結させ、僕は簡単に遠出の支度をした。
迎えた帰省の日。都会から田舎までの道のりは長い。新幹線を乗り継ぎ、私鉄に乗り換え。最寄りの駅からは、バスもない。片道十キロ以上ある山道を、ただひたすら上っていく。上空から降り注ぐ、燦燦と照る日光により、頭からは湯気が出そうだ。舗装されたアスファルトの道からの照り返しは眩しく、靴を通り越して熱が伝わる。はぁ、はぁ……と息を切らしながら、僕は汗だくとなりちっぽけな古民家に着いた。久しぶりの田舎だ。少し緊張した面持ちで、インターホンを鳴らす。ビー……ビーという、くぐもったブザーのような音がした。接続が悪いのか。上手く聞こえてこない。それに、家に居るはずのばあさんからの返答もなかった。僕はもう一度ボタンを押した。しかし、結果は変わらない。汗でべっとりとした髪をワシャワシャとかき回すと、二、三本の髪の毛がぶちっと千切れ指にまとわりついた。なんとなしにそれを目で確認してから、ぽいっと地面に捨てる。それを合図に、門を開けて僕は中に侵入した。南側に広がる庭に顔を出し、中の様子を窺う。すると、居間の様子がレースカーテン越しにだが確認できる。中には確かにばあさんは居た。
(なんだ。居るじゃないか)
玄関の鍵なら親父から預かっていた。それでも、いきなり鍵を開けなかったのは、ばあさんへの配慮だ。ただ最近は、耳も遠くなっていると聞いた。インターホンの音が聞こえていない可能性も考え、僕は玄関に向かうと持参した鍵を回した。ガチャリと音が鳴り、僕はスライド式の扉を左に開けた。室内へ入ると、すぐにばあさんの姿を確認できた居間へ向かう。それと同時に言葉もかけた。
「ばあさん、久しぶり」
「…………」
ばあさんは、ぼんやりとした顔つきで、外に視線を向けている。その先に何かあるのかと、僕も気になり顔を向けてみた。特別、何か変わったものがあるようには思えない。
「ばあさん。部屋の片づけに来たんだけど……部屋の方、見て良い?」
「…………」
「……ばあさん?」
黙りこくってるばあさんのことが、ちょっとだけ気になった僕は、敢えてばあさんの視界に自分の顔が映り込むように首を伸ばした。これで認識されないはずはない。
「ばあさん? 部屋、片付けてもいいかな?」
「あぁ、いい天気やねぇ」
「…………」
やっとばあさんの口が開いたと思えば、それは僕に対しての返事とは思えない、どこか的外れの言葉だった。心のどこかで、僕は何かが欠けたような痺れを感じた。胸がぎゅっと、苦しくなる。それから逃げる様に、僕はばあさんに背を向け、居間に隣接する和室に向かった。
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