そわそわ中庭、くまくまプレゼント
さわさわって、優しい風がわたしのほっぺを撫でていく。放課後の、少しだけひんやりしてきた中庭。西の空は、いちごみるくをこぼしちゃったみたいに、きれいなピンク色に染まり始めてるの。わたし、
この包みね、実はね、わたしが、えっと、その……先輩のために、がんばって作ったクッキーが入ってるの。昨日、家庭科の授業で習ったばっかりの、くまさんの形をしたやつ。うまく焼けたか、ちょっと、どきどきなんだけど……。
(せんぱい、甘いもの、意外と好きだって、こないだちらっと言ってたような……気がするんだもん。だから、その、いつもお世話になってるお礼……みたいな? ううん、でも、こんなの、迷惑かなぁ? 先輩、わたしの手作りなんて、変な顔するかも……。うぅ、どうしよう、渡せるかなぁ……。心臓が、ぽこぽこするよぅ……)
わたしが、もじもじ、そわそわ、落ち着かない子犬みたいになってると、ふいに、影が、すぅっと伸びてきた。
「おや? こんなところで、一人たそがれてるのかい、小鞠ちゃん。何か、人生に思い悩むような深刻な出来事でも?」
ひゃあ! せ、先輩っ!
いつの間に、うしろにいたのぉ!?
びっくりして、びくーん!って肩が跳ねちゃった。持ってた包みを、あわてて背中に隠そうとしたんだけど……間に合わなかったみたい。
「む? その隠蔽工作、実に怪しいねぇ。何を隠してるんだい? まさか、僕に対する反逆の狼煙を上げるための、秘密兵器の設計図とか?」
(み、見られちゃった!? どうしよう、どうしよう! ひ、秘密兵器だなんて、そんな物騒なものじゃないのにぃ! あたふた、あたふた……!)
「ち、ちがいますぅ! これは、その、ただの……えっと、忘れ物? そう、忘れ物ですぅ!」
わたしの声は、うわずっちゃって、しどろもどろ。自分でも、苦しい言い訳だなぁって思う。だって、こんな時間に、中庭のベンチで、忘れ物、って……不自然すぎるもん!
先輩は、ふむ、と顎に手を当てて、じーっとわたしの顔を見てくる。その視線が、なんだか、わたしの心の中まで、ぜーんぶお見通しみたいで、恥ずかしくて、顔が、かぁーって熱くなってきた。
「忘れ物、ねぇ。ずいぶんと、まぁるくて、可愛らしいラッピングが施された忘れ物だこと。しかも、それを背中に隠して、挙動不審に震えている、と。……ふふん、さては、僕への貢ぎ物だな? そうだろう?」
「み、みつぎものじゃ、ないですってばぁ!」
「じゃあ、賄賂か。僕の機嫌を取って、次のテストで手心を加えてもらおうっていう、浅はかな魂胆が透けて見えるようだねぇ」
「わ、賄賂でもありませんーっ!」
うぅ、もう! 先輩のいじわる!
わたしの、ささやかな勇気と、感謝の気持ちが、なんだか、とっても悪いことみたいに言われちゃうなんて、ひどいよぅ! ぷんすか!
わたしは、むーってなって、俯いちゃった。背中に隠した包みが、なんだか、とっても重たく感じる。
(やっぱり、渡すの、やめようかなぁ……。こんなふうに言われちゃうなら、持ってこなきゃよかったかも……。でも、でもね、先輩、昨日、数学の難しいところ、教えてくれたんだもん。そのお礼、ちゃんとしたかったんだ……。それに、このくまさんクッキー、がんばって、かわいくアイシングもしたんだよ……。見て、ほしいなぁ……なんて……)
ぐるぐる、ぐるぐる、わたしの頭の中は、迷子のカタツムリさんみたい。渡したい気持ちと、恥ずかしい気持ちと、ちょっぴり悔しい気持ちが、ぐちゃぐちゃに混ざっちゃって、どうしたらいいか、わかんないよぅ……。
わたしが、うーんと唸りながら、膝の上で指をいじいじしてると、隣から、ふぅ、って、小さなため息が聞こえた。
「……まぁ、いいや。で? 結局、それは、なんなのさ」
あれ?
先輩の声、なんだか、さっきまでのからかう調子じゃなくて、少しだけ、静かな感じ……?
そーっと顔を上げると、先輩は、夕焼け空の方を見てて、横顔しか見えないけど、なんだか、ちょっとだけ、真面目な顔をしてるような……気がした。
どきん。
この瞬間を、逃しちゃダメな気がした。今しかない、かも。
わたしは、えいっ!って、心の中でちいさな掛け声をかけて、背中に隠してた包みを、おずおずと、先輩の前に差し出した。
「あ、あの……せんぱい……これ……」
心臓が、ばっくん、ばっくん、うるさいくらい鳴ってる。手が、ふるふる震えてるのが、自分でもわかる。
「こ、こないだ、数学、教えてくださった、お礼、みたいな……。あの、もし、よかったら……ですけど……」
言葉が、途切れ途切れになっちゃう。恥ずかしくて、先輩の顔、見れないよぅ……。
しーん……。
時間が、止まっちゃったみたい。
風の音と、わたしの心臓の音だけが、聞こえる。
先輩、怒ってるかな? それとも、呆れてる……? こわいよぅ……。
「……ふぅん」
やっと聞こえた先輩の声は、やっぱり、ちょっとだけ、ぶっきらぼうな感じ。
「お礼、ねぇ。あんな簡単な問題を教えたくらいで、大げさだなぁ。……まあ、きみのその、涙目になりながら必死になってる顔に免じて、受け取ってやらんでもないけど?」
え?
わたし、涙目になんて……なってたかな?
あわてて、自分の目元に触ってみる。……ほんとだ、ちょっとだけ、潤んでるかも。
先輩は、わたしの手から、ひょいって、優しく包みを受け取った。その指先が、また、ほんの少しだけ、わたしの指に触れた。
ひゃっ……!
(ま、また、触れちゃった……! あったかい……! きゅん……!)
先輩は、包みのリボンを、少しだけ、ほどいて、中を覗き込んだ。くまさんのクッキー、見えちゃったかな?
「……ほう。これはまた、ずいぶんとメルヘンチックな造形物が、こんにちは、してるねぇ。食べるのが、若干、ためらわれるレベルのファンシーさだ」
うぅ……! やっぱり、笑われちゃった……?
でも、先輩の口元が、ほんの、ほんのちょっぴりだけ、ゆるんでるような気がしたんだ。気のせい、かなぁ?
「べ、別に、笑わなくたって、いいじゃないですかぁ! いっしょうけんめい、作ったんですから!」
思わず、ちょっとだけ、むきになって言っちゃった。
「はいはい、分かってるよ。きみが、そういうことにだけは、妙に情熱を燃やすタイプだってことはね」
先輩は、リボンを元通りに結び直しながら、言った。その手つきが、なんだか、すごく丁寧で、優しい気がして、また、どきどきしちゃった。
「……じゃあ、ありがたく、もらっとく」
「……はいっ」
ほっ……。渡せた……!
よかったぁ……。全身の力が、ふにゃーって抜けちゃいそう。
先輩は、立ち上がって、制服のポケットに、そっと、わたしのクッキーの包みをしまった。
「さて、と。じゃあ、僕はこれで。……ああ、そうだ」
帰りかける先輩が、また、ふりかえった。夕日が、先輩の輪郭を、きらきら縁取ってる。
「この、えーと……『贈り物』の味に関する評価は、後日、詳細かつ的確なレポートにまとめて提出してやろう。覚悟しておくように」
「えぇぇ!? レ、レポートですかぁ!?」
「当然だろう? 受け取ったからには、評価を下すのが、礼儀というものだ。……まあ、あんまり、変な毒とか、入ってないといいけどね」
そう言って、先輩は、今度こそ、ひらひらと手を振って、歩き去っていった。
最後まで、意地悪なんだから! もう!
でも……。
一人になったベンチで、わたしは、まだ、どきどきしてる心臓を、ぎゅっと押さえた。
先輩のポケットに入った、わたしの、ちいさな、ちいさなくまさんクッキー。
ちゃんと、届いたんだ。
(レポートなんて、こわいけど……でも、ちゃんと、食べてくれるってこと、なのかな? 感想、聞かせてくれるのかな……? どきどきするけど、ちょっとだけ、楽しみかも……。先輩、おいしいって、思ってくれるといいなぁ……)
夕暮れの風が、また、さわさわって吹いて、わたしの髪を揺らす。
手の中は、もう空っぽだけど、胸の中は、なんだか、ふわふわして、ぽかぽかして、あったかい気持ちでいっぱいだ。
先輩の、いじわるな言葉の中に隠れてる、ほんのちょっぴりの優しさを見つけるたびに、わたしの心は、宝探しみたいに、きらきら輝くんだ。
明日、先輩に会ったら、どんな顔すればいいのかなぁ?
また、からかわれるんだろうなぁ。
先輩のポケットに入った、わたしの、ちいさな、ちいさなくまさんクッキー。ちゃんと、届いたんだ。レポートなんて、どきどきするけど、それでも、わたしの気持ち、ちゃんと受け取ってくれたんだもんね。
また明日、先輩に会える。そう思うだけで、わたしの心は、夕焼けみたいにあったかくなるんだ。
たとえ、明日もまた、先輩にあのクッキーの味について、ものすごーく厳しくて意地悪なレポートを提出されちゃうとしても、ね!
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