第20話 虚弱聖女と大好き
「セレスティアル、大好きだよ」
大好き――
たったの四文字が、私の心に染みこんでいく。染みこんだ場所から波紋のように広がり、心を大きく揺さぶった。
何も言えずにいる私に、ラメンテが少し企みを含んだ笑いを混じらせ、続ける。
「僕は、大好きな人に嘘を言って、傷つけたりなんてしないよ。だから自分のことをもっと誇って」
そう言われて、気づく。
自分が相手の発言に傷つかないように、無意識のうちにたくさんの予防線を張っていたことに。
祖国で受け続けた、周囲からの心ない言動から自分を守るために、知らず知らずのうちに固く小さくなっていた何かが――ふわっと軽く、緩んだ気がした。
自分が思っていた以上にネルロ様がいなくなった後の暮らしは、辛くて、苦しくて、でもそれに気づけば、きっと耐えられなかったから、自分の心を固く小さくして悪意から守り続けていたんだ。
ラメンテの言葉が……大好きという魔法の言葉が、それらに気づかせてくれた。
そんな気が、した。
心がじんわりと温かくなる。
虚弱体質な偽聖女。
平民のくせに。
役立たず。
今まで私を苛み続けてきた言葉が、ラメンテの大好きに上書きされ、突然遠く、薄くなっていく。
心から溢れたぬくもりが、目頭を熱くした。
喉が震え、吐き出された息に言葉が自然とのった。
「ありがとう、ラメンテ……私も、大好きよ」
気づけば、ラメンテと視線を同じにして、彼のふわふわな身体を抱きしめていた。
とっても良い匂いがする。
温かくて、多幸感で胸がいっぱいになる。
顔を上げると、微笑みながら私たちを見守っていたルヴィスさんと目が合った。彼の口角が上がり、ラメンテの発言に同意するように、深く頷く。
「私だけでなく、城の者たち皆、セレスティアル様に深く感謝しています。そして、好意を抱いております。謙虚で慎ましく……しかしいざというときには驚くほどの強さを持っていると」
「強いなんて……私にとって一番縁遠い言葉なんですけど……」
苦笑いをしながら答えると、ルヴィスさんは首を横に振った。
「肉体的な意味ではありません。ローグ公爵との話し合いの場に乗り込まれたあの日のあなた様を、今でも忘れられないと皆が語っています。ラメンテ様に寄り添われ、真剣な眼差しで力強く歩く様は、まさに聖女と呼ぶにふさわしいお姿だったと。この城にやって来られた弱々しいあなたと、同一人物とは思えなかったと」
「そ、そんな! か、買いかぶりすぎです!! あのときは……レイ様が国のために悪役になっているって知って、なんとかしたいと必死だったから……」
思い返せば、ルミテリス王族の話し合いに突撃するなんて、トンデモないことをしてしまったと、鳩尾当たりがヒヤッとなる。
お二人が慈悲深い方々で本当に良かった。
ルヴィスさんが褒めてくださるのは嬉しい。先ほどよりも、素直に彼の言葉を受け入れられている自分がいる。
だけど、それはそれ、これはこれ、であって、私の行動が褒められたものではないことは確かなわけで。
思い出すと恥ずかしくて、自然と顔が下を向いてしまう。
そのとき、誰かに肩を抱かれ、そのまま引き寄せられてしまった。
咄嗟のことで身体がバランスを崩し、私の身を引き寄せた相手の方によりかかってしまう。
肩を抱くのは、大きな手。
その持ち主は――
「れ、レイ、様!?」
「おい、ルヴィス。セレスティアルに何を言った? 目が真っ赤じゃないか! 何か言って、彼女を泣かせたんじゃないだろうな!?」
私の叫びを無視したのか、耳に入っていないのか……レイ様は私に返答はせずに、ルヴィスさんに鋭い口調で訊ねた。
なんか、レイ様の声がいつもと違って怖い。
だけど、ルヴィスさんには恐れはなさそう。何故か呆れたように大きくため息をつき、何か言おうとしたけれど、ラメンテが答える方が早かった。
「違うよ、レイ。僕もルヴィスも、セレスティアルが大好きって話をしてたんだよ、ねー、ルヴィス」
同意を求め、ラメンテがルヴィスさんを見たけれど……ルヴィスさん、何で額に手を当てて困惑しているの?
様子がおかしいのは、ルヴィスさんだけじゃない。
隣にいるレイ様を見ると、彼は赤い瞳を大きく見開いて固まっていた。
まるでここだけ時間が止まっているみたい。
しばらくして、今度はレイ様の瞳だけ時間が速くなったかのように、激しく瞬きを繰り返した。
口がもごもご動き、やっとのことで言葉となる。
「る、ルヴィス、お前……」
「はぁー……誤解しないでください。セレスティアル様に感謝している、という意味の好意です、陛下。」
「そ、そうか……」
レイ様が安堵した様子を見せたのも束の間、
「僕は、それだけじゃないけど? セレスティアルのこと大好きだし、これからもずーーーーっと一緒にいたい。セレスティアルの傍にいると、本当に心地がいいんだー」
という屈託のないラメンテの発言を聞いたレイ様の表情に、再び緊張が走った。
かと思えば、次の瞬間、私の目の前にレイ様の顔があった。私の両肩にを掴み、レイ様が真っ直ぐ、そして非常に真剣な表情で口を開く。
「俺も大好きだ、セレスティアル」
えっ?
だ、だい、好き?
言葉の意味を脳がすぐに処理できず、反応できずに固まってしまった。
代わりに反応したのは、ラメンテ。私とレイ様の間に無理矢理割り込むと、レイ様をぐいぐいと鼻先で押す。
「いやいや! レイ、僕の方がセレスティアルのこと、大好きだしっ!!」
「いーーや! 俺の方が大好きだ!!」
「僕の方が、レイなんかよりも、もっともっともーーーーっと、大好きだしっ!!」
「何を言ってる、ラメンテ! 俺の方が、お前よりもずっと……」
「はいはいはい。お二人が大好きなセレスティアル様が、非常に困っていらっしゃるご様子ですけど。好きな相手を困らせていいのですか?」
冷然とした声が、レイ様とラメンテの言い合いに割り込んだ。
ルヴィスさんだ。
咎められた二人は私の方を見ると、気まずそうに俯いた。
「すまなかった、セレスティアル」
「ご、ごめんね?」
二人がほぼ同時に私に謝罪した。レイ様もラメンテも、シュンッとしている。
ずっと一緒にいるせいか、謝る雰囲気がとても似ていて、思わず噴き出してしまった。
レイ様の発言には驚いたけれど、きっとルヴィスさんと同じように私に感謝しているという意味に違いないわ。
長きに渡る問題が解決したのが他の方々よりも嬉しくて、大好き、なんていう表現になったのかも。
困惑が、笑みへと変わる。
「ふふっ、ありがとうございます。レイ様、ラメンテ。私も、大好きですよ」
ラメンテのことも、レイ様のことも。
ルヴィスさんのことも、ティッカさんのことも。
この城で働く人々のことも、ルミテリス王国のことも――
死にかけていた私の命を救い、温かく迎えてくれたこの国のために、ラメンテの聖女として力を尽くしたいと、心の底から思う。
すぐ傍でレイ様が、
「え?」
と声を上げた。まじまじと私を見つめている。
しかしそのとき、ルヴィスさんが皆に、自分の仕事に戻るように指示を出した。
突然、場が慌ただしくなる。
そちらに気を取られているうちに、気づけばレイ様はルヴィスさんと一緒に城内に戻ろうとされていた……んだけど、ルヴィスさんがレイ様を引っ張っているように見えるのは、私の気のせい?
レイ様たちの後ろ姿を見送っている私の手を、ラメンテの鼻先がつついた。彼と目線を同じにすると、微笑みながらフワフワな白い頭を撫でた。
ラメンテのモフモフは、心が安らぐ。
それにしても……
「不思議ね。出会ってそれほど時間が経っていないのに、ラメンテとこんなにも仲良くなれるなんて……」
「そうだね。でも、僕はセレスティアルを一目見たときから、好きだって、一緒にいたいって思っていたよ。でも確かに、なんでかな……」
「そういえば私も、初めてラメンテと出会ったとき、全然怖くなかったの。一緒にいると心地良いし……」
なんだか、懐かしい気持ちになる。
でもこれは言わなかった。
だって私とラメンテは、ルミテリス王国の結界の端で、初めて出会ったのだ。懐かしいなんて、私の勘違いに決まってる。
聖女と守護獣様だから、初対面でも、何か惹かれるものがあったの?
不思議に思っていると、ティッカさんがやってきた。城内に戻るよう促され、彼女の言葉に従う。
この場を立ち去ろうとしたとき、
”大好き……これからもずっと一緒にいたい……――”
夢でしか聞いたことのなかった女性の声が、聞こえた気がした。
けれど最後の言葉は、人々のざわつきに紛れて、聞き取ることはできなかった。
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