第3話
辺りは徐々に薄暗くなっていき、街灯が一つ、また一つとパチパチ点灯し行く。
学校のある方角に、茜色が溶け込む。
夜と夕暮れの狭間。その曖昧さが肌にまとわりついた。
健太達と分かれたあと、特に理由もなく、俺と安曇は最寄りのコンビニでたむろした。
店前の小さいフェンスに腰かけ、尻でバランスを取りながら、ガリガリ君をかじる。
練習後の火照った体に、冷たいアイスが染みる。
「先輩、剣崎部長あれで隠し通せてると思ってますよ」
「……あいつ昔っから嘘つくの下手だからな〜」
「そ・れ・な〜!」
安曇はニヤリと笑い、両指であたりを出すように、俺に指差した。
相変わらず、馴れ馴れしい後輩だ。
「何であんな乳牛女に……」
ポツリと漏れた囁きに、息を呑んだ。
それは、明るく人懐こい彼女から出たとは思えない言葉だった。
飛鳥自身、気づかないまま出た言葉だったのかもしれない。
あえてその言葉を聞き流した。
「なぁ…安曇」
「飛鳥、って呼んでください」
不意を突かれて、アイスを咥えたまま固まる。
「昨日言いましたよね?同盟の条件。下の名前呼び、っスよ」
後輩とは言え、女子を下の名前呼びは気が引ける。
でも、今俺らは———。
「あ……飛鳥」
「よくできました」
そう言って、両手で控えめにパチパチと拍手された。
からかってるような、でも少しだけ嬉しそうなその笑顔に、なんとも言えない感情が胸に残る。
「オメェ、からかってるだろ」
「まぁ、半々っスかねぇ?」
コイツ……。
ニシシと笑う顔は可愛げある。だが、腹の中は真っ黒だ。
「で、なんですか千紘先輩?」
唐突に聞き返されて、言葉に詰まる。
「あぁ、いや、仮のカップルって事なんだけど、カップルって何すればいいんだ?」
「え、例えばキスとかですか?」
「いきなりハードル高いのやめろ」
「うちも先輩とキスするのは無理っスね」
「だったら何で言ったんだよ」
「わかんないからっスよ!!」
「お前が言い出した同盟だろ!?」
「そりゃそうっスけど……」
沈黙が訪れた。
飛鳥は、”ハズレ”と書かれたアイスの棒をくるくる回していた。
「……あたしだって、彼氏いたことないですし」
いつもの調子ながら、その言葉はどこか寂しさを孕んでいた。
「千紘先輩が知っててくださいよ」
「俺だって……彼女いた事ないんだよ」
「あ、そうか………ま、ドンマイっすね」
「お前まじで相模湾に沈めるぞ」
飛鳥は弾けるように笑った。
ひとしきり笑うと、話を続ける。
「そうっスねぇ……例えば、お昼を一緒に食べるとか?」
「……あぁ。確かにカップルっぽいわ」
「あとは……休日にどこか出かけるとか?」
「無理。面倒。」
「先輩、まさかのインドア派!?」
驚いたように、飛鳥は目を見開いた。
別に、インドアってわけじゃない。少し前は健太や部のメンツと外でてカラオケしたし。
ただ家にいるのが好きなだけだ。
「別に、アタシが先輩の家行って、マリカーでもいいんっスよ?」
「スマブラでもいいか?」
「No problem」
「いや、ネイティブかよ」
そうやって冗談を言い合っているだけなのに、どこか不思議と心が落ち着く。
失恋の痛みも、ほんの少しだけ遠ざかった気がした。
その後も、俺たちは愚痴だったり何だりと話した。
気がつくと完全に日は暮れて、それは真っ黒。俺たちは慌ててチャリを出して、家路についた。
***
キーンコーンカーンコーン
四限の終わりを告げる鐘と共に、俺は椅子を蹴る様に立った
「ありがとうございましたー」
「あざしたー」
「あした〜」
授業終わりの礼を済ませて、俺は教室を飛び出した。
ダッシュで向かった先は———売店だ。
そこでは、男たちによる、きなこ揚げパン争奪戦争が火花を散らした。
例に漏れず、俺もその戦いに挑む兵士のひとりだ。
「きなこ揚げパン1つ!!」
「揚げパン、これで買える分だけ頂戴!!」
「オバチャン!!きなこ揚げパン1つ!!」
「オドレ誰がおばちゃんじゃゴラァ!!」
売店前は教科書で見たオイルショックの写真そのもの。
500円を握りしめた男たちが、真剣な目でパンに群がっていた。
……でも、俺はこの流れに乗らない。
この戦いに挑んで3年目。ここで冷静に居られる人間が、勝利を掴める。
人の群れとはいえ、所詮は個の集合体。
———何処かに隙間があるはずだ。
目を凝らしていると———見えた、隙の糸…!!
俺はすかさず体を潜り込ませた。
野郎の汗と欲望の入り交じる、灼熱の渦。
むせ返る臭いに目を細めながら、俺はパンの前にたどり着いた。
「兄ちゃん、よく来たな…さぁ、何を望む…?」
俺に迷いはなかった。
一点の曇りない眼で見つめ、口を開いた。
「きなこ揚げパン…ひとつ」
瞬の沈黙。そして———
「悪いな兄ちゃん。今さっき売れたのが最後だ。また来いよ」
俺は売れ残りのコロッケパンを買って、静かにその場を後にした。
勝者たちの影を背に、お釣りを握りしめる。
きなこ揚げパンは、今日も俺の手に入らなかった。
***
購買の喧騒を離れ、中庭のベンチに腰掛けた。
建物に囲まれた中庭は、日光が遮られているせいで薄暗く、湿気でジメジメしている。この雰囲気のせいで、余計気分が沈む。
何が揚げパン戦争だ。
あんなのに夢中になるなんて…男子ってホントばか!!
と、心の中で卑下してみた。
「あ、千紘先輩〜」
場所を変えようとした矢先、聞き慣れた声が後ろから聞こえた。
「あぁ、安曇―――いや、飛鳥か」
まだ下の名前で呼ぶのに抵抗がある。
「コレからお昼っスか?」
「まぁ…そんなとこ。お前は?」
「アタシもっス。さっきまで友達といたんスけど、その子が彼氏とばったり会っちゃって、そのままラブラブコースです。」
段々と曇っていく彼女を見て、掛けてやる言葉が思い浮かばなかった。
「いいっスよねぇ〜“彼氏”って」
「そんなに良いものなのか?」
「少し前に失恋した人間の言うセリフですか?」
ぐっ。確かにその通りだ。
「別に。前島とは付き合いたいとか、彼女にしたいとかじゃ無いし…」
飛鳥は「そうなんすねぇ〜」と軽く流した。
肌寒い中庭が、少しだけ暖かくなったような気がする。
「というか先輩、周り見てください…」
そう言われて周りを見て見た。
2人組みの男女がベンチに点在していた。
お互い喋らずに食べるカップル、過剰につつきあったり、見せつけ合うようにイチャイチャするカップル等など。
「カップルばかりだな……」
熱々の皆様方を見ていると、俺たちがここにいるのが場違いに思えてきた。
「先輩、場所…変えませんか?」
小さく呟く彼女は、頬を赤く染め、小刻みに震えていた。
「そうだな」
俺は静かに頷いた。
***
少し早足で階段を駆け上がる。
運動部の意地で、難なく5階まで上った。
そっと廊下を覗く。
誰も居ないことを確認して、早足で教材準備室前に立った。
飛鳥と一緒のせいか、何時もより背徳感を強く感じる。
教材準備室というのは名ばかりで、実態は物置部屋だ。
人が来ることもないので、四六時中鍵が掛かっている。
しかし、裏技を使えば簡単に開けることが出来てしまうのだ。
扉を軽く持ち上げると、錠の噛み合わせが外れて、扉が開く。
「先輩、常習犯ですね」
「まぁ…ね?」とキメ顔をしてみたが、こっちを見ること無く中へ入って行った。
「なんか埃っぽいッスね」
飛鳥は口元を手で覆うと、顔前でもう片方の手をパタパタさせた。
「誰も来ないからなぁ…掃除もしてないんだろ」
言いながら、固い窓を力づくで開けた。
誇りっぽい部屋に、暖かな風が流れ込んでいく。
人仕事終えて、俺はソファーに腰を下ろした。
ドスッと座った瞬間、ソファーが沈み、年季の入った軋みが響いた。
飛鳥は何処か座る場所を探すように、そわそわ視線を泳がせた。
こういう所、几帳面だよなぁ…。
そんなこと思いながら、俺は1個隣にズレ、空いてる所を手でポンポンっと叩いた。
「こっち来いよ」 飛鳥は一瞬躊躇う様子だったが、「じゃ…」と言って、おもむろに座る。
「先輩、こんな場所どうやって見つけたんス?」
「昔、色々世話になった先輩に教えてもらった」
「先輩の先輩っすか……」
飛鳥はしみじみした表情で、手を顎に当てる。
「つまり、先輩はその先輩からここのことを教えられて、今度はアタシにその事を教えたと……伝統ってやつっすね」
「あぁ、確かにそうかもな……」
思わず笑みが漏れた。
あまり人と関わらない自分にも、何かを繋げたと思うと、少し誇らしかった。
———中井先輩もこんな気持ちだったのだろうか。
窓から入る風が、あの人の揺れるポニーテールをぼんやりと思い出させた。
「先輩、何笑ってるんですか?」
キモっと言いたげな顔で俺を見た。
「なんでもねぇよ」
「そうですか」とだけ言って、膝に置いた弁当包の結び目を解く。
彼女のピンク色の小さな弁当箱は、やかましい性格とは真逆の、何とも女子らしい可愛げなものだった。
俺もコンビニ袋をくしゃくしゃと漁って、取り出したパンなどを床に置いた。
「先輩!!お昼ご飯それだけっスか!?」
「あぁ…そうだけど?」
「プリン、グミ、菓子パン…先輩、糖尿病なりますよ?」
「良いんだよ。俺は今を楽しみたいんだ」
「あと、顔に似合わず甘党なんスね」
飛鳥は、俺の心を見透かすように、目を細めて言った。
「な…だ、だから何だよ!?」
「先輩!!ちゃんと、栄養をバランスよく取らないとダメっスよ」
「お前は俺の母ちゃんか…」
ふと、彼女の弁当を覗いてみる。
ブロッコリーにトマト、焦げ目のない卵焼きに、白米…。
小さな弁当箱に、栄養と彩りが良く詰められていた。
俺が某グルメリポーターなら「栄養の宝石箱やぁ〜」て言っただろう。
「お前の母さんが作ってくれるの?」
「まぁ…半々っす」
「なんだよ。半々って」
「家、両親共働きで兄弟多いんすよ。何で、お母さんの負担減らすため、弁当作り手伝ってるんす」
その言葉からは、彼女家庭での一面が垣間見えた。
初めて会った時は子どもみたいだと思ったけど、それは家庭でのしっかり者故の反動だったのだろうか。
「意外としっかりしてるんだな」
「意外とってなんすか!?」
飛鳥は少し怒りっぽく言った。
「あぁ…悪い」
「はい、先輩。これ」
飛鳥はフォークにブロッコリーを刺して、俺の口元に寄越してきた。
「ほら、どうぞ」
「いや、いいから!!」
「ダメっす!!先輩、毎日それだと早死しますよ?」
少し考えたが、彼女の圧に押され、ご厚意に甘える事とした。
「そんじゃ…いただきます」
「よろしい」
飛鳥はニコッと笑った。
少し柔らかめに茹でられていて、歯を入れると簡単に潰れた。
「ブロッコリーの食物繊維は、糖分の吸収を和らげてくれるんッスよ」
「えらく詳しいな」
「弁当作りしていると、そういう知識が増えるんッスよ」
少し照れながら言った。
「はい。次はタンパク質。筋肉作りには必須ですよ」
「卵焼きのことタンパク質呼びする奴初めてだわ」
2回目は恥じらいも抵抗もなく、卵焼きの刺さったフォークに口を突っ込んだ。
思ってた味と違かった。
関西風で甘くない。
でも、鰹出汁の香りと、塩の味がほんのりと効いてる。
「美味い…」
思わず、言葉が漏れた。
「ほ、ホントっすか?甘くないっすけど?」
「うん。確かに甘くない。でも、美味いよ。これ、お前のお母さんが作ったの?」
飛鳥は目線を逸らした。
「さぁ…どっちでしょう?」
その声は何処か震えているようだった。
「なんか、妙に嬉しそうだな」
「そ、そんな事ないっス!!」
言って、飛鳥は袋から何かをゴソゴソと取り出した。
「ま、待て!飛鳥…それはなんだ…?」
袋から出てきたのは、コッペパンに白い黄金がこれでもかとまぶされていた。
「何って、揚げパンっスけど?」
「ど、どうやって手に入れた?」
思わず尋ねた。
「いや、友達のを買うついでに自分のを買っただけッスよ」
言って、揚げパンは飛鳥の口に近づいて行く。
名残惜しく、ただ飲み込まれていく揚げパンを眺めるしか無かった。
「もしかして先輩…これ食べたいんすか?」
「べ、別にそんなんじゃない!!」
「いや、さっきから視線を感じて食いづらいんすけど…」
「分かった!!見なきゃいいんだな見なきゃ」
俺はフイっと飛鳥に背を向けた。
「……先輩、これあげます」
「ほ、ホントか!?」
「ただし!!」
勢いよく振り向く俺に、飛鳥は指を置いた
「今週の日曜日、お買い物に付き合ってください!!」
「却下だ」
日曜日は部活がオフの日。
何故わざわざ外に出ないと行けないんだ。
でも、きなこ揚げパンは食べたい…
「ほ〜ら先輩。欲望に素直になった方が、健康にいいですよ〜」
目の前で揺れる揚げパンは、猫から見たエノコログサ。
結局、人は目の前の欲望には抗えないのだと、この時に悟った。
「…わかった。一緒に出かけてやるよ」
「決まりっスね!!」
「それじゃ、どうぞ〜」
高音で揚げたから、噛んだ瞬間にザクッと食感が口内を走る。
でも、中はモチっとしていて、しかも歯切れがいい。
後から追ってくる砂糖が下に触れると、脳から快楽物質が放射されるのを感じた。
「先輩、顔キモっ」
「うるせっ!!」
「アタシは甘いものより辛いものの方が好きっすから〜」
だったらさっきまでのやり取りは何だったんだよ…。
俺が揚げパンを食べ終わる頃には、昼休みも終わりに差し掛かっていた。
「じゃ、そろそろチャイム鳴るんで、行きますね」
手を振り先を急ぐ飛鳥に、手を振り返す。
「おう、また部活でな」
———————————————————————————
最後まで読んでいただきありがとうございます。
執筆作業にはまだ慣れておらず遅筆ですが、このように読んでいただいている方が居るおかげで、モチベーションを保てております。
仕事をしながら小説を書くのって、難しいですが、最後まで書き上げられるよう頑張ります。
今回のお話ですが、かなりギャグに寄せたなぁ〜と、自分でも思います。
ギャグシーンは細かいこと気にしないで、勢いに任せられるので、言葉が次々と浮かぶ感覚が楽しいです。
やりすぎて、キャラ崩壊してないか不安なところです……。
次回は二人の休日をテーマに書いていこうと思いますので、そちらも読んでいただけますと嬉しいです。
どうぞ、これからもよろしくお願いします!!
(頑張って3週間以内に投稿したい……)
失恋同盟〜負け組たちの仮初め恋人ごっこ、思ったより本気になるかも?〜 オダワラジョー @14_dA
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