路地裏の星彩
深水彗蓮
第1話
「来い!
鷲の鉤爪を掴んでその人はビルの屋上から飛び出した。
「しばらく潜伏かよ。クソが。あんなに銃を出されるとは思わなかった」
その人は盗んだ銃に銃弾を詰めて、屋上からこちらに銃口を構える職員の頭を狙ってリズミカルに弾を放った。
「あ、一人外したー。駄目だな、俺」
その人は暗闇に紛れて、鷲を旋回させた。当たらなかった職員と目が合う。恐れに見開かれた瞳に、ウインクをしてみせる。
「グッバイ。じゃ、死ね」
銃声が響いた。
「あーあ、今日が誕生日だってのに最悪だ。つーか、廃ビルが多いとはいえ、ばかすか銃をぶっ放していいのかよ。阿呆か」
五月二十二日の夜。麗らかな風に、血の臭いが紛れ込んだ。
黒髪をフードの中にしまいこみ、右だけの翡翠色の眼が気だるげに陽光へ向けられた。既に日は明け、二十三日の朝だ。
「こう言う時は人混みに紛れた方がいーんだけど……だりぃ」
溜め息をついたその足元で、猫の尻尾が二本、ふるりと揺れる。その人——
「あー、全部めんどい!」
せっかくしまった黒髪を露わにして、飛翠は周りを窺う。くるりとアンテナのように黒い耳が動いた。
そう、飛翠は猫又と人のハーフ。裏社会でしか生きることが出来ない社会の異物。歳の頃は十四、星々の力を借り、その名を模った魔法を使う。つまり、星の名を冠した魔法を使うことができるのだ。
「ったく、研究所のやろーどもめ」
その能力を追い求める研究所、〈施設〉に飛翠は追われている。だから飛翠はそれから絶えず逃げ続ける毎日を送っていた。
「ま、たまには田舎にでも行くかー」
そう呟いた飛翠の体が、入れ物に入っていない黒い水のように広がった。それはあっという間に収縮を始める。人より小さく——猫の形に。
黒い
沿道に沿ってツツジが咲いている。その花を一本取って、飛翠は蜜を吸った。
「あー腹減ったー」
しかし飛翠は猫であり、人である。蜜だけでは腹は満ちない。
「久しぶりにいいもんでも食うかー」
落ちている小銭を拾っては集めている財布を取り出す。残高は三千円ほどだ。偶然見つけたうどん屋で一杯食べ、六百円を消費した。
「あーあ、円安?だっけ、全く有り得ねーだろ、飢え死にしそうだ」
飛翠は人を避けて歩いていくうちに田園に出た。最近はずっと薄暗い路地のゴミ袋の上で寝ていたから、無性に原っぱで寝そべりたくなった。
「牛になるってのー……」
自分でそう言いながら、飛翠は眠りの世界に落ちた。
真っ暗な夜を、誰かに手を引かれながら歩く。視線が低い。子供の頃の夢だ。ただひたすら、歩くだけだ。ぐずりながら、その人の名を呼ぶ。
「……、どこ行くの?」
彼が振り返る。
「っ!」
鳥の鋭い鳴き声に、飛翠ははっと目を覚ました。正午を過ぎ、陽は少し傾いている。今の鳴き声は警戒音だ。草むらに身を隠している今の姿勢から身じろぎもせず、飛翠は耳を立てて辺りの音を聞き取った。アンテナのようにピンと立った耳が細かく方向を変える。
「ちっ……!」
人の足音がする。それも、真っ直ぐこちらに目掛けて。飛翠は瞬時に猫化すると野原を駆け出した。発砲音がした。それも相次いで。少なくとも三人はいる。
飛翠は体を一層低くさせて脇目も振らずに走った。
飛翠は、足を止めた。前方にも気配がある。そう思うと同時に声が響き渡った。
「攻撃を中止します。姿を現してください。繰り返します。攻撃を中止します。姿を現してください。」
「……」
飛翠は大人しく人の姿になった。打開策はまだある。それには人の形になっておかなければいけない。攻撃されていると、人になるのは難しい。
「三、四、……八人か。少なくない?」
「……貴方に言われる筋合いはないですが」
「まあいっか。その方が楽だし」
銃口を下げてはいるが、銃を構えた男が話しかけてきたらしい。顔は防護服で見えない。それはほとんど蜂用の防護服と変わらない。頭部のそれが宇宙服のようなヘルメットであるところだけが違う。
「っていうか、前々から気になってたんだけど、こんなにぱんぱん撃ちまくって大丈夫なのかよ?ここらの住人はよっぽど頭が悪りぃか、耳が悪りぃんだな」
「危険人物の出現により、半径一キロメートル以内の住人は避難済みです」
飛翠は淀みない彼に
「田舎だもんなぁ。おん出しやすいだろ。俺も危険人物か、いい身分になったもんだな」
「危険人物とは、危険で現代社会では許容されない人物という意味で用いましたが」
「人物、なんだろ。人物っつー事は人間ってことだろ?
「近隣住民には危険人物と称したほうが分かりやすいので」
「だったら。化け物って書いて
「……貴方は施設内で、逃走被験者、被験体No.225、
「被験者? お前らは俺たちを
「……施設の認識です。抗議がありましたら自ら施設にお戻りください」
「機械かよ、お前。……あーもう、いいや。どうでもいい」
硝煙の臭いが鼻を突く。
「そっちがいいってんなら血祭りだ!」
飛翠は背後に迫っていた一人に蹴りを入れて銃を奪い、その傍にいた二人を銃で殴り倒した。職員達が発砲した時には飛翠の姿はない。代わりに眩い光が周囲を包んだ。
「
「ちっ、目眩しだ! 逃げられるな!」
叫んだ職員の体が沈んだ。
「
違う。鷲に攫われたのだ。高く飛んだ鳥は、空中で職員を手放す。その間に飛翠は残りの職員を殴り、床に沈んだ所に発砲した。
「ナイス、
頬の血を拭って、飛翠は鷲に笑いかけた。その鉤爪に掴まって飛翠は野原から去る。
某年五月二十四日
こちら生産実験部門。管理保護・捕獲部門最高責任者、データの提供に感謝する。次なる強力魔法使用可能者〈明星〉の生産を急ぐ。我が部門内へ移行済みの魔法対抗部のデータを付随する。被験体No.225の使用する〈星ノ魔法〉は雨天、曇天時に質が下がる事を発見。捕獲に役立てて頂きたい。
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