第35話

【久遠寺eyes】





 学校の方はなんとか片付いた。

 今は凛のバイクの後ろで必死に凛にくっついてWODSへ向かってるところ。

 二人乗りだから高速道路が使えなくて、急いでも信号に止められちゃう。

 不機嫌だからかわかんないけど運転が朝に比べて荒い。


 凛の不機嫌な原因。

 あのとんでもない状態だった学校の“神の悪意”を、あっという間にお兄ちゃんが掻き消したせいだと思う。

 これ、比喩でもなんでもなくて本当に一瞬。


『気安く俺の弟の日常を侵すんじゃねぇっ!!!!』


 いつもみたいに俺の後ろじゃなくって、眼の前に立ったお兄ちゃんが眇めた瞳で虚空を睨んでそう叫んだ瞬間。

 本当に本当に、その言葉が発された途端に学校を覆っていたあの禍々しい空気がパンッて弾けて消えた。

 直ぐにでも“神の悪意”を殲滅するだなんて冗談だと思ってた。

 それなのに眼の前にあった黒い霧みたいな重たい空気がパッと晴れて、そこにあったのはいつのも学校の廊下。

 そこかしこに学生が倒れているけど、命に別状はなさそうだ。


『これでWODSに戻れるのよん』


 にっこり笑ったお兄ちゃんとは対照的に凛は眉間に皺を寄せた。

 そりゃそうだよね。

 俺や凛は本当に辛い思いをして能力を引き出すけれど、お兄ちゃんはニッコニコ。

 お兄ちゃんは俺のエフェクトだから扱いには細心の注意を払うことってWODSのスタッフは言ったけど、今のお兄ちゃんの行動で俺へのダメージってこなかったんだよね。

 前に俺を助けてくれた時は気を失ったけど、今は何ともない。


「寿人、お前の能力って“SAINT”じゃねぇの?」

『じゃねぇの♪』

「なん……」

『だから死んだの』


 それ以上、凛は何も言わなかった。

 ただ俺の手を引いて学校を出た。

 何にも言わないまま、俺の手を引いたまんま半ば引き摺るように駅の駐輪場まで行って、流れるように俺に自分の上着を着せて、ひょいってバイクの後部座席に乗っけたら、来た時と同様にバイクに跨った。

 あまりにも当たり前に俺に上着を着せてくれるけど、上着を貸して凛は寒くないのか聞いたらエンジンを掛けながら振り向いて苦笑い。


「俺、火気を帯びてっから。火気厳禁の貼り紙とかある場所近付けねぇの。冗談抜きで爆発するんだわ」


 つまり、寒くないらしい。

 確かに抱きついた凛は凄く温かかった。

 布越しに伝わる体温に目を閉じて、バイクから振り落とされないように目を閉じてしがみついた。


『後悔しないように頑張るんだよ』


 お兄ちゃんの声が聞こえた気がした。




「……うわぁ」


 医療院の特別棟は表向きただの病院になってる建物の奥にある。

 地形の高低差を利用して人目に付きにくい設計になってる上に、研究施設って事になってるから普通の人はまず気にも止めないし立ち入り自体が制限されている。

 近代的な総合病院の玄関から入って、奥へと通り抜けて、中庭を通り抜けた先に無機質な壁と無骨な鉄扉が見えてくる。

 その守衛室に明石が顔を突っ込んで何かを言うと、人ひとりが通れるサイズの扉が開いた。

 中に入った明石について医療院へと足を踏み込んだところで息を呑む。


「中々ハデにやってんな」

「……うん」


 別棟に続く緩やかな坂道は、見事なまでの桜並木。

 雪もちらつこうかっていう季節に有り得ないほどの満開で、坂道は桜の薄桃色で烟って見えるくらい。

 鉛色の空に薄紅色の霞のような桜が淡く光るよう。


「あ……」


 俺の手を引いて凛が踏み出した途端、桜並木はサァァアッてさざめいてその花びらを散らす。

 急に巻き起こった薄紅の嵐に身を固くした俺の方を凛が引き寄せた。


「西尾だ」

「……え?」

「西尾の能力。この桜の変異はかっちゃんの能力の効果だから西尾だけは干渉出来んだよ。かっちゃんの能力を一時的に抑え込んだんだろーな」


 宇津宮の暴走した能力を西尾の能力が抑え込んだ。

 そんな事が出来るんだ……。

 微妙な顔をして凛が俺を抱き寄せる。


『……凛』


 背筋がぞゎっと粟立つ。

 バイクから降りてから一向に姿を現さなかったお兄ちゃんが桜吹雪の中に立って笑ってる。

 本当に綺麗な笑顔で、ドラマかなにかのワンシーンみたい。

 恐怖を内包した雰囲気さえ無ければ、お兄ちゃんはお兄ちゃんのままだったのに……


『急がないと手遅れになっちゃうよ?』


 無意識に力を込めて握った俺の手を、凛の大きな手が握り込んだ。

 お兄ちゃんは俺が抱える“神の悪意”のエフェクト。

 俺が生理的に恐怖を感じてしまうのはもう仕方が無い事なんだ。


「わかってっから」

『俺はここから先には行けない』

「え?お兄ちゃん?」


 一緒じゃないの?

 あ、えっと……その、一緒じゃなきゃ淋しいとかそういうのじゃなくて。

 ほら、一人には慣れてるし!

 でも、ね?


『俺ね~恭平を攻撃されたら多分ダメだから』

「それ、どういう意味?」

『仲間なんでしょ?宇津宮クン。俺ね、多分なんだけどね、恭平を攻撃されたら相手が誰とか関係なく、もー見境なく、対象を反射的に殺しちゃうから』


 背筋がゾッとなった。

 ニコニコ笑ってるお兄ちゃん。

 見た目は記憶にあるままのお兄ちゃん。


 最期の記憶にあるまま。

 本当の最期はきっとパジャマだったと思うけど、俺の記憶の中のお兄ちゃんはいつもこの制服姿。

 紺のブレザーに緩めた赤のネクタイ、カッチリ着込むんじゃなくダレッとした感じで。

 でも、革靴はピッカピカで。

 髪も派手じゃなくて、でも地味でもなくて。

 優しく俺を撫でた手はそのままで。


 十年経った今でも何も変わらない。



『ついていかないし、見ないし、探らない』

「寿人……」

『俺は恭平のモノだからちぃっと難しいけど、頑張って押さえ込む』



 だからね、頑張っておいで。



 笑ったお兄ちゃん。

俺は頷いて一歩を踏み出した。

 

 凛に手を引かれて。


 こんなにも怖いと感じるのに、お兄ちゃんの存在に安心してた。

 お兄ちゃんの心は、どんなにもう人間とは違うって言われてもそのままだったから。

 ギリギリのところで人間らしさを保っていてくれるから。



『凛、任せるからね』

「お~」



 一斉に舞い散る桜吹雪の中を、俺達は医療院別棟に向かって走りだした。





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