1日目 - 入部 -


 僕は倒れていた少女を介抱し、化学室の中まで運んだ。

 備え付けの木の椅子に、硬いだろうからと雨が降った時用に持っていたタオルをお尻に敷いてあげて、そこに机を背もたれにするように座らせる。


 …お腹が空いたって言っていたな。

 確か、購買で買ったはいいものの食べてなかったパンがあるはず…。


 …あったあった。



 「えーと…自分で食べられますか?」


 「…食べさせてほしい。」



 予想していなかった言葉に、僕は固まってしまった。

 確かに、極限の空腹状態なら力も出ないとは思うけど…。

 初対面だよ、僕ら。 流石にあーんは見られたら変な感じに…。

 

 …多少の抵抗感や戸惑いはある。

 けれど、その少女は虚ろな目で不安そうに、白衣の裾をきゅっと握っていた。

 助けを求める小動物の目。


 そんな人を目の前にして、僕の手はもうパンの袋を開けていた。


 「じ、じゃあ…口開けてください。」


 戸惑いながらも、一口大よりも少しだけ小さめな大きさにちぎり、ゆっくりと口に運ぶ。

 薄っすらと口が空いていただけだったのが、パンが唇に触れると、小さな口を開けて小さな欠片を受け入れた。

 その後、力なくゆっくりとした咀嚼を何度か繰り返したあと、やっと飲み込んだ。


 (よかった、食べられた)


 そんなことを心のなかで思いつつ、再度パンをちぎって口に運ばせる。

 本当にお腹が空いていたようで、結構速いペースでパンを与えても、嫌がることなくパクパクと食べ進めていく。


 「あと…自分で食べられるから。 ありがと…。」


 半分ほど食べ終わったあと、か細い声でそう言った。

 突然言われたものだから、間抜けな声が出てしまった。


 手に持っていたパンの袋を渡すと、小さな手でパンを持ちながら、無言で食べる。

 少しの間、沈黙が続いた。

 …これ、僕は帰ってもいいのかな……。


 …一瞬帰ろうとも思ったけど、なんとなく目の前の少女から目が離せなくなり、お互い無言になり、沈黙が長く続いた。


 ふと、先輩の顔を見る。

 先程までは焦っていたこともあって、ちゃんと顔を見れていなかった。

 小動物のようにパンを頬張っているその顔は、まるで北欧の人の血が流れているかのように、整っていて、美人の側面も持ち合わせていた。

 顔立ちは小柄で可愛らしい、腰辺りまで伸びる髪に、カスタードクリームのような薄い黄色をしており、染めている…って感じでもない。

 多分、ハーフなのかなとか、勝手に予想してしまった。

 …やってることが、気持ち悪いな。




 ───何分くらい経っただろうか。

 気がつけば、明るかった外も次第に暗くなり始めていた。

 

 流石にそろそろ帰ろうかと思っていると、その少女がやっとパンを食べ終わったらしく、小さくごちそうさまをしていた。

 よかった、全部食べられたんだ。


 「…ところで、なんで君はここにいるの?」


 「あ、えっと…あなたが倒れていたので…つい…」


 「…あ、そうだったね。 ごめん、変なこと聞いて。

  自己紹介も、まだだったね…。

  …わたしの名前、は………。」


 そこまで言ったと思ったら、今度は白衣の胸のあたりをまさぐるようにして、何かを探し始めた。

 あったあったと言わんばかりに、内ポケットから取り出されたのは、なにか首掛けの社員証みたいなものだった。


 それを受け取れと言わんばかりに差し出して来たので、大人しく受け取り、書かれている文字を読んでみる。


 「2年B組24番、科学部 兎咲ユキ…あえ、先輩だったんですか!?

  す、すみません…勝手に迷い込んだ子かと…。」


 「…よく、言われるから。 別に、気にしなくてもいいよ。

  …1年生だよね。 ここを通ったってことは…入部希望の人?」


 「あ、えーと…ポスターを見て気になったのでつい…。

  で、でも、理系科目とかあんまり得意じゃなくて…。」



 「…わたしも得意ってわけじゃ、ないよ。

  …ここ、部員少ないから…なりゆきで、わたしが部長になったって、だけで。

  …もし興味があれば、遠慮なく来てね。」



 消えてしまいそうな、儚い声で淡々と。

 からかうってわけじゃないけど、なんとなくで来ただけの科学部の部室。

 正直、ちらっと見たらすぐに逃げ帰ろうと思っていたのに、今こうして長居している。


 まあ、この先輩の介助をしていたから…ではあるけど。

 …なんだか、不思議と居心地の悪さは感じない。


 「…そういえば、ポスターの字…間違えてるの、気がついた…?」


 「え…まあ。 焦ってたのかなって。」


 「…ごめん。 先生に、出せって急かされたから。

  完全に、忘れてて。」


 さっきまで表情に乏しかった先輩が、少しだけ口元をほころばせた。

 ──なぜだか、その顔が印象に残っていた。



 「…もうすぐ17時になるけど、君は帰らなくて大丈夫なの?」


 頭の中で話のネタを考えていると、先輩の言う通り時計はもう17時を指そうとしていた。

 …そうだ、今日は録画してたアニメを一気見しようとしていたんだ。


 「すみません、そろそろ帰りますね。」

 

 「そっか…。

  ……もし、よかったら──

  また、ここに来てね。 わたし、一人でいるのには慣れてるけど…

  今日は…なんだか久しぶりに話せて、楽しかった、から。」



 先輩の小さな声が、化学室に少しだけ響いて聞こえた気がした。




 ───


 

 ──あれから一週間。

 仮入部期間、結局毎日化学室に通ってしまった。

 なんとなく、何かをするわけでもないけれど、通いたくなっていたからだ。

 毎回教室に入ると、ぐったりしたような先輩が見えるのは、もう慣れっこになってしまった。


 仮入部期間、他の部活は新入部員を引き込むためにいろいろな催事をするけど、科学部はそういったことをやらないらしかった。

 先輩いわく、めんどくさいから、らしい。

 

 一応毎日足を運んでいたわけだけど、僕以外に来ている生徒は見なかった。

 …やっぱり、科学部っていうのは人気がないんだろうか、なんて先輩は苦笑いしていた。

 宣伝をほとんどしていないから、知らないって生徒も多そうだけど。


 …今日が、本入部の日。

 今日のうちに、部活を決めなければいけない。


 少しだけ悩んでいると、突然僕の体をガシガシと乱暴に揺らしてくるやつがいた。

 こんなことをしてくる間柄のやつは、一人しかいない。


 「よっ、友達できた?」


 「…出来てたらこんなとこでぼっち飯してない。」


 「だろうな! そんなことだと思ったよ。」



 またいつものようにからかってくる。

 慣れっこではあるけど。

 カズヤのこのからかい癖は、今に始まったことじゃないし。


 「そういえば、入る部活決まった?

  俺はやっぱりサッカー部かな、昔からずっとやってるし!

  ユウキは、どこ入ろうとしてるんだ?」


 「…科学部、かな。」


 「…科学部って、ユウキ理数系得意だったっけ?」


 「得意じゃないけど…まあ、先輩がいい人だったから。」


 「お、もしかして先輩って女? 好きにでもなったか?」


 「…まさか。 ただ単に、いい人だったってだけだよ。

  それに、僕がそんなこと願っても、付き合ってくれる人なんていないんだから。」



 自傷気味に、笑いながら言ってやった。

 カズヤはいつものかと、ため息を付きながらも、少し科学部に興味を持ったのか、部活について色々聞いてきた。


 知ってる限りのことを話すと、ふーんと言った感じで、聞いてきた側のくせに興味を失ったようにし、さっさと自分の教室に戻って行った。


 なんだかな、と思いつつ、食べかけていた弁当を再度食べ始めた。

 もちろん、1人で。



 ───





 その日の放課後。

 僕は、やっぱり科学部にしようと決め、いつもの化学室へと足を運んでいた。

 部員もほぼいないって言ってたし、そこまでキビキビとした感じの部活でもないから、今の自分にぴったりだと思ったからだ。


 いつものように化学室の前に来て、ドアを開ける。

 すると、目の先には顔見知り…というか、知りすぎてる奴がいた。


 「よっ、ユウキ! やっぱり科学部にしたんだな〜。」


 「え、は? カズヤ、サッカー部入るんじゃなかったの?」


 「そう思ってたんだけどさ、俺そもそもクラブチーム入ってるし、部活入ったとしてもほとんど参加できないだろうからさー。

  お前に聞いて、ゆっくりできそうなここにしたってわけ。」



 なんとも失礼な理由をデカデカと。

 横で先輩が聞いてんだぞ。

 全くもう、失礼極まりない人間だこと。


 …先輩寝てるわ。

 なんなら鼻ちょうちん膨らませて、熟睡じゃないですか。


 なんだ、流石にカズヤも起きてる人の前で失礼なことは言わないらしい。

 いや、寝ててもダメだけど。


 言い合いをしていても埒があかないので、おとなしくカズヤの横の席に腰掛ける。

 なんだか居心地が悪いが、まあこいつはクラブチーム優先で生きている人間だ。

 そう頻繁にはここに来ないはず。


 これなら、カズヤが入部したとしても静かに過ごせる…と思っていた僕は浅はかだった。

 勢いよく化学室のドアを開ける音がすると、そこにはいかにもギャルって感じの人が立っていた。


 「やっほーユキちゃん!

  …って、新入生が2人も来てるじゃん!

  ユキちゃん寝てる場合じゃないって絶対! おーきーろー! 起きなさい!」


 突然入ってきては、寝ている先輩の肩を揺らして目覚めさせようとしている。

 この話し方と接し方からして、先輩の友達かな。

 にしては、あまりにもキャピキャピな雰囲気をしていて、関わりのなさそうな感じはするけど。


 栗色の髪が彼女から見て左に結わえられており、桜を模したヘアピンで前髪は軽く留められている。

 意外にも、優等生って感じの装いだ。

 制服を着崩してもいないし、先生に好かれているタイプの生徒なんだろう。


 そんな事を考えていると、先輩の鼻ちょうちんがぱちんと割れたかと思うと、むくりと顔を上げて目をこすりながら一面を見渡した。


 「…ああ、集まってたんだね……。

  ごめん…。 全然、気がついてなかった。」


 「も〜、お寝坊さんだよね、この子!

  部長なんだから、もっとしっかりしなよって!」


 わしわしと兎咲先輩の頭をかきながら、まるで子どもを叱るように接している。



 その先輩は少し考えたあと、気だるそうに椅子から立ち上がった。

 この間も見せてもらったネームプレートを胸から取り出しながら、僕とカズヤの方を見て言った。


 「えっと…メガネの子は、来てくれたと思うけど…

  改めまして、えー…科学部の部長、兎咲ユキといいます。

  隣りにいるうるさい子は…副部長だよ…。」


 「なになにその紹介! 雑すぎるでしょ!

  全くー…えー、副部長の古里エリです!

  陸部と兼部してるからあんまり来れないけど、イベントの時はよろしくお願いしますっ!」



 先輩2人の自己紹介が終わった後、今度は後輩たちの番だぞと言わんばかりの視線が送られてくる。

 どっちが先に行くか目配せしようとカズヤの方を向くと、すでに喋ろうとしている最中だった。


 「お世話になります、1年A組の本木カズヤと言います。

  すみません、自分もサッカーのクラブチーム所属してるので、イベント時メインの活動になると思います。

  いろいろと迷惑かけるかもしれませんが、よろしくお願いします!」



 流石に社交性のあるカズヤだ、そつなく自己紹介をこなしてきた。

 この次にやるってなると自信無くすな…。


 カズヤに背中を叩かれ、促されるまま僕も腰を上げて先輩2人の方を向く。

 過剰なほどに深く呼吸をして、クラスの時の自己紹介にはならないように体を落ち着ける。



 よし、いける…!


 「スー…大瓶ユウキです。えと、よろしくお願いします…。」




 ─。


 ──。



 化学室が、しんと静まりかえる。

 ちらりと横のカズヤを見ると、「もっと話せ!!」と言わんばかりに机の下でジェスチャーを送ってくる。

 …あ、そうか。

 挨拶だけして好きなものも何も言ってない…。


 焦っていると、先輩2人組は何も気にしていないかのようにパチパチと拍手を送り始めた。


 「…2人とも、よろしくね。

  ……趣味とか、みんな言い忘れてたし、また…今度ゆっくり話そう……。」


 「そーだねー!

  好きなこととか、うちも言うの完全に忘れてたし!」


 よかった、追及とかされなくて。

 カズヤは机の下で中指立てできてるけど、とりあえず無事に終わったし無視しとこう。



 「そーだ、メッセのグループでも作っとく?

  部活用の連絡手段とかないとめんどくない?」


 「…そうだね。

  2人とも忙しいなら、連絡手段は作っておかないと大変だから…。

  …みんな、スマホ出して。」



 ──そんなこんなで、入部は無事に済んだ。

 

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

ダウナーロリ先輩はつかめない おおかみ裕紀 @Ohkami_Yuki

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ