現代舞台短編集

揺 赤紫

『恩讐』

「あなたを愛することは出来ない」


 私は庭に出てそう呟いた。

 水面の上から尾びれのくすんだ赤色を見る。

 優美な曲線に触れようと着物の袖ごと池に浸すと鯉はするりと逃げてしまった。


「あなたをもう愛することは出来ない」


 立ち上がって曇り空を見上げる。

 雨が降ってきた。

 座敷に戻る。湿気を含んだい草の不快な臭いが鼻をつく。


 ああ、でも今は全く気にならない。


「あなたが悪いのよ」


 座椅子に縛り付けられた男性が情けなく泣いている。


 気弱で優しい性分のあなたとはお見合いだった。

 子どもは授からなかったけれども、それでもいいと言ってくれて。

 気に病んでいた私は救われたのよ。


 愛しかった人。

 でも、あなたは私を裏切っていた。

 あまつさえ、子を孕ませるなんて。


 愛が裏返って憎しみになるの、分かるでしょう?


 撫でるように肩を切りつけると呻く貴方。

 まだ薬で四肢が麻痺しているから時間までじっくり嫐るの。

 簡単には終わらせないわ。


 だって、だって、恐怖と痛みに歪む様が、楽しくって。


 あなたは私から財産を奪う気だったのよね?

 あなたには初めから愛なんて無かったのよね?


 私だけが道化として踊っていたなんて許せないわ。

 無様に這いつくばって許しを乞いなさい。

 そうでもしないと侮辱された私の気持ちは晴れない。


 反省したら解放してあげる。

 もう二度と女を抱けないように切り落として、ね。


 でも待ってて。

 その前に済ませないといけないことがあるわ。


 襖を開けて私は微笑んだ。

 家の者に拐わせた浮気相手が顔を伏せている。

 ぼろ切れにしか見えない女。


 ようやく会えたんだもの。ちゃんとご挨拶しなくては。


 まだ宴は始まったばかり。

 仲間外れにはしないわ。


 女の乱れた前髪を掴んで耳元で囁く。


「あなたの顔が見たかったの」

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