雪の国、最後の王太女 ―冬の終焉と、未来への歩み―

三木さくら

第1話 冬の終わり

 閉ざされた季節が、音もなく終焉を迎えつつある。


 毎年巡る自然の摂理。けれど今年のそれは、少女ユーリと侍女のアリスにとって、単なる季節の移ろいではなかった。



 書類に落ちる光が、時折揺れる。

 執務机に向かうユーリは、眩しげに目を細めて筆先を止め、わずかに視線を上げる。

 光の先、窓の外には淡い青に色づきはじめた空。冷たい季節の名残を残しながらも、やわらかな気配が忍び込んでいた。


 隣で黙々と書類を整理していた侍女のアリスも、、ユーリの視線につられるように顔を上げる。


 「冬が終わりますね」


 抑えた声が、静寂を破った。


 ユーリは微かに頷く。

 そして、手にした羽ペンを慎重に置き、窓の外へと目を向けた。


 ――冬が終わる。

 それは、長く続いた仮初めの座を、降りる合図でもある。


「……そうね」


 小さく微笑みながらごく短く答えた声は、驚くほど平静だった。

 立太子して三年。


 女子に王位継承権が認められぬこの国で、直系王族たる自分が王太女として据えられたのは、避けがたい政治の選択だった。

 本来なら、エドワード――弟が王位を継ぐはずだった。だが、宗主国の都合により、彼は幼くして宗主国の水の国に預けられた。

 残された直系はユーリ一人。ゆえに、暫定的に彼女が王位継承者に指名されたのだ。


 誰も彼女を望んではいなかった。廷臣たちの冷たい視線と、隠そうともしない侮蔑。

 表向きには従っているが、内心は反発し、牙を研ぎ澄ます者たち。


 そんな中で、ユーリに国を担う重責を迫ったものがいた。



「あなたなら、できます」


 静かに断言する、女大公の声。


 女大公ほど才能に溢れているわけではない、ただのちっぽけな小娘の自分に何ができるというのか。


 そう抗議したかったが、女大公の眼光は鋭く、喉まで出てきた言葉は舌先で凍りついた。

 もちろん、それでも眼光を振り切り、立太子を拒否をする勇気は、当時たった15歳の小娘だった自分にもあった、と今でもユーリは思う。


 しかし凍りついた言葉をとかす気にならなかったのは、ユーリの王女の矜持だった。適任者がいなければ、直系王族の自分が国を背負う。だからユーリは言葉を凍らせたまま膝を折り、女大公に恭順と承諾の意を示した。


 王太女に登って三年。文字通り冬のような孤独な三年だった。


 けれど、今。


 冬の終わりとともに、長き重圧から解き放たれる。

 冬が終わり、エドワードが戻れば、ユーリはただの王女に戻るのだ。


 ……戻れるはずだ。


 それは確かな事実であるはずなのに、同時に、不可解な予兆もはらんでいた。


 ユーリは机に並んだ書類を見下ろす。

 三年間積み上げた政務の痕跡。これらを、すべて手放す日が近づいている。


「そろそろ、街道も全面開通する頃ね。イアン様からの知らせは?」


 平然を装ったまま、アリスに問いかける。


「ええ、そろそろ書状が到着するはずですが……まだ、届いておりません」


 変わらぬ調子。無邪気な忠義に、ユーリは安堵する。今はまだ、彼女に疑念を悟られてはならない。


 「それにしても、イアン様ったら……わざわざ、お出迎えに来てくださるなんて」

 「ユーリ様のことを、どれほどお慕いか、よくわかりますわ」


 アリスの無邪気な言葉に、ユーリは薄く微笑む。

 だがその微笑みに、心は一片も乗っていなかった。


「……そうね」


 本当に、そうなのだろうか。

 あの男は、本当に、自分を迎えに来る気があるのだろうか。


 ――答えは、まだ闇の中だった

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