夏の夢と願いと現実と。
木浦 功
第1話 夏の夢と願いと現実と。
「よし、じゃあアンゴルモアで決定な!」
(…… ん? 何だ?…)
「おい、聞いてんのかよ?」
(…ここは …俺の部屋 か?)
頭の中にモヤがかかったように、思考も映像もはっきりしない。
「おーい、もしもーし」
(コイツは… 俺の親友にして悪友… 間違いない)
急速に、今に焦点が合う。
「ああ… 悪い、ぼーっとしてた」
「はあ? おいおい、ハタチにしてボケの始まりかよ? どーせ遅くまでゲームでもしてたんだろ?」
「あ〜、まあ、そんなトコ。で、なんだっけ?」
「だ〜か〜ら〜、これで決まりだろって!」
そう言ってバンッとノートを机に叩きつける。
そのノートには行を無視してデカデカと
UNGOALMORE と書かれていた。
(ああ、そうか。二人でバイクチーム作ろうっつって話してたんだった…)
もちろんUNGOAL MOREなんて言葉はないけど、意訳すれば、
まだゴールじゃない、もっと走り続けろ!
みたいな意味になるだろ? なるか? なるんじゃね? と二人で考えたチーム名だ。
「……んー、これでもいいけど、もう
と、ノートに
KUNGOALKMORE
と書いた。
「何だよこれ、くんごーる、くもあ?」
「ちげーよw ほら英語でナイフってKNIFEって書くだろ? でもKは発音しないじゃん」
「ああ、クナイフな」
「そうそう、で、KUNGOALKMOREもKは発音しないって事、アンゴルモアってサラッと読まれたら面白くねーだろ?」
「なるほど?」
「ついでに言うと、Kは俺ら二人の名前の頭文字だろ?」
「そういう事か!いいじゃんコレ!最高!コレで行こうぜ!」
(そりゃそうだろ、お前のアイディアだったからな…)
「よーし! それじゃあ、バイクチーム
そう言って、俺とアイツはゴツンとこぶしをぶつけ合った。
アイツとは高校一年の時に同じクラスになって、いつの間にかツルむ様になっていた。
特に何かキッカケがあった訳でもなく、
強いて言えば、いい加減な様に見えて実は考えてから行動する所や、どうでもいいしょうもない事に変なこだわりを持っていたりする所が俺と似ていたからか、
馬が合うってのはこういう事を言うんだろうな、なんて思った。
そして、語るのが恥ずかしいくらい高校生らしい青春を謳歌し、卒業する頃には親友と呼べるほど信頼出来るダチになっていた。
アイツと出会わなければ、きっと退屈な高校生活になっていたと思う。
高校を卒業して、アイツと俺はそれぞれ地元の会社に就職した。
俺は、就職して金を稼ぐ様になったらやろうと思っていた事があった。
それは、バイクに乗ることだ。
学校に内緒で原付スクーターで通学していたアイツを驚かしてやろうと、中免を取って、バイクを買って、ドヤ顔で家に乗り付けてやった時の、アイツの驚きようは今でも覚えている。
その後すぐアイツも中免を取って、それからはもう、バイクバイクだ。
二人で色んなところに行った。
街なかを走って。
峠を走って。
春も、夏も、秋も、雪がなければ冬でも、
ただただ走り回った。
そしてそれが最高に楽しかった。
バイクに乗れば、コイツと一緒なら、どこへでも行ける、何でも出来る。そう思った。
「次のツーリングはどこ行くかぁ」
「フッ…どこだっていいサ」
「格好付けて言ってるけど、答えになってねーから」
「つってももう、結構色んなトコ行ったよなぁ」
「そうだなぁ、日帰り圏内は結構行ったよなぁ」
目的地もなく走り回ることをツーリングと言って良いかは分からないけど、近場はどこも一度は走ったと言っても過言ではない気がする。
くねくねぐるぐると適当に走って、知らない道を通って、知らない場所に行って、知らない景色と出会う。
目的地に行くために走るんじゃなくて、バイクで走ってどこかに行くことが目的って感じか。
寄り道、わき道、道草ツーリングだ。
だからと言うか、丸一日使って夜まで走っても、さほど遠くまで行った事はなかった。
まあ、特別行く気もなかったし、行く必要もなかったから、ツーリングと言えば国道、県道、酷道、峠道、時に路地w、みたいな下道メインだった、高速なんか真っ直ぐ走るだけで面白くないと思ってたし、なにより金がかかる。
と思っていたんだけど、最近は新たな地を求めて高速道路も使い始めた。
距離を稼ぐ為の手段としての高速道路だけど、これだけ広くて真っ直ぐな道だと、どうしてもスピードを出したくなる。
これはもう、しょうがない事で、誰だってそうだと思う。
と言うわけで、最高速チャレンジ!
俺達はアクセル全開、メーター振り切りの領域に踏み込んだ。
(うおおおおっ!!)
ゴオオオオオオーー!!
ボバババババッ!!
まるで台風の中だ。
前からの風に加えて、空気の塊で殴られているかの様に頭が振れて、メットが脱げそうになるのを体を伏せて耐える。
ハンドルがふわふわと軽くなり、頼りない事この上ない。
でも、アクセルは戻さない。
突風と恐怖心をねじ伏せて、開け続ける。
(…170…180!よし!180行った!!)
前方とメーターを交互に見ながら走り、メーター読み180を確認して、すぐにアクセルを戻すとハンドルと車体がブルブルと震えた。
(うおっ!おっかねー!でも180出たぞ!)
聞けばアイツも俺と同じように一瞬だけ180を出して、すぐにアクセルを戻したらしいw
180で走り続けるなんて絶対に無理、そんな事できる奴は普通じゃないっていうのが二人の共通認識だった。
でも、一瞬とはいえ180まで出せたのは嬉しかったし、大きな自信にも繋がって、それ以来120くらいなら、なんてこと無いと思うようになった。
今日も俺とアイツはツーリングで距離を稼ぐために高速を走っていた。
120から140くらいで車をパスしながら、お互いに抜いたり抜かれたりしながら、気分良く高速走行を楽しんでいた。
うははーっ!遅い車はどけどけーい!って感じだ。
俺達は速いと思っていた。
完全に調子に乗っていた。
走行車線を先行しているアイツを追い抜くために車線変更しようとバックミラーを見ると、近付いてくるヘッドライトに気がついた。
(ん?バイクか? まだ距離があるな、よし、行くぞ)
とウィンカーを出そうとした瞬間。
ボッ!!
大気を引き裂く音と共に一瞬で何かに抜かれ、
フアアァァァァー……ン…
排気音を残してあっという間にその後ろ姿が遠ざかって行く。
(は? え?…)
と、驚きに固まる俺の横を、
ボウッ!!
バウッ!!
ヴォンッ!!
立て続けに数台のバイクに抜かれた。
(は?)
俺が呆然としている間に、背中に揃いの看板を背負ったそのライダー達はみるみる遠ざかって行った。
(…え? 何だよアレ、マジかよ? クソ速えんだけど…)
普段なら喜んで追いかけるアイツも、ただ見送るしか出来ない程の、圧倒的な速度差だった。
俺達は、そのあまりの衝撃にやる気を削がれた様にペースが落ち、そのまま次のサービスエリアに入って行った。
のろのろと走って二輪の駐車スペースに行くと…
(居た! アイツらだ!)
並んで停められた大型バイクの近くに座り、楽しそうに話をしている五~六人のライダー達。
革ジャンにジーベスト、ジーンズにチャップス、革パンにレザーブーツとバチバチに決めたそのスタイル。
そして背中にはお揃いの看板。
チーム名は読めないけど、翼?風?がモチーフのシンボルがデカデカと刺繍されていた。
あの圧倒的な走り。
そして、この姿。
シビレた。ゾクゾクした。
俺の横で、俺と同じようにそのライダー達を見ていたアイツと思わず顔を見合わせると、
最高に嬉しそうな悪ガキの顔をしていた。
二十歳の夏。俺達は大型バイクの取得とバイクチーム結成に向けて動き始めた。
「そう言えばアンゴルモアって、恐怖の大王の名前だって知ってた?」
と俺が聞くと。
「ん? …あ〜恐怖の大王? はいはい知ってる知ってる」
「絶対知らねぇだろw ほらアレだよ、ノストラダムスの大予言のやつ」
「ああ、西暦2000年に降臨して人類が滅亡するってやつだっけ?」
「それそれ、その大王の名前がアンゴルモアらしい」
「へえ、そっちは滅亡で、こっちは
高速道路で衝撃の出会いをしてから俺達は、大型免許取得。大型バイク購入。装備を整えつつ、バイクカスタム。と並行してチーム名や看板のデザイン決めも進めていた。
もちろん、ツーリングだって忘れちゃあいない。
この頃の俺達は給料のほとんどをバイク関係につぎ込んでいた気がする。っていうか、つぎ込んでいた。
そして、背中に背負うチームロゴやシンボルのデザインが決まり、配色も決まった。
後は刺繍してもらうだけだ。
今日は実際の刺繍糸を見ながら色を決めて注文するために、二人で刺繍屋に来ていた。
糸の色の種類がバカみたいに多かったけど、割とすんなり決まっていった。
ただ一箇所だけ、意見が食い違う箇所があった。
「絶対に青だね!」
と俺が言えば
「いーや、ここは紺の方が絶対格好いい!」
といった具合に、二人とも頑として譲らなかった。
結局、じゃあそこだけ色違いにして、後は同じにしよう、という事になった。
――― そして翌週。
出来上がった看板を見て、俺達は気持ち悪いくらいニッコニコの笑顔だった。
「やっべぇ! 超格好いいんですけど!!」
「やべぇカンバン作っちまった!!」
間違いなく今までの人生で一番、ヤバイと格好いいを連呼した日だった。
大型バイクに乗り換え、チームを結成した俺達は、ますますバイクにのめり込んだ。
寝ても覚めてもバイクの事ばかり。
話す事と言えば、ツーリングの話。バイクパーツの話。革ジャンやシルバーアクセ、ウォレットなんかの装備の話。
他のダチと飲みに行ってもバイクの話。
車で遊びに行っても、
「この道バイクで走りてぇな」
といった具合だ。
早朝の峠で膝スリ目指して走るようになり、広い駐車場でウィリーやジャックナイフの練習をして、高速道路では限界だと思っていた180を超える速度で走った。
行動範囲が一気に広がって、泊まりでもツーリングに行くようになった。
あの高原に行こう。あの道を走りに行こう。あのブランド牛を、あそこの海鮮を食いに行こう。
目的を決めて、目的地を決めて、走りたい道を走って、行きたい場所に行った。
次はどこ行く? 次はどうする?
バイク熱は冷める事なく、もっと色んな場所で、もっと楽しく、もっと速く。
これぞ、
最高に楽しかった。
だけど、そんな最高の日々は唐突に終わりを迎えた。
二十五才の夏。
峠での、バイク単独事故。
アイツは死んでしまった。
あまりにも突然だった。
アイツが死んだと聞いた時、嘘だと思った。
アイツが死ぬ訳がない、そんなハズはない。
何をバカな事を言ってるんだと思った。
病院に駆けつけ、今は司法解剖をしていると聞いても、何言ってんだと思った。
目を閉じたままのアイツを病院から自宅に連れて行くのを手伝っている時も、まだ何とかなるんじゃないかと思った。
布団に寝かされ、ピクリとも動かないアイツを見た。
通夜と葬儀に参列した。
煙になって空に昇っていくアイツを見た。
骨だけになったアイツを見た。
それでようやく、本当にアイツは死んでしまったんだと、
もう、この世には居ないんだと、
もう、どうにもならないんだと…
そう思った。
アイツと二人バイク乗って、遊んで、飲みに行って、バカ話して…
そんな人生が続くと思っていた、
続けて行きたかった。
でも、現実は残酷だった。
アイツは逝ってしまった。
アスファルトに傷あとを残して、
グシャグシャになったバイクを置いて…
なぜ… なぜこんな事に…
教えて欲しかった。
峠で何があったのか、なぜ事故が起きたのか聞きたかった。
「いや〜、あん時は流石に死ぬかと思ったわ〜」なんていつもの調子で、笑い話として、アイツの口から聞きたかった。
でももう、アイツは居なくなってしまった。
――― アイツが死んでから、十年が過ぎた。
十年一昔なんて言葉があるくらいだ、物事を忘れてしまうには十分な時間なのかも知れない。
過去の出来事として心に区切りをつけた人も居るだろう。
でも俺は、未だにあの日の事を思い出す。
アイツが死んだ時。
アイツの死を理解した時、悲しさと、苦しさと、悔しさと、色んな感情が一気に溢れ出し、バカみたいに泣いた。
心にデカい穴があいたようだった。
絶望に支配されて、全てがどうでもよくなった。
苦しくて、辛くて、事あるごとに悲しみがこみ上げてきて涙が溢れた。
誰でもいいから、この穴を何とかしてくれ、消してくれ、と願った。
悲しみの日々は終わる事なく続いたけど、それでも日が経つごとに、時の流れは優しく、無慈悲に、俺の心の穴をふさいでいった。
そしてある時、アイツの事を思い出しても、涙が流れなくなったことに気が付いた。
バイクを見れば必然、アイツを思い出した。
良く走っていた峠に行けば思い出した。
一緒に遊んだゲームをやれば思い出した。
居酒屋、カラオケ、どこに行っても、アイツとの思い出があった。
でも、その記憶は薄れ、悲しみが溢れることが無くなっていた。
心の穴が小さくなっていた。
アイツが居ないことを受け入れていた自分に気が付いた。
あれほど鮮明に覚えていた事を、
あれほど辛く、悲しく、忘れる訳がないと思っていた事を、
アイツとの最高に楽しかった日々も、
さんざん笑い合ったアイツの顔さえも忘れつつある自分に気が付いた。
ショックだった。
ちょっと待ってくれ。俺はこんなにも薄情な人間だったのか?と。
忘れたくないのに、アイツの事を忘れたくないのに、思い出が、記憶がどんどん薄れてしまう。
俺は願った。
心の穴よ消えないでくれ、消さないでくれ。そう願った。
あんなにも苦しんで、頼むから消してくれと願ったくせに、
今は身勝手にも、消さないでくれと願っている。
―――――
―――――
―――― ドウゥゥゥ……
自販機の近くにバイクを停めて、メットを脱ぐ。
「ふう、まだまだ暑いな…」
夏の終わりが近づく八月、私は久し振りにこの場所を訪れていた。
私とアイツのお気に入りの場所だったここは、ビーナスラインからは少し外れ、寂れた宿泊施設が数軒と、トイレと自販機、後は岩がゴロゴロしているだけの場所だ。
当時は、その岩の上に座ったり寝転んだりしながら、どうでもいいような話をして過ごした。
もしかしたら自販機が使えなくなっているかも知れないと思ったが、どうやらそれなりに利用客がいるらしい。
ピッ ガコン
アイスコーヒーを買って、バイクのシートバッグから汗をかいてぬるくなった缶ビールを取り出す。
サク、サク、と雑草を踏みつけ、岩に座り、
コツン、と缶ビールを置いた。
カキッ、プルタブを開けてコーヒーを飲む。
「ふう…」
心地よい冷たさと香りが体に染み渡る。
(静かだ…)
夏の空は真っ青に晴れ渡り、白い雲を際立たせる。
周りの木々や夏草は、陽の光を受け、自然の美しさ、力強さを体現するかのように、目いっぱい枝葉を伸ばして広げている。
ザザアアァァー… と爽やかな風が吹いた。
(二十五年… か…)
私は五十才になっていた。
結婚して、子供も生まれ、あの頃とは何もかもが変わったが、
今も変わらずバイクに乗り続けている。
でも一度だけ、バイクを降りようと思った事がある。
アイツが死んだ時だ。
あの時は、アイツが居なければバイクに乗る意味も必要もない、と思った。
しかし、心が平静を取り戻してくると、その考えが間違っているような気がしてきた。
アイツが死んだからバイクを降りるというのは何か違うと思ったし、だからと言ってアイツの分も私が乗り続ける、なんてのはお
バイクを抜きにアイツを想う事は出来ないし、アイツの命を奪う原因になったバイクに対して思うこともある。
ただ、ここでバイクを降りてしまうと、今までのアイツとの思い出も切り捨ててしまうことになるんじゃないかと思った。
考えも、感情も、一つではないし、そんなに単純でもない。
色々思う事はある。あるが、それはそれとして、やはりバイクは私にとって大切な存在だった。
だから私は、自分自身の為に、バイクに乗り続けようと決意した。
乗り続けた道の先で、もう一度アイツに会うことが出来たら、
「どうだ、俺は乗り続けたぞ、走りきったぞ」と胸を張って言えるように。
ザザアアァァー……
風が吹き、真っ直ぐに伸びた夏草を揺らし、鮮やかな緑色の葉をもっさり付けた木々を揺らしながら、大きく、ゆっくりと渡り、空に消えていった。
空の色は、深い、深い、青。
その青い空を見ていると、心にあいた穴が少しずつ、少しずつ、小さくなっていった…
(…待ってくれ、消さないでくれ。…それは俺とアイツの繋がりなんだ。アイツが生きていた証明なんだ…)
ボウゥゥゥ…
アイツのバイクの音が聞こえた気がした。
「……」
「ッサン…」
「オッサン!」
「…ん、 …うん、何だ?…」
「オッサン大丈夫か?」
目を開けると、誰かが私の体を揺すっていた。
「ん〜… 何だ… 誰だ?…」
「誰だ?じゃねぇよ!何だよ、寝てただけかよ!こんなとこで爆睡すんなよな!」
体を起こすと、二十代くらいの青年があきれ顔で私を見ていた。
どうやらいつの間にか眠ってしまった様だ。
「ジュースでも買おうと思ったら、オッサンがウンウン唸ってるから、こりゃヤバイと思って起こしたんだよ」
「そうか、悪かったな…」
「まーいいけど、って何だよ、酔っ払いかよ!心配して損したわ!」
と、ビールを見て怒り始めた青年に思わず、
「いや…これはダチの分なんだ…」
「は? ダチ?」
青年は辺りを見回し、そんなのドコに居るんだよとばかりに私を見た。
「あー… いや…、もうずいぶん前なんだけどダチが亡くなってな、これはそのお供え物っていうか、ソイツにやる為の物なんだ」
「え?… そうなのか… あー… 何か…ゴメン…」
「いや…いいさ…」
一瞬の沈黙。 そして、
「その人は、ここで死んだの?」
「え?」
「あ…いや、何聞いてんだオレ…」
そう言って、バツが悪そうに頭をかくその青年は、どことなくアイツに似ていた。
見た目ではなく、立ち居振る舞いというか、空気感が。
私は
「いや? 全っ然違う場所だし、何なら今日が命日って訳でもない」とおどけて見せた。
すると青年はホッとしたように、
「何だよそれ、いい加減だなあ。そんなんじゃその人怒るんじゃねーの?」
「ははっ! そんな事で怒るようなヤツじゃないさ。まあでも、ビールがぬるい!って文句はくらいは言うかもな」
「仲良かったんだな、その人と」
「ああ、親友だ。」
「…へへっ…」
「どうした?」
「いや、何か嬉しくなっちゃって」
「それにしてもオッサン。厳ついカッコしてんなあ」
そう言いながらも、革ジャンにジーベストという厳つい格好をしたオッサンに物怖じせずに話しかける青年に、今更ながら思わず苦笑がもれる。
「背中に刺繍入っちゃってるし、えーと何なに、アンゴルモア?」
(!!)
青年の口から発せられた言葉にドキリとした。
「…よく読めたな」
「お、合ってる?何かそんな気がしたんだよ。しっかし、相当年季入ってるなぁ」
「ああ、格好いいだろう?」
「ん〜… 確かに格好いいけど、一箇所だけ… オレならココは青じゃなくて紺にするね。その方が絶対格好いい!」
「…ははっ!そうか、お前も紺の方が良いか」
私は立ち上がり、自販機の方に歩きながら、
「おごるよ、何がいい?ジュースか?」
と、振り向くと、今まで確かにそこに居たはずの青年の姿はどこにもなく、缶ビールも消えて無くなっていて、
ボウゥゥゥー…
遠くでアイツのバイクの音が聞こえた気がした。
――――――
――――――
――― 目を開けると、見慣れない真っ白な天井が見えた。
私はベッドに仰向けに寝かされ、酸素マスクの様なものや、手には脈拍を測る器具が付けられ、ピッ、ピッ、と電子音が聞こえた。
(ここは… 病院…?)
(ああ… そうか…)
自宅で急に頭が痛くなって、その痛みに我慢できずに救急車を呼んで… その後この病院に運び込まれたという事だろうか。
体が重い、動かし方を忘れてしまったかの様だ、
頭もモヤがかかったように、思考がはっきりしない、
しかし、自分の命の灯火が消えようとしている事は理解できた。
自分でも驚くほど心が落ち着いている。
ゆっくりと記憶を思い返す。
(ふう… 八十年…良く生きた…)
去年、おそらくはこの同じ病院で、穏やかな顔で永眠する最愛の妻を看取った時から、自分の命が尽きるのもそう遠くは無いだろうと思っていた。
そして、その時が来ただけの事。
焦ることも、心配事も無い。
一人息子はとっくに自立し、一家の長として生活している。
孫の顔も見せてくれた。
息子が家を出た後は妻と二人で、笑い、泣き、時にケンカもしたが、離れる事なく暮らしてきた。
幸せな人生だった。
心残りは無い。
……いや… 強いて言えば一つだけ…
元々調子の良くなかった腰痛を悪化させてしまい、私は六十代半ばで泣く泣くバイクを降りた。
それ以来、一度もバイクに乗っていない。
もし叶うのならば、もう一度、
あの風を、
日差しを、
景色を、
匂いを、
振動を、
音を、
アイツと二人で……
……………
…………
………
(… ん… 暑っつ …)
暑くて目が覚めた。
目を開けようとして、思わぬ眩しさに顔をしかめながら薄目を開けると、真っ青な空と緑の木々。
(…… ここは … )
夏の日差しを浴びて火照った体に爽やかな風が通り抜けた。
体を起こして辺りを見回すと、鮮やかな緑色の葉をもっさりと付けた木々と自販機、そして、
背を向けて座るアイツが居た。
「…え… お前… どうして…」
私の声に気付いたアイツが振り向き
「ん? おー、やっと起きたか。つーか、こんなトコで爆睡すんなよな」
そう言って、ニカッと笑った。
驚きに固まり、何の反応も出来ない私に、
「何だよその、驚いた!みたいな顔は、まだ寝ぼけてんのか?」
(…これは …夢? いや…)
「おいおい、ホントに大丈夫かよ?」
「お前は… 確かにあの時、峠で…」
「峠? あ~そうそう、峠って言えばさあ、ちょっと前に峠でコケてさあ…あれ?この話、した事あったっけ?」
(!?)
「一人で峠に行ってさあ、いい感じで攻めてたんだけど、砂に乗っちゃってガシャーン!よ。で、バイクはグシャグシャ、でも体はほら、無傷だったんだよなあ」
(これは… そうか… そう言う事か…)
認識した瞬間、私は俺に戻っていた。
アイツは笑いながら言う、
「いや〜、流石の俺もあの時は死ぬかと思ったねw」
(ふっ… バーカ、俺もお前も、もう死んでるっつーの)
「ん? 何か言ったか?」
「いや、別に?」
「何かお前、雰囲気変わったな、なんか、老けたって言うか、落ち着いてるって言うか… そう言えば、オッサンになったお前に会った夢を見たなあ」
「夢? どんな?」
「ああ、いつものこの場所でさあ、何か知らないオッサンが寝ててさあ、起こしたらお前だったんだよ、五十才くらいのお前。で、ビール飲みながら話しして」
「ビール?」
「そ、すっかりぬるくなったクソまずいビールなw でも何かすげぇ久しぶりの様な、懐かしい様な気持ちになったよ」
「へえ…」
そこで、言葉を区切ってアイツが俺をじっと見つめて来た。
(ん? 何か気付いたか?)
すると、ぐいっと前髪をかき上げながら、
「あとお前、結構生え際がキてたぜw」
「……… はあ!? ふざけんな、フサフサだったろ!」
「おいおい怒んなよ、夢の話だって言ってるだろ? さ〜て、んじゃあそろそろ行くか?」
いつの間にか、俺とアイツは揃いのジーベストを着て、バイクにまたがっていた。
目の前には見慣れたタンクとメーター周り、キーシリンダーに差し込まれているキーには、革のキーホルダーが付いている。
(俺の… バイク…)
イグニッションをONにすると、メーターに緑色のランプがポッと灯る。
今まで何度も、何度も目にした灯りだ。
(かかるのか?…)
セルボタンを押し込む。
キュカカカッ… ヴォン!
ボウボウボウボウ……
目を閉じて、ゆっくり、長く息を吐いた。
すーっ… ふうぅぅぅ……
アイドリング音が体に染み渡り、記憶が、思いが込み上げてくる。
目を開け、アクセルを開ける。
ヴォン! ヴォン! ヴォンッ!!
俺の気持ちに応えるように排気音が空に響いた。
ふと視線を感じて隣を見ると、ニヤニヤ笑っているアイツと目が合った。
「…なんだよ」
「いや、なんか、ずいぶん久し振りな気がしてさ 」
「…ああ、俺もだ」
「そんでなんつーか、こう、照れくさいっていうか… なんかちょっと、変な感じなんだよ」
「ああ、俺もだ」
「そんで…なんでか分かんねーけど… すっげー嬉しいんだ! 涙が出るくらい、嬉しいんだよ!!」
アイツは泣いていた。
「ああ… 俺も、だ…」
「あーもう!訳わかんねえ!なんで泣いてんだオレ!キモっ!!」
「バーカ、なに… 泣いてん…だよ!」
泣きながら笑うアイツを見て、俺の目にも涙が溢れた。
「「うははははっ!!」」
俺とアイツは泣きながら、デカい声で笑い合った。
「なんか… 訳わかんねーけど、すげぇスッキリしたわ」
「ああ、なんか、今なら何でも出来そうな気がするわ」
「それな、分かるw」
「じゃあ、今度こそ、行こうぜ」
「ああ、行こう。で? どこに行く?」
「どこだっていいさ、俺達は
「ふっ、な〜にカッコつけてんだよw」
「いいだろ別に!そういう気分なんだよw」
「ああ、いいね、最高だ」
互いにニッと笑ってメットのシールドを下ろした。
まだゴールじゃない、もっと走り続けろ。
―― 終わり ――
あとがき
気が付いたら、いつまでバイクに乗っていられるだろう?なんて考えがよぎる年齢になっていた。
人と出会い、バイクと出会い、共に歩み、共に走った。
喜びがあり、悲しみがあり、忘れ難い出来事があり、そのすべてを抱いて今がある。
過去は今を作り、今は未来に繋がっている。
不透明な未来、不確定な未来、その先には何が待っているのか。
私とバイクはどんな結末を迎えるのか。
そんな事を思いながら、この話を書いてみました。
最後まで読んで頂いたあなたに最上級の感謝を。
夏の夢と願いと現実と。 木浦 功 @bmatsuyama
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