第10話 怪物になった男
「……」
ぺた、ぺたと足音が響く。
靴を捨てたのはいつだったろうか。服もほぼ黒い布切れと化し、防護としての意味はなくなっていた。それでも身につけていたのは、一種の意地やプライドだったのかもしれない。
今となっては、惰性で着ているだけだ。
「……」
最初は避けていた大通りを、まっすぐに進んでいく。
堂々と歩けば、勿論魔物に補足される。民家で眠っていたゴブリンが目を覚まし、走り出してきた。空を見上げれば「鷹」が勢いよく高度を下げ、俺めがけて突進してきている。
囲まれ、絶体絶命の状況。
一日目ならば。
「『創剣』」
手元に二振りの長剣が現れる。それは鋼鉄製のような重量を持ちながらも青白く、半透明だ。どす黒く濁った太陽光を受け、その剣は淡く光を放った。
「GYA!?」
「一」
ノールックでゴブリンを迎撃。首の辺りから腹にかけての主要な臓器を一度に切り下ろし、処理する。
「KEEEE!!」
その勢いのまま縦回転。
首を狙った鷹の爪を躱しつつ、首を切り落とす。
「二」
戦闘時間は五秒と少し。
若干遅いが、許容範囲というとこだろうか。この内容なら剣は二本いらなかったし、縦回転も余計だ。次同じ状況になったら活かそう。
「……ふぅ」
息を吐き出す。
思い返せば、随分遠い場所まで来た。この世界に来てから半年、俺はここで戦い続けた。そのお陰というべきか、身体能力は向上し続けている。例えば脚力は世界記録をとうに越せるレベルまで来ていて、立ち幅とびで10mは跳べると思う。
速く、硬く、何より強くなった。
ここで生きていくだけなら不自由はないくらいに、俺は化け物になった。
(でも)
この場所から出ていくには、未だ足りない。
知識も、力もすべて物足りない。その不足を追いかけるために、今日もまた命を賭ける。物資も才能も、経験だってない俺が生き残るためには、これしかないのだ。
「来い」
強く、風が吹いた。
『QUOOO』
わざわざ目立ち、敵を殺していたのには理由がある。
それは血の匂いに寄せられてくる。だってそれは、圧倒的な捕食者であるから。この地獄において、他を喰らい尽くす頂点の狩人。
「キメラ」
吹き付けるような強い風につられ、上を見上げる。
それは、大きな翼を持っている。広げただけで太陽を覆い尽くし、月を沈ませるほど広大な翼だ。それは、馬のような胴体を持っている。岩のような筋肉と、幹のような骨をして、強く地面を踏みしめた。
それは、蛇の頭を持っている。
数十体の蛇の頭が、うねうねと頭部が座すはずの場所で蠢いていた
鳥と、馬と、蛇が合わさった混合獣。喰らい、合わさるほど強くなるこの環境において、その肉体は合理的で、それでいて冒涜的だった。
いつかは挑むこと無く諦めたその怪物に、正面から立ち向かう。
といっても、準備は飽きるほどしたが。
「本当に、そこで良いのか?」
余裕綽々、ゆったりと地面に降り立ったキメラの体が沈む。俺から見て前方10mほど遠くの出来事だった。
地面が見えていたはずなのに、石畳の床をすり抜けてキメラの体が消えていく。
『QUOOO!?』
そして、悲鳴が上がる。キメラが消えた穴の下からは、ぼちゃんぼちゃんと水音が響き渡っていた。良かった、スライムのスキルはしっかり効果があったようだ。
これは、俺が作った落とし穴だった。
手作業で大通りの真ん中に少しずつ穴を開け、上部を『幻影』で埋める。幻影は幻を見せてくる魔物から奪ったもので、消耗は大きいが永続的に触れられない幻を生み出すことができた。
ここまでに、五日かかった。
そして、下部をスライムの『溶解』で生まれる液体で埋め尽くす。当初『溶解』は人間には獲得できないものだと思っていたが、レベルアップと試行回数で克服することができた。
必要なのは、イメージだ。
スキルを発動した瞬間に体液が呪いの液体に入れ替わり、手先からそれが染み出していく想像をし続けた。実験の一種だったが、それが成功した。他の獲得不可能だったスキルも、これを繰り返して取得した。
けど、『主核』などの身体構造に関わるスキルは無理だった。これは、現代での生活が邪魔してしまっているのだろう。教育を受け、臓器や肉体の構造を知ってしまっているからそれを作り変えるイメージを持てない。
『Q OOOOOUUUU』
ばさばさと不格好に飛び上がり、キメラが姿を表す。
右前足は腐り落ち、その体を離れた。左後ろ足は足首より先がなくなっており、断面が見るに耐えない姿をしていた。しかし、『溶解』は獲物に痛みを与えないので、キメラは動きを鈍らせずこちらに飛行してくる。
今ので、驕りは消えた。
全力でキメラは俺を殺しに来る──
「『応えろ永劫の理 絶えることのない炎熱』」
それを、逆手に取る。
「『灰燼も残すな 烈火の
手元から生まれたのは、太陽と見間違うほどの光を放つ炎球。「烈火の陽」はぷかぷかと宙に浮かび、漂う。そして、5mほど先で停止した。
城にあった文献とスキル『魔術』の助けを借り、俺はいくつかの魔法を取得した。その中でも、一際火力が高いのが「烈火の陽」だ。けれど、その分弱点は多い。魔法を使う燃料である魔力を尋常じゃないくらい消耗する上に、その場から動かすことができない。
普通なら運用が難しい魔法、だから、この落とし穴を使った。
飛翔するキメラ。その進路に、火球が出現する。
減速しようと翼を上下させるが、その巨体にかかる慣性を殺し切る事ができない。無理矢理体を捻らせ直撃を避けるが、その右翼が火球に触れた。接触点から火が上がる。
「ここだ」
駆け出す。
減速し始めたキメラに対抗するように、一直線に加速していく。キメラの体は低空、このまま行けば右翼が燃え尽きる。けれど、ここで逃げられたらレベルアップによって傷を埋められるだろう。
ここで、勝負を決めるしかない。
距離は3mと少し!
「ふっ」
創剣を投擲する。目を狙って投げるが、硬質の瞼に弾かれた。
『QU』
振り下ろされた左前足を、再び『創剣』で作り出した剣で受け流す。勢いを消さないように、横へ、滑るように足を押し流す。
『QUOO』
「っまじ、かよ!」
蠢いていた蛇の頭が、一斉に俺を睥睨する。そして、その瞳が次々に光を放った。明らかにそれは魔力を使った攻撃のたぐいだ。けれど、キメラが魔法を使った記録は今までに一度もない。
(追い込まれたからか!?……駄目か)
光が一瞬経つごとに増していく。
光量は俺の魔法にも並ぶほどだ。つまり、直撃すればまともな形は保てない可能性が高い。だが、もう回避できる体勢ではない。
逡巡は刹那。
迷いを、葛藤を切り捨てて前へと飛ぶ。その魔法が発動する前に殺して見せる!
「『応えろ 永劫の理』ぃ!!」
首の真下、出来るだけ蛇の視線の届かない場所に走り込み、詠唱を開始する。
火力を上げるために長く紡いでいた言葉を、短縮する。
「『烈火の
首元に創剣を突き刺す。青白い刀身は炎をまとい、輝き始める。
キメラの肉は硬い。食い込んだ状態で停止したその柄から、手を離す。押して入らないならば、もっと強く、思い切り!
拳を握り込む。
踏み込んだ右足は床を穿ち、砂埃を巻き上げた。
「ここで終われ!
『QUOQOUOQUOQUOOUOUOOO』
創剣めがけ、拳を振り抜く。
「っ」
肉を貫き、骨を砕く感触。確かにキメラを殺した手応えが掌へと返ってくるが、それと同時に、蛇から放たれる光が最高潮を迎える。咄嗟に左手を顔の前へと突き出し、残った魔力すべてを集中させた。
『Q』
「っ……がぁ!!なん、だこれ!!」
キメラが生命活動を終え倒れ込むが、そこでもう攻撃は完了していた。
左腕に緑色の光がまとわりつく。それはまさに蛇のようであり、絡みながら俺の首へと這いずってくる。ずる、ずるとそれが進む度に神経が焼かれるような鋭く、ひどい痛みが襲うが、それは問題ではなかった。
光に触れた部分が、灰色に染まっている。
指先はもはや灰色になりきっていて、ピクリとも動かすことができない。
(蛇、光……そういうことか)
元の世界で聞いた話を、他人事のように思い出す。
かの神話では、蛇の怪物が居たらしい。
名を、メドューサという。上半身が人間、下半身が蛇で頭髪も数多の蛇というような外見で現代は語られることの多い彼女は、文献によってはイノシシの下半身や、黄金の翼があるように描かれていたのだとか。
そして彼女は。
目があったものを、石に変える能力を持つ。
「っ」
不味い。
このままだと全身を石化される可能性がある。頭まで石化が進行すれば、詰みだ。思考すら叶わないまま動けず砕かれて死ぬ。
咄嗟に右腕を、生成し直した創剣を振り上げる。
石化しきれば終わり。だが、右腕は切り落とした所で何回でも生やすことができる。なら、患部を切除するしか──
「待って!」
「え?」
剣先が肩に触れかけたまま、停止する。
幻聴かと思った。けれどこれはどう考えても、人間の声だ。
「私なら、治せるよ」
異世界転生から半年、正確に言えば百八十日。
俺は、魔女に出会った。
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