ゆきやなぎ

青城澄

ゆきやなぎ


 ある冬のあさのことです。

「ようちえんなんか、だいきらい」

 くるくるお下げの、とてもかわいい、みくちゃんは、ようちえんへのみちを、とぼとぼあるきながら、こっそりとつぶやきました。みくちゃんは、ようちえんに、いきたくないのです。なぜというと、ようちえんのトイレで、おしっこをすることが、できないからです。

 さいしょからできなかったわけではありません。まえは、みくちゃんも、ちゃんとようちえんのおトイレで、おしっこしていたのです。きっかけは、ほんのささいなことでした。

 ある日、ようちえんのおへやで、おともだちとままごとあそびをしていたみくちゃんは、あそぶのが、とてもたのしかったので、おしっこがしたかったのに、がまんしていたのです。それにその日は、とくべつにさむくて、ストーブのないトイレにいって、パンツをぬぐのが、とてもめんどうだったのです。

 ぎりぎりまでがまんして、パンクすんぜんになってから、みくちゃんはようやくトイレにはしっていったのですが、まにあいませんでした。トイレの入り口のところで、もらしてしまったのです。そして、さらにわるいことに、みくちゃんは、おもらししてしまったところを、おなじスミレ組のマモルくんとシンジくんに、見られてしまったのです。

「あっ、みくちゃんが、おしっこもらした!」

「うわっ、ほんとだ! きいったない!」

「おもらしちゃん! みくちゃんは、おもらしちゃんだ!」

 マモルくんとシンジくんは、みくちゃんのあしもとにたまったおしっこの水たまりをゆびさしながら、わらいました。すると、まわりにいたみんなまで、みくちゃんをはやしたてました。

「おもらしちゃん! おもらしちゃん!」

 みくちゃんは、はずかしくて、くやしくて、大ごえで、なきだしました。するとスミレ組のやよい先生が、あわててやってきて、そこにいたみんなを、しかりました。

「みんな、おともだちになんてこというの!」

 するとみんなは、しゅんとだまりこみました。

 やよい先生は、みくちゃんをみると、やさしくほほえんで、「がんばってがまんしたけど、まにあわなかったのよね」といってくれました。そして、ぐっしょりぬれたみくちゃんのパンツを、あたらしいきもちのいいのに、とりかえてくれました。おしっこのあとしまつも、してくれました。

 でもみくちゃんは、なぜかそれから、ようちえんのトイレに、いけなくなってしまったのです。どうしてでしょうか? 先生にも、おかあさんにも、わかりませんでした。みくちゃんにもよくわかりません。ただ、おしっこがしたくなって、トイレにいこうとすると、なぜか、みんながいった「おもらしちゃん」ということばを、みくちゃんは、きゅうにおもいだしてしまうのです。そして、じぶんはほんとうに「おもらしちゃん」のような気がして、そこで、おしっこをもらさなければいけないような気がして、そして、ほんとうに、もらしてしまうのです。

 ことばって、ふしぎですね。ただ、ちょっといっただけなのに、ときどきそれが、人の心につきささったり、くさりのように、心をしばってしまったりもするものなのですね。とにかく、それからみくちゃんは、ようちえんのトイレに、一歩も入れなくなってしまいました。

「だいじょうぶ。また、できるようになるよ」

 おかあさんは、いっしょうけんめいにはげましますが、みくちゃんのおもらしはなおりませんでした。

「おしっこしたくなったら、先生にいってね。いっしょにいこうね」

 やよい先生も、いいます。でも、やっぱりみくちゃんは、トイレにいくことができません。

 いったい、どうすればいいのでしょう。先生も、おかあさんも、こまりはててしまいました。でも、だれよりも、こまっていたのは、みくちゃんです。おかあさんや先生が、やさしくいってくれるたびに、みくちゃんは、じぶんが、みんなをこまらす、とてもいけない子のような気がしてきて、かなしくなります。そして、やっぱり、トイレの入り口で、おもらししてしまうのです。

 ほんとうに、どうしたらいいのでしょう。


 冬だというのに、その日はとても、お日さまが、ぽかぽかとあたたかい日でした。みんなは、おにわで、おにごっこをしたり、ぶらんこをしたりして、あそんでいます。でもみくちゃんは、おにわのすみっこに、ひとりでしゃがんで、ぶつぶつとつぶやいていました。

「ようちえんなんか、だいきらい……」

 みくちゃんは、ためいきをついて、たちあがりました。そして、プールのよこの、かべをつたって、うらにわに入りました。そこには、夏にみんなでうえた、おいものはたけのあとがあって、人はだれもいません。はたけのよこの、にわのすみには、竹ボウキをさかさにたてたような、小さな木がはえていました。小さいといっても、みくちゃんのせたけの2ばいはあります。木のねもとに、字をかいた小さな白い名ふだが見えるので、みくちゃんは、ちかよって、よんでみました。その名ふだには、『ゆきやなぎ』とかいてありました。

「へえ、この木、『ゆきやなぎ』、っていうんだ」

 みくちゃんが、ぽつりとつぶやいた、そのとき、どこからか、小さなこえが、かすかに、ちりちりときこえてきたのです。

「ああ、さきたいなあ」

「だれ?」

 みくちゃんは、びっくりして、ふりむきました。うらにわに、だれか入ってきたかとおもったのです。でも、だれも入ってきたようすは、ありませんでした。いるのは、みくちゃんひとりだけ。でも、やっぱり、こえはきこえてきます。

「ああ、さきたい。さきたくてたまらないよ。早く春にならないかなあ」

 みくちゃんは、おそるおそる、上を見あげました。こえは、どうやら、この木のほうから、きこえてくるのです。

「さきたいって……、お花がさくってこと?」

「そうだよ。ほかになにがさくっていうの? ぼくは、ゆきやなぎ。春になれば、小さくてとってもきれいな白い花が、雪みたいに、えだいっぱいにさくんだ。それって、とても、きもちいいんだよ」

「きもちいい?」

 みくちゃんがいうと、ゆきやなぎの木は、さわさわえだをゆらしながら、うれしそうに、こたえました。

「そうさ。さくのって、とってもきもちがいいんだよ。冬のあいだは、ずっとがまんしてるんだ。えだや、ねのなかでは、もう、むずむず、むずむず、さきたいきもちが、たまっていて、もう、ばくはつしそうなくらいなんだよ」

「じゃあ、さけばいいのに」

「だめだよ。ときというものが、あるんだ」

「とき? ときってなに?」

「うん。花はね、お日さまのじゅんばんを、まもらなきゃいけないんだ。スミレにはスミレの、ひまわりにはひまわりの、ゆきやなぎにはゆきやなぎの、さくじゅんばんがあるんだよ。せかいじゅうの花が、いっぺんにさいたら、お日さまがこまっちゃうからね。それが『とき』なんだ」

「ふうん……、なんか、よくわかんないけど」

「もうすこししたら、お日さまが、ぼくによびかけてくれる。『それ、いまだ、きみのばんだよ!』ってね。そしたら、ぼくは、力いっぱいにさくんだ。ああ、早くそのときがこないかなあ。もうまちきれないよ……」

 ゆきやなぎは、ほんとうにうれしそうに、いいました。みくちゃんは、なんだかさみしくなって、ゆきやなぎのねもとに、ふらふらとすわりこみました。

「いいな、みんな、たのしそうで」

 すると、ゆきやなぎは、そわそわしたえだを、ふととめて、みくちゃんに、かたりかけました。

「どうしたの? なんだかずいぶん、しずんでるね」

「わたし、ようちえん、きらい」

「なんで? みんなとってもたのしそうだよ? なにか、あったの?」

 みくちゃんは、じわりとわいてきた、なみだをのみこみました。そして、ゆきやなぎに、トイレでおしっこができなくなったことを、はなしました。ゆきやなぎは、いちばん太いえだを、みくちゃんのかおのところまでたらして、めずらしそうに、ふんふんときいていました。

「へえ、そうなの……」

「どうしても、だめなの。トイレの入り口にたつだけで、うごけなくなっちゃうの。おうちのトイレでは、へいきなのに、ようちえんでは、だめなの。もうようちえんなんかに、きたくない。みんな、きらい……」

 めそめそなきはじめた、みくちゃんに、ゆきやなぎは、いいました。

「ばかだな。そんなの、だいじょうぶだよ。なんだって、『とき』がくれば、できるようになるんだから」

「そんなの、わかんない」

「あのね、きみ、さっき、ぼくの名まえよんでたろ? ひらがな、よめるんだろ?」

 みくちゃんは、なきながらうなずきました。

「それ、まえは、よめなかっただろ?」

「うん……」

「でも、いまは、よめるんだよね?」

「うん……」

「ほら、それとおなじさ。春になると、ゆきやなぎがさくってことと、おなじくらい、とうぜんのことなんだ。いきものはみんな、ときがくれば、さいたり、大きくなったり、するものなんだ」

「どうして?」

「そりゃ、いきものだからさ。いきものは、もともと、大きくなるようにつくられてるんだ。きみだって、ときがくれば、ちゃんとトイレにいけるよう、もとからきまってるんだよ」

「それ、いつ? ほんとにできるようになるの? わかんない、わかんない……」

 ぐずぐずと、ちっともなきやまない、みくちゃんに、ゆきやなぎは、えだをふって、「やれやれ、しょうがないなあ」といいました。

「じゃあ、ぼくが、てつだってやるよ。きみ、ぼくのえだのさきっちょ、おってごらん」

 みくちゃんは、ふと、なきやみました。

「えだ、おるの? いたくない?」

「すこしね。でも、きみがぼくのえだをもってると、一日だけ、ぼくはきみのそばにいることができるんだ。そのあいだ、もし、きみの、トイレにいけるときがきたら、ぼくが、おしえてやるよ」

「ほんと?」

「ほんとだよ。さあえだを、おってごらん。ただし小さいやつね。大きいと、すごくいたいから」

 みくちゃんは、なみだをふくと、目のまえにあった、小さなほそいえだを、おずおずと、つかみました。手に力をいれると、えだは、小さく、ぽきっとなって、かんたんにおれました。

「それをポケットに入れておくんだよ。だれにもみつからないようにね」

「うん……ありがと、ゆきやなぎさん」

 みくちゃんは、ゆきやなぎをみあげると、すこし、ほほえみました。


 みくちゃんは、ゆきやなぎの小えだを、ポケットに入れて、おへやにもどりました。みんなそとにでているので、おへやにはいま、だれもいません。

「ほんとに、できるようになるのかなあ……」

 みくちゃんは、ポケットから小えだをとりだして、つぶやきました。

 ……おや? みると、その小えだには、ふたつみっつ小さな花のつぼみがついていて、気の早いつぼみがひとつ、白い花びらを、ちらちらほころばせはじめているのです。

「あれ? もうさいてる。へんなの。まださけないっていってたのに」

 みくちゃんがいうと、小えだが、くすぐったそうにいいました。

「ちぇ、ばれたか。じつはぼく、いつも、さいごまでがまんできなくて、つい、ちょろっと先にさいちゃうんだ」

 さっきのこえよりも、いくぶん小さなこえですが、まちがいなく、おなじゆきやなぎのこえでした。みくちゃんは、おかしくなって、くすっとわらいました。

「なあんだ、それって、まるでおもらしみたい。がまんできなくて、さいちゃうなんて」

「そうさ。ぼく、まいねん、つい、おもらししちゃうんだ」

 ゆきやなぎの小えだは、はずかしそうに、いいました。みくちゃんは、わらいながら、なんだか、すこし、きもちがかるくなってくるのを、かんじました。

「あ、もうすぐ、くるよ」

 とつぜん、小えだが、いいました。

「え?」

 みくちゃんは、びっくりしました。だって、まだ、おしっこをしたいかんじなんて、まるでしません。でも、小えだは、じれったそうに、いいました。

「ほら、ほら、もうすぐ、ときがくるよ! きみのときだよ! さあ、トイレにいかなくちゃ!」

 みくちゃんは、なんだか、ちがうような気がしましたが、あんまり小えだがうるさくいうので、トイレにむかいました。

 トイレの入り口にたったとき、みくちゃんは、やっぱり、たちどまりました。まるで、そこにかべがあるみたいに、それいじょう、うごけなくなるのです。

「やっぱり、いけないよ」

 みくちゃんは、べそをかきました。でも、小えだはいいました。

「だいじょうぶだよ。できるよ。だって、お日さまが、いってるよ。『さあ、いまだ』って」

「お日さまが?」

「うん。きみには、きこえないの? お日さまはいつも、いきものに声をかけているよ。大きくなれ、大きくなれってさ。だからみんな、大きくなれるんだ。みくちゃんだって、トイレにいけるよ。いけるって、お日さまがいうんだよ」

「ほんとに?」

「ほんとさ! みくちゃん、さくのって、きもちがいいよ。大きくなるのだって、きもちがいいよ。さあ、いこう。いけるよ」

 小えだが、いけるよ、いけるよと、なんどもいうので、みくちゃんは、だんだんと、いけそうな気がしてきました。

「ほんとかな……」

 そのとき、せなかのあたりが、ぶるっとふるえて、みくちゃんは、ほんとうにおしっこがしたくなってきました。小えだが、びりびりしたこえで、さけびました。

「さあ、いこうよ!」

 そのこえに、おされるように、みくちゃんは、トイレの中に、いっぽ、ふみだしました。とたんに、まるでからだがかたむいて、そのままころころころがっていくかのように、みくちゃんは、トイレの中に、入ってしまいました。なんだか、じぶんがうごいているのではないような、気がしました。なにもかんがえずに、みくちゃんは、おトイレにまたがって、パンツをぬいで、しゃがんで……

 ちょろちょろと、おしっこが、トイレの中に、ながれていきます。みくちゃんは、なんだか、おもい氷が、いっぺんにとけたように、とっても、からだがかるくなってきて、おもわず、大きな声を、あげました。

「うわぁあ! ほんとにできたあ!」

 みくちゃんは、うれしくって、ほんとにうれしくって、まるでからだじゅうから、花がいっぺんにさき出たみたいに、しあわせなきもちになったのです。なんだか、じぶんのからだが、いっぺんに2ばいも、大きくなったようなきがしたのです。そしてそれは、ほんとうに、ほんとうに、きもちがよかったのです。


 やよい先生も、おかあさんも、びっくりしていました。マモルくんもシンジくんも、ふしぎそうなかおをしていました。あんなに、めそめそぐずぐずしていた、みくちゃんが、とつぜん、しゃんと、じぶんでトイレにいきだしたのです。もう、おもらしなんて、ぜったいにしません。

 みくちゃんは、いまでは、ようちえんが、だいすきです。だいすきな先生や、だいすきなともだちが、いっぱいいるからです。それに、春になれば、だいすきな、ゆきやなぎの花が、いっぱいに、さくのが、見られるからです。

 みくちゃんは、ようちえんにいくと、まいあさいちばんに、うらにわにいきます。そして、ゆきやなぎに、そっとはなしかけるのです。

「はやく、ときがくると、いいね!」



      (おわり)





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ゆきやなぎ 青城澄 @sumuaoki

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