最弱CSO、迷宮を救う ~戦わず育てるダンジョン革命~
筋肉痛
第1章 この世界も、ろくでもない。―それでも希望を見つけた
第1話 転生と迷宮《ダンジョン》―希望との出会い
静寂。虚無の中に、たったひとつの円環が回転していた。
時間も重力も失った場所に、その男は立っていた。
「馬鹿げた仮説ですが、検証してみる価値はあります」
男は穏やかな声で、誰にも向けずに語る。
感情の温度はない。ただ論理の隙間に滲むのは、わずかな興味と、ある種の疲労だった。
「私は失敗した。全てを計算し、動かし、結果を得ようとしたが……“それ”には、答えではなく意思があった。だから拒絶された。滑稽な話です」
指先を掲げる。
虚空にひとつの“点”が生まれる。それはまだ未定義の可能性。
「今度は、直接には干渉しない。ただ見るだけです。選ばせてみましょう。──“彼”に」
声は、どこか愉快そうに、どこか空虚に響いた。
「理解も共生も、道具に過ぎないと思いますが。この実験が、どんな結末を示すのか……楽しみです」
点が、光となって虚空を穿った。
世界に、再び“選択”が注がれる。
◇
深夜、アジア最大級の繁華街。
冷たい雨に濡れ、灰色のビル群がガラス壁を鈍く光らせる。無機質なネオンの海。そこに、人の温もりはなかった
──終わった。
駅前の雑踏に立ち尽くし、歩は虚ろに空を仰いだ。
『これでこの会社高く売れるわー。ご苦労さん。ちょっとうざいし、お前もういらない』
そのカリスマに心酔していた相手からの突然の追放宣言に歩は笑うしかなかった。
ドッキリとしか思えなかった。
いつものように「そんな顔するなよ、冗談だって。歩は真面目すぎるんだよ」と言ってほしかった。
だが、いつまで待っても次の言葉はなく、
―代わりに出てきたのは解雇通告書だった。
今思えば、奴はただ発信力が異常にある眩しいだけの広告塔だった。
それでも人々は、自ら輝く恒星に惹かれる。その裏に蠢く昏い欲望に気づかず。
その熱に裏切られ、いずれ己の身を焼き尽されようとも。
築き上げたすべてを、踏みにじられた。
努力も、友情も、未来さえも──
想像を絶する痛みを伴う精神の傷は、
世界そのものへの不信に変わっていた。
歩は思う。
世界は、知らないうちに書き換えられる。
誰かの手で、都合よく。
俺は、いつもバグ扱いだった。
放心の中、歩が信号無視に気づいた時には、
すでに目の前が、眩い光に包まれていた。
ブレーキ音、叫び声。
世界が、闇に沈んだ。
──次に生まれるなら。
誰にも利用されず、自分の手で未来を選びたい。
それが、歩の最後の祈りだった。
◇
意識が戻ったとき、歩は冷たい石の上に倒れていた。
視界はぼやけ、身体は鉛のようだ。
見上げた天井は濁った灰色で、ひび割れた岩肌の隙間から、青白い光が滲み出している。
──ここは……どこだ。
周囲には、異様な光景が広がっていた。
湿った空気に、苔むした岩壁が静かに脈動している。
青く輝く魔晶柱は呼吸するように明滅し、得体の知れない粘液質の生物がその足元を這い回っていた。
それは半透明の身体に青緑色の核を抱き、ぬるり、ぬるりと蠢いている。
粘液が岩に溶け、煙のような光が立ち上った。
悪夢じみた光景。
まともな世界じゃない。
──異世界転生。
そんな言葉が歩の脳裏に浮かんだ。
だが、歓迎はされていない。
テンプレ女神もチート神も無し。誰も、ここでの生き方を教えてはくれないようだ。
……この世界でも、ないがしろにされるのか。
歩は小さく溜息を吐いた。
立ち上がろうとするも、体は重く、言うことを聞かない。
そのとき、視界の端で──ぬるりと、粘液の塊が迫ってきた。
反射的に、歩の脳が警鐘を鳴らす。
──間合いが近い。回避不能。
筋肉が硬直する。
動けない。
防げない。
次の瞬間、スライムの表皮が大きく波打った──。
◇
次に目覚めたとき、歩は柔らかなベッドの上にいた。
白く磨かれた石造りの天井。
窓から射し込む光は、どこか温かい。
部屋には、薬草とインクの匂いが漂っていた。
──恐らく、病院か。
建物の素材や家具から見て文明レベルは中世より前くらいだな。
異常事態でも歩の観察癖は働いていた。その観察眼と冷静さに裏打ちされた戦略が前世の会社を成功に導いていたのだ。
歩がぼんやりと考えていると、足音が近づいてきた。
「目が覚めたんですね! よかった……!」
栗色の髪を一つに結んだ、小柄な少女。
素朴な制服を着た彼女が、ぱっと顔を輝かせた。
小動物を思わせるぱたぱたと裾を押さえるような仕草。
まだあどけなさの残る顔立ちに、くりくりとした茶色の瞳。
制服もどこか着慣れておらず、無垢な雰囲気を纏っている。
けれど、その小さな体からあふれる一生懸命さが、痛いほどまぶしかった。
「私はミナ。王立迷宮戦術学院の同級生です!」
──迷宮?
──戦術?
──同級生???
ひとつひとつの単語の意味は分かるが、それがつながるものがイメージできない。
言葉は世界を表す。
歩は異世界に来たことを確信した。
「えっと、それでですね!」
ミナは、慌てたように言葉をつなげた。何故かほんのり頬が上気している。
歩は熱でもあるのか?と心配になる。
横になるのは君の方ではないか、と。
「あなた、
なんか、スライムの破片みたいなのに囲まれてて、ええとでも、意識はなくて、そのなんていうか、傷はそんなになくて、
それで、ええと、なんだっけ。そうだ! 探索班のみんなが、あわわってなって──!」
だが、明晰な彼の頭脳が落ち着いて要点を分析する。
──要するに。
スライムに絡まれたが大事には至らず、探索班が発見した、ってことか。
「それでですね!……あっそうだ。お名前聞いてもいいですか。その、ずっとあなただと呼びにくいですし……」
伏し目がちにミナは歩に尋ねる。
名前を聞くのにここまで恐縮していたら、人生の難易度はかなり高そうだと歩は同乗した。
「相沢 歩。株式会社イグナイトパスを解雇されたばかりの無職だ」
ミナの顔に疑問符が沢山浮かぶ。首をあちらこちらに傾げている。
そのあまりの可愛げに、歩は思わず吹き出した。
「すまん、後半部分は忘れてくれ」
「ご、ごめんなさい、世間知らずで。でも、珍しいお名前ですね。歩君、歩君、歩君……はい、覚えました。」
10年振りくらいに君付けで呼ばれて、歩は少し気恥ずしくなったため、ミナに話の続きを促す。
「それで?」
「ああ、ごめんなさい。話の途中でしたね! 入学式前に同級生と会えたのが嬉しくて」
ミナは手をバタバタと振りながら、さらにまくしたてた。
「あーでも、入学前に迷宮に入るのは禁止なんです、本当は! めっですよ、めっ!
だけど良かったですね! 歩君、ちゃんと入学証を持ってたから──先生たちが、うーん、仕方ないね、って!」
「……言いたいことは伝わった。ありがとう。君が看病してくれたのか?」
「あのですね、私、入学が楽しみでまだカリキュラム始まってないのに、
学院をウロウロしていて。あっこれも本当はいけないんですよ。内緒です。
あっここがどこか言ってなかったでしたっけ? ここ、学院の療養棟なんです」
歩は周りを見渡す。ベッド数が学校としては異常なほどに多い。
「病院じゃないのか?」
「ひ、広いですよね。あの、これは私の予想なんで合っているかどうか分からないんですけど、迷宮討伐って怪我人がたくさん出るからだと思います」
なんだか物騒な話が聞こえたが、状況整理するため、歩は続きを聞くことにした。
「で、そしたら、先生……かどうか分からないんだけど、
その、学園の人に言われたから見守っていただけで。特に何もしてないんです。
あのあの、今もうまく説明できなかったですし……」
首と両手をこれでもかとフルフルと振りながら延々とミナは否定する。
──確かに支離滅裂な部分もあったが、ミナが必死なのはよくわかった。
制服の袖を握りしめた指先が、小刻みに震えていた。
必死な者には誠意を持って接する。それが歩のポリシーだ。
「いや、そんなことはない。助かった。ありがとう」
歩は、ふっと目を細めた。
ミナは面と向かって礼を言われる事に慣れていないのか、真っ赤になって俯いている。
なんだか悪い事したなと思った歩は話題を変えた。
「で、感謝ついでに教えてほしい。この学院の入学証を俺は持っていたのか?」
掠れた声で尋ねると、ミナはぱっと顔を明るくして、
枕元の机を指さした。
そこに置かれていたのは、薄い金属製のカード。
【王立迷宮戦術学院 入学認定証】──
触れた指先に、かすかな脈動。
カード中央には、奇妙な紋章が刻まれていた。
──やたらと手が込んでいる、これはただ事ではない。
歩は眉をひそめた。
自分がここにいる理由も、
この証を持っている理由も、わからない。
けれど。
今は、流されるしかなかった。
入学するしかない……のか?
【あとがき】
第一話、読んでいただきありがとうございます!
最弱能力チート無しの主人公・歩ですが、ここから少しずつ、世界に抗い始めます。
フォローしてこの先も見守っていただけると嬉しいです!
☆、♡、コメントを是非お願いします。励みになります。
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