月の底の喫茶店

sui

月の底の喫茶店

夜の深い時間、世界がそっと呼吸をしているころ、小さな港町の外れに「月草(つきくさ)」という喫茶店がひっそりと開く。


昼間は誰も気づかないけれど、夜中の一時を過ぎると、ふわりと青白い光をまとった扉が現れる。そしてこの喫茶店には、少しだけ心にさざ波を持った人だけが招かれるらしい。


ある夜、ひとりの女の子が道に迷って「月草」にたどり着いた。彼女の名前はリノ。胸の中には、言葉にならないさみしさを抱えていた。


店の中は、薄い月明かりに包まれていて、ふわふわと揺れるランプが、水の底で見上げた光みたいだった。カウンターには、銀色の髪をしたマスターがいて、リノにそっと言った。


「今夜の特製は”夢見草のミルクティー”。心にぴったり合う飲み物だよ。」


リノが一口飲むと、ふわりと目の前に懐かしい景色が浮かんだ。子どもの頃に拾った小さな貝殻、夏の夜に聞いた遠い雷の音、誰にも言わなかったひみつ。


全部、ちゃんと心の中にあったんだ、とリノは気づく。


帰るころ、マスターは彼女に、ひとひらの透明な葉っぱを手渡した。

「また、会いたくなったら、これを胸に置いてごらん。」


リノが振り返ったとき、もう「月草」はそこにはなかった。でも、ポケットの中には小さな葉っぱの冷たさが残っていて、リノの歩く道を、すこしだけあたたかく照らしていた。

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月の底の喫茶店 sui @uni003

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