勇者な王子の求婚100回断って農業始めたら、泥んこ従者と恋に落ちました

kaede7

1.自由への逃走

 加速する円舞曲にもピタリと合わせ、優美に翻るドレスの裾が、フロアに幻想の花畑を生み出していく。

 ステンドグラスを通して七色に煌めく月光さえ、艶めく秋桜色の髪に彩りを添えるいち装飾に過ぎない。


 豪奢な装飾で満たされる宮殿で、ひときわ目を引く小柄な少女——アイラ・アイザワ。

 異世界より召喚され、四年。勇者パーティーの一員として魔王討伐を成し遂げた十八歳の少女だ。


 今宵は、その祝賀会。

 注目を一身に集める今も、彼女の心は別の場所にあった。


(早く終わらないかなぁ……)


 激しいワルツでも息一つ乱れはしないが、アイラは内心で深いため息をついた。


 ダンスパートナーである勇者エルドの熱い視線が、ずっと背中に突き刺さっているのだ。

 彼がこの祝賀会の間中、出かかった言葉を何度も飲み込んでいるのは明らかだった。


 きっと、いつもの話だろう。


 九十九回。

 それは、エルドがこれまで求婚してきた回数。


 困り果てて視線を巡らせば、共に死線を超えた仲間たちが、意味ありげな笑みを浮かべてこちらを見守っている。


(もう。人事だと思ってさ)


 ふと、エルドの手の温もりを意識する。

 信頼できる仲間、大切な友人。けれど、それ以上の感情は――


 楽団が合図を送り、音楽が止まった。


 雷鳴のような拍手の中、アイラはエルドのエスコートも待たずにふわりと身を引いた。


 早くこの場を離れたい。

 しかし、エルドラスボスから伸びる手が、逃走を許してはくれない。


「……アイラ。そろそろ、返事を聞かせてくれないかい?」


 振り返れば、強い意志を宿したアメジストの瞳。

 魔王に向けた時よりも、ずっと真剣な眼差しだ。


「もう。またその話?」


 アイラは大きく息を吐く。


 転移前、農業高校への入学を控えた十四のアイラには夢があった。

 農業。たった一人で自分を育ててくれた祖父と同じ仕事に就き、食卓を美味しいお米と野菜で満たすという、ささやかで大きな夢が。


 魔王討伐という重責から解放された今こそ、それを叶える最高のチャンスなのだ。


「何度も何度も言ってるでしょ、エルド。今の私は、畑の事しか考えて——」


 言いかけた唇に、白い手袋の人差し指が優しく立てられた。


「う……う」


 エルドの顔が、触れ合いそうなほど近い。


「同じ返事はもう聞きたくないんだ。僕はね、アイラ。君のガードを破る良いことを思いついたのさ!」


 悪戯な笑みを浮かべたまま、エルドは勇者固有の神聖魔法で純白の羽を生やし、宙に舞い上がった。


 光り輝く翼が、瞬時にホール中の視線を独占する。


「ちょ、ちょっと待ってよエルド!」


 アイラの必死の声も届かない。エルドは聖剣を高らかに掲げ、神聖魔法でそれを眩いばかりに輝かせた。


「勇者エルド——いや、セレニアル王国の王太子、エルド・グレイン・セレニアルはここに宣言する!」


 喧騒がピタリと止む。

 すべての視線が壇上のエルドに釘付けになった。


 同時に、アイラの背筋に冷たいものが走る。彼の瞳が、真っ直ぐに自分だけを見つめていた。


「母神フィオーレの名の下に、我が盟友にして『風謳い』アイラ・アイザワ侯爵と婚姻を結ぶとッ!」


 時が止まったような静寂。

 そして、エルドは再び舞い降りると、アイラの前に跪いた。


「愛しているんだ、アイラ。ずっとずっと、君のことを想い続けてきた。これからも、永遠に」


 エルドがアイラの手を取り、その手の甲に恭しく口づけを落とす。


「あのね、エルド。私――」


 胸が、きゅっと痛んだ。

 エルドの本気が、伝わってくるから。


(……ふん、平民上がりの成り上がりめが)


 英雄同士の婚姻。成立すれば、国家の未来は約束されたようなもの。

 しかし、場を満たしたのは祝福の拍手ではなく、冷ややかな視線と抑えきれないどよめきだった。


(英雄だからと、思い上がりも甚だしい)

(エルド殿下には、もっと相応しいご令嬢がいらっしゃるわ! 私とか、私とか、私とか……)


 パーティーの斥候として鍛えたアイラの耳が、貴族たちの潜めた囁きを拾ってしまう。

 這い出る嫉妬心が、アイラの胸を締め付ける。


「やっぱり、こうなっちゃうよね」


 アイラは小さく嘆息した。


(ありがとね、エルド。嬉しいよ。だけど——)


 アイラは、振り払うように大きく息を吸い込み、言葉と共に吐き出した。


「こンの馬鹿エルド!! 何度も何度も言っているでしょ!! その話は、断固拒否だって!!!!」


 〈拡声スピーカー〉のスキルによって増幅された怒声が、ホール中に響き渡った。

 周囲は再び静けさを得、エルドの顔はみるみる青ざめていく。


「どうして……だ? 僕の、何がいけないんだ?」


 立ち上がったエルドが、すがるようにアイラの肩を掴む。

 その瞳には、今にも涙が溢れそうだ。


「悪くない。何も悪くなんて——」

(……だから困ってるんだよ)


 言葉が続かない。

 エルドの悲壮な表情を見ていると、胸が締め付けられる。


「王族の求婚を無下にするなど、処刑ものだぞ!」


 ホールでは、アイラを追い立てるような言葉が連鎖し始める。


「……そこの三下」


 それを断ち切るように、いつの間にかアイラの傍らに立っていた『剣聖』ホムラが口を開いた。


「アイラを処刑するとは面白い。貴様は、下らぬメンツのために、一個大隊を犠牲にすると申すのか?」

「う、ぐぐ……」


 赤の長髪を逆立たせる剣聖の威圧感に、貴族たちは口をつぐむ。


「いや。その程度で済めば、まだ良い方か」


 勇者パーティーの英雄たちの実力が規格外であることは、この場の誰もが理解している。

 中でも、エルドの聖剣でしか仕留められない魔王を、その身一つで釘付けにしたアイラの戦闘能力は別格だ。ホムラの言葉は、脅しなどではない。


「僕が君に振られるのは、これで何度目だい?」

「えっと……確か、百回目?」

「そっか、百回かぁ……」


 エルドが頽れた隙を見計らい、アイラは少し離れた場所に立つ白髭の『賢者』フランシスに小さく目配せをする。


 フランシスが頷くや否や、西の窓の外で、パァン、と軽い炸裂音が響いた。

 次々と一輪、また一輪。小さな光の花が夜空に咲き誇る。


「おお! 見事な花火じゃぞ!!」


 わざとらしく、フランシスが声を張った。


 ドワーフ王が祝賀パーティーに花を添えるために用意してくれた、特別な花火。開始の合図は、念話の魔法が使えるフランシスの専権事項だ。


 凍りついていたホールの人々は、気まずさを振り払うように西のバルコニーへと勢いよく流れ始めた。


「アイラ! アイラぁぁあああ――」


 人の濁流に、脱力したエルドも飲み込まれて消えていく。


「今っ!」


 アイラは物陰に隠れてドレスを脱ぎ捨て、その下に着込んでいた軽鎧を露わにする。


「やっぱり私には、こっちの似合ってる」


 神器『迅雷の弓』を装備し、東側の窓へ。

 ロープを握り、躊躇なく窓枠を蹴った。


「アイラ! 必ず、君の心を射止めてみせる!」


 風に乗って声が、聞こえた。


(ダメに決まってるじゃない! エルドは世界の、みんなの希望なんだよ)


 王宮の庭園に着地すると、アイラは首を激しく振り、すぐさま指笛を鳴らした。


 夜霧を割って走る緑の閃光。

 瞬きの後に目の前に現れたのは、巨大な犬の精霊クーシー——アイラが「クッキー」と呼ぶ従魔だ。


「お待たせ、クッキー」

「眠っていたから一瞬だったよ。ねえお嬢、パーティーはもういいの?」

「……十分。お腹いっぱい。もう二度と出たくない」


 そう言ってアイラは、クッキーの背に飛び乗り、防寒用ローブのフードを深く被る。


「そう? 『心残りがあります』って、顔に書いてあるけど?」

「……うるさいなぁ」


 頬に一筋、涙が伝った。


(ごめんね、エルド。さよなら。嫌いじゃ、なかったよ。ううん、本当は――)


 想いは、胸の奥にしまい込む。

 そうしなくてはならないから。


「わかったよ。それじゃ、行くからね」

「……うん」


 アイラが小さく頷くと、クッキーは力強く大地を蹴った。


 宮殿から微かに、伸びた音楽が聞こえてくる。

 が、アイラはクッキーの緑の長毛に顔を埋めたままでいた。


 目指すは北の地、ホウリック。


 アイラが領主として着任する領地へ向かい、一人と一匹は春の宵闇へと溶けていく。


  ▽


 そして、翌朝。


 エルドもまた、忽然と宮殿から「姿」を消した。


(今度こそ、君を振り向かせてみせる。どんな手を使ってでもだ!)


 そんな、無謀とも思える決意を抱いて。

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