第18話 久遠晄は観劇する②

 結局、俺は久遠が頼んだ通り両親に声をかけた。引き取った親戚の子の頼みとあらばと二人はその提案を快く受け入れ、俺たちはこうして蒼穂学園へと足を運んだ。


 俺たちは守衛室で入館許可証を貰った。一人の警備員が俺の顔をまじまじと見て「どこかで会ったことがありませんか?」と訊ねてきたが、以前に校門前で逃亡したことは秘密にし、そ知らぬふりでやり過ごした。


 視聴覚室は、教室前方のペースには幕による仕切りや照明などが設置され、簡易な舞台となっている。他の生徒の邪魔にならないよう一番後ろの端の席に座る。


 手作りのリーフレットを改めて見つめる。演劇のタイトルは「僕らを形成する小規模かつ些事な戸惑いについて」というものだ。なんじゃこりゃ? 高校演劇には正直さっぱりなじみがない。どんな内容になるのか想像がつかなかった。


 開演時間が近づくにつれ、意外にも生徒が多く来て、席が埋まり始めた。観客を見るに女子の比率がどうにも多い。それに加え何人か父兄の姿も見える。


「ねえお父さん、前に座ろうよ、前に! その方がお姉ちゃん、良く見えるでしょ」

「落ち着きなさいって宙羽そらは


 小学生とその父親らしき人物の姿もあった。


(家族か……)


 虚構症候群は家族間の絆を引き裂き、その患者を社会的に孤立させる。それはどうしようもなく避けられないことだ。


 橘と透子は、励起感情記憶説レゾナンスのことを言及していた。強い印象を与える体験や感情の共鳴が、記憶の改変を阻害する可能性がある。だが、それを演劇によって引き起こせるなど俺はとうてい思っていない。現実はどこまでいっても厳しく冷酷だ。


 きっとこれは、透子にとって人生最後の演劇になる。だからこそ、彼女は両親を呼んだのだろう。かつて演劇を観に来てくれた両親を――もう自分のことを娘と認識していない二人を、再び招いた。


「お隣よろしいでしょうか?」

「ん? ああ……」


 突然、空いている右隣から声をかけられた。派手な見目をしたお嬢様風の少女だ。


「あなた……楽しい公演の前だと言うのに、随分と不安そうな顔をされていますわね。演劇部のご父兄の方ですか? 演技に不安でも?」

「不安……そう見えたか。いや、そうかもな」俺は笑う。「なんせこれが、あいつとって最後の演劇になるかもしれないからな」

「最後の演劇?」

「ああ。俺はこれを最後にあいつに演劇をやめさせるつもりだ」


 俺の言葉を聞くと、くすくすと少女は笑った。


「なにかおかしかったか?」

「一ヶ月ほど前の私も、全く同じことを考えていたものですから。結果、私の目論見は大きく外れてしまいました。それが本物だったのか、改めて確かめたいのです」

「お前は」俺は尋ねる。「演劇に本当にそんな力があると思うか?」

「それを判断するためにここに来たのではありませんか? 私も、あなたも」

「……はっ」


 ブーーーー、とブザーが鳴った。客席側のライトが落とされ、一瞬の静寂に包まれる。前方、ステージ部分が柔らかなスポットライトに照らされ、空気が張り詰める。


「かもな」


 そして――久遠透子の舞台の幕が上がった。

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