Episode 013 それは、白銀のイカロス。
――明日のない夏休み。過ぎゆく時間はあまりにも速く、憂鬱な気持ちは比例して増していく。耐えられずに涙ぐむことも屡々だった。
――明日なんか来ないでほしいと。
それでも時は無情にも進み続けた。時が前に進むと誰が決めたのか、その答えを知らぬまま、夜を迎えた。時計と睨めっこして、眠ることさえ恐れていた。
あの八月六日の登校日。そこで起きた出来事は、鮮明な映像となって僕の脳内を支配し続けていた。その映像は日を追うごとに鮮明さを増し、今はもう極限に達してい
た。
薄っすらと朝陽が差し込む。
夏の景色は、そのまま……
僕は意を決した。何も考えられない程どうかしている状態だった。
それなのに、こういう時に限って布団から出るのが速く、着替えも迅速だった。ずぶ濡れだった衣服も既に洗濯されていて、新学期を迎えるには相応しい状態だった。
食卓では家族の笑顔が弾む。
お父さんとお母さん、そして二人の妹の顔が。
――家を出る。そこからは一人きり。
登校ルートを大きく外れる。それは考えたわけではなく、自然と足がルートを変えた。
本来なら教室でクラスの面々と顔を合わせている筈だった。ハッピー先生とは違う担任が出席を取る中、きっと僕だけがその場にいない存在だろう。僕という存在は消えることなく、今ここにある。その途中、トイレの個室に入り着替えた。
学校の制服では補導される可能性があると考えたわけではなかったけれど、鞄の中には私服を忍ばせていた。黄色の半袖シャツと紺色の半ズボン。この組み合わせは僕のお気に入りだった。
できるだけ遠くへ。
教室の窓から見てきた外の世界。僕は、そこへ飛び出している。
幾つもの町を歩き、公共交通機関を使って、あの日にマリンルックの少女が言っていた『ウメチカ』という場所に向かおうとした。ほんの一瞬、心が晴れそうな感覚があったけど、やはり昨日の雨のような感覚に戻った。その時点で……
――もう疲れた。
そう思ったのだ。……コツコツと、階段を上がっていた。
もう夕方かと思える程、紅に染まる光がチラリチラリと差し込んでいた。窓から差し込む光は、僕が動いていたからこその表現だったのだろう。
この建物の中で、誰とも会わなかった。
灰色の五階建て。その屋上は
何が悪いのか、誰のせいなのか、今も解らない。
ただ、ここから飛べば、僕は自由のなれそうな気がした。
一歩、また一歩と近づく。
この屋上の端の方へと向かっていた。
何故そうなったのか言葉にできなかった。ただ思い浮かぶのは、ハッピー先生と出会ってから、自身が変われたこと。それが、ほんの少しだったとしても……
僕は綴った。
感謝の思いを、言葉の限りを尽くして。
――そう思った瞬間だ。
ジワリ……と痛みが走った。流れ出る血液。紅に見えたものは、それだった。
気配もなく目の前にいた黒い影がサッと消えた。確かに感じた。鋭利なもので刺された感覚。そう思う間も瞬間だけしか与えられず、僕は足を滑らせた。
屋上の端から体が離れ、僕は飛んだ。
――イカロスのように。
でも、蠟で固めた翼だから、やはり解けて分解し、落下してゆく。
その時には、僕はもう夢の中だった。身体から流れ出た血が、僕の意識を薄くしていたから。……ヌッと吸い込まれる。それが僕に残った最後の感覚だった……
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