夫の実家

尾八原ジュージ

ようこそ

 夫の実家は狂っている。玄関を開けるとすぐに仏間があり、もう一度外に出ようと玄関を開けると、庭であったはずのそこは物置になっている。靴箱を開ければその向こうはトイレで、お茶を載せたお盆を持った義母が、遠いところをおつかれさまと言いながら階段下の収納から顔を出す。

 なんと住みにくい家かと思うのだけど、家の狂い方にも一応約束ごとがあり、住人になれば自然にそれがわかるのだそうだ。

「慣れたら楽よ。二階にあるはずの物置がすぐ隣に来たりするから、重いものの出し入れなんか簡単にできるし」

「そうそう」

 義姉と夫が笑い合う。

「狂ってる分、広く使えるしなぁ」

 と義父が言うとおり、この家には義父と義母、義姉一家、それに夫の大叔母と三世帯が暮らしている。

「僕もここに住み始めて一週間くらいで慣れたから」

 婿養子の義兄は言う。「もしひとみさんがここに住むことになっても、きっと大丈夫だよ」

 なおこの家で生まれ、今まさに育っている最中の甥や姪については、「ほかの家はこうじゃないんだよ」という教育が欠かせない。

 ともあれ夫の実家の居心地は良い。いつ行ってもほどよく片付いていて、あたたかで、笑い声が聞こえる。


 その家で、時々いないはずの人間を見かけることがある。たとえばまさに今、全員がリビングに揃っているはずなのに、ドアについたすりガラスの向こうに人影が見える。あちこちを振り返りながら、おろおろと歩いているらしい。

「あれ、どろぼうさん」

 姪が舌足らずな声で教えてくれる。「ゆうながうまれる前から、おうちにいるんだよ」

「私らが結婚するより前だよねぇ」と義姉が言い、「僕より古株なんだよ」と義兄が笑う。

「あの人は『住人』ってことになってないから、いつになってもこの家の約束ごとがわからないし、好きなところに行けないのよ」

 義母がそう説明してくれる。「ところでひとみさん、お茶のお代わりいかが?」

 突然甥っ子がテーブルの上から袋入りのせんべいをひとつとり、さっとドアを開けて廊下に放り投げる。すりガラスの向こうの人影が、それを素早く拾い上げる。

「時々食べ物恵んでやんないと、あいつ死んじゃうから」

 甥の言葉に、皆がどっと笑う。

「そうだなぁ。あいつ、もうずいぶん痩せちゃったからなぁ」

「翔太は優しいわねぇ」

「この家に入ってきたのが運の尽きよね」

 あんな人がいて危なくないんですかと尋ねると、「いざとなったら『何もない部屋』に入れちゃうから大丈夫」と皆が口をそろえる。「何もない部屋」は常にこの家の中を能動的に移動しているらしく、

「だからひとみさんも気をつけてね」と義母が言う。

「そうそう、うっかり入ったら大変だ」と義父も言う。

「ひとみには俺がついてるから大丈夫だよ」

 夫がそう返して、テーブルの下でこっそり私の手を握る。私はその手を強く握り返す。

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夫の実家 尾八原ジュージ @zi-yon

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