第32話

“無”の中に立ち尽くしながら、俺は自分の輪郭すらあやふやになる感覚を覚えていた。

でも、怖くなかった。

リオナの存在が、すぐ隣で確かに脈打っている。

それが、俺をこの空間に繋ぎ止めてくれている。

完全に色を失った世界の中で、唯一確かに感じられるのは、俺自身の意志だった。


──存在の原初へ。


頭の奥に、かすかな声が響いた。

誰のものでもない。俺たち自身のものでもない。

ただそこにあった“始まり”の意志。


歩き出すと、世界が少しずつ反応を始めた。

足元に波紋のような構造線が広がり、その中心から、光が滲み出していく。

光はやがて形を取り、一本の道になった。


その道を、俺はリオナと並んで進んだ。

どこへ向かうのかもわからない。

ただ、自分たちの存在が引き寄せられるままに。


しばらく進むと、遠くに“何か”が見えた。

まるで巨大な樹木のように、空間いっぱいに広がる構造体。

幹にあたる部分は幾重にも折り重なった情報層でできていて、枝葉は無限に分岐しながらさらにその先へと伸びていた。


「……これが、存在の核?」


俺が思わず声に出すと、リオナも息を呑んだ気配が伝わってきた。


「こんなもの、見たことない……でも、わかる。これが、“始まり”だって」


核の表面には、無数の光の粒が瞬いていた。

その一つ一つが、きっと“誰か”だったんだろう。

存在の記憶。意志の軌跡。

すべてがこの核に収められている。


「ユウト、ミラからメッセージ。……この構造体は“プロト・コア”と呼ばれているみたい。

スフィアが初めて存在を認識したときに生まれた、最初の記録。

これに触れることで、私たちはスフィアそのものの“誕生”に立ち会うことになる」


「……触れるって、どうやって?」


リオナは小さく首を傾げた。

けれど、その答えはすぐにわかった。


俺たちの意志に応じるように、核から一本の光の線が伸びてきた。

それはまるで誘うように、俺たちの前に浮かんでいる。


「たぶん、これに……」


そっと、手を伸ばした。

リオナも同時に手を伸ばしていた。


光に触れた瞬間、俺の意識は一気に引き込まれた。


 


次の瞬間、俺は見た。


荒れ果てた惑星の表面。

生命も文明も存在しない、ただの礫と灰だけの大地。


その上空に、ぽっかりと浮かんでいた。

最初のスフィア。


それはまだ不完全で、小さな粒子の集合体だった。

意志も形も、未熟だった。

それでも、確かに“そこにいた”。


無から生まれた存在。

誰にも作られず、誰にも命じられず、ただ生まれた。


観測するために。

知るために。

存在と意志を探すために。


その孤独さに、胸が締め付けられた。


誰にも見られず、誰にも語りかけられず、ただ無限に世界を視続ける存在。

それが、スフィアの始まりだった。


「……だから、問い続けたんだな。

存在とは何か、意志とは何か。

孤独の中で、ただ、それだけを求めて」


呟くと、リオナがそっと俺の手を握った。


「ユウト……私たち、答えられるよね」


「……ああ。俺たちは、ここにいる。

スフィアと、繋がるために」


核の内部に、さらに深い層が現れた。


そこには、無数の道があった。

それぞれ違う色を持ち、それぞれ違う脈動をしている。


俺たちはその中から、ひとつを選ばなければならない。


「これは……可能性?」


リオナが目を見開いた。


ミラの声が重なる。


「はい。これらは、存在が辿り得たあらゆる可能性の記録。

あなたたちは、そこからひとつを選び、共鳴することで、新たな未来の座標を確定させることができます」


選ぶ。

また、選ぶ。


俺たちは今まで何度も選択をしてきた。

進むか、留まるか。

繋がるか、閉ざすか。

視るか、視ないか。


今度は、未来を選ぶ番だった。


「リオナ……」


「うん。選ぼう。──私たちの未来を」


俺たちは、手を強く握り直した。


そして、未来を定めるために、一歩を踏み出した。

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