第23話

観測接続実験──正式名称フェイズ・インターフェイス試験001が開始されたのは、その日の午後だった。


神城を筆頭に、アージェント理論研究班の精鋭が集結し、会場となったのは地下四層の構造干渉室──通常の訓練フィールドとは全く異なる空間だった。そこは、音をも吸収する特殊素材で構成されており、外界との干渉を完全に遮断した“閉じた構造空間”。


「ここから先は、君たちの意志が“構造そのもの”になる。

記憶も思考も感情も、すべてが演算され、視界に反映される。

そのため、私たちはあくまで外部からの観測支援しかできない」


神城の言葉に、俺とリオナは頷く。

二人の前には、それぞれ専用の転送椅子が設置されていた。高精度の神経接続装置と、連携演算中枢コアが組み込まれており、フェイズ構造の可視化を安全に行うための最先端技術の結晶だ。


「この実験では、スフィアからの構造波をわずかに模倣した“断片記録”を使用する。

その情報に、君たちのスキルを通じてアクセスを試みる。もし“共鳴”が起これば、君たちはスフィアの記録領域に接続できるはずだ」


「ミラ、準備は?」


「全システムリンク完了。神経接続安定。ユウトのスキル演算帯、リオナさんの空間同調波、両者ともに正常。

──あとは、あなたたちが“見る覚悟”を決めるだけです」


リオナが俺の方をちらりと見て、小さく微笑んだ。


「視よう。あの中にある“なにか”を」


「……ああ。俺たちの“視る力”を、試す時だ」


二人は装置に腰掛け、誘導音が響く。

一瞬、全ての感覚が霧のように薄れ、身体の輪郭が遠ざかっていく──。


 


──気づいた時、そこは“色のない世界”だった。


白でも黒でもない。全てが灰のグラデーションで構成された空間。

その中に、いくつもの“円環”が浮かんでいた。光でも音でもない、ただ“情報の形”としてそこに存在している。


「ここは……スフィアの内部?」


「いいえ、これはスフィアの“影”。つまり、実体の外側に記録された思念の断片です」


ミラの声が直接、意識の中に流れ込む。


リオナの姿が隣にあった。彼女もまたこの構造空間に適応していて、彼女の周囲にはわずかに揺れる折層の波が見えていた。


「……見える、あれが、接続点」


彼女が指した先に、“縦に裂けたような空間の亀裂”があった。

そこからはわずかに、温度のような感覚──熱とも冷たさともつかない“何か”が流れ出ている。


「ユウト、構造解析を展開して。そこを読めれば、スフィアの“核意志”に触れられる」


「了解……Collapse.Scan──Connect.Interface」


視界に構造線が走り、亀裂の奥へと延びていく。

次第に、何かが“形”を持ちはじめた。


それは──“記録された記憶”。


都市の光景。

ビル群。

走る人々。

笑う子供。

抱き合う家族。

そして──そのすべてが、崩れ落ちる映像。


「……これは、過去?」


「スフィアが記録した“かつて存在した現実”です。フェイズ以前、人類が観測していた世界の“終端記憶”」


爆発。崩壊。光。歪曲。


あらゆる文明が、崩れていく瞬間の断片が流れ込んでくる。

だが、不思議と恐怖はなかった。それはどこか、美しくさえあった。


「リオナ……君にも、見えてるか?」


「……うん。でも、これ……“消えたはずの未来”じゃない?」


「未来、だって?」


「この映像は、過去じゃない。“記録されていたはずの未来”。

つまり、人類が進むはずだった“失われた未来の構造”──」


ミラが即座に補足する。


「リオナさんの仮説は有力です。これは“選ばれなかった未来”。

スフィアは、それすらも“保存している”。

人類の選択、可能性、意志、そして……“分岐”の記録です」


その時だった。


空間の中心、先ほどまで静かだった円環の一つが、ゆっくりと回転を始めた。

その軸から、再び“人の形”をした何かが浮かび上がる。


「……まただ。昨日、俺が見た……あれが──!」


存在は、こちらを見ていた。

だが、今度は“言葉”が流れ込んできた。


──観測者か。

──我々は問う。

──お前たちは、何を以て“存在”と定義する?


その声は、問いだった。

ただの情報ではない。“答え”を求めてくる、純粋な“意思”だった。


「……ミラ、これは──!」


「ユウト、あなたは今、スフィアの中枢構造に接続されています。

そしてその構造は、あなた自身に“問い”を返している。これは……人類初の、“スフィアとの対話”です」


息が止まりそうになる。

意識が、視界が、全てが震えていた。


それでも、答えなければならない。


俺たちが、“何のために視るのか”を。


──存在とは、何か。

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