第4話「貴族の養女として」

灰色の空に、朝の光が滲んでいた。


冬の始まりを告げるような冷たい風が、孤児院の中庭をすり抜ける。


古びた鐘楼の上では、錆びた風見鶏がぎこちなく回っていた。


湿った土の匂いと、薪の煙。


遠くからは町の市場の声と馬車の車輪音が微かに届く。


だが、その静けさの中に、シオンは不穏な気配を感じていた。


(これは……“視線”)


彼女は庭で木の枝を拾いながら、無造作に振り返る。


すると、門の向こうに停まる漆黒の馬車が目に入った。


従者風の男が、周囲を無言で見張っている。


そして、馬車の扉の前には、黒衣の紋章を携えた中年の男――


鋭い目つきに、沈着冷静な佇まい。


「……来たわね」


***


孤児院の応接室。


煎った薬草茶の香りが漂うなか、木製のテーブルを挟んで座る二人の人物。


一人は、シスター・ロゼ。


もう一人は、辺境貴族**カイン・アストレア子爵**だった。


「……この子を、養女に迎えたいと?」


「ええ。王都よりの命で、“資質ある子供”を各地より引き取って育てる計画が進行していましてな。特に――魔術的素養と知性を兼ね備えた存在を」


(やはり、選定が始まっている)


シオンは会話の流れに表情を変えず、黙って耳を傾ける。


「それで我が孤児院に白羽の矢が?」


「正確には、この子に、です。……失礼ながら、すでに幾つかの遊戯記録や筆記を拝見しています。“ただの子供”ではないと判断しました」


カインの視線が、シオンに向けられる。


それは単なる好奇ではない。“評価者”の眼だった。


「……その通りです。私は、ただの子供ではありません」


「ほう?」


「ですが、それを証明するのは――“契約”を結んでからにします」


一瞬の沈黙。


そして、カインが口の端をわずかに上げた。


「なるほど。……気に入りました」


***


馬車の揺れが、車輪のリズムを刻む。


クッションの柔らかな感触と、上質な香油の香りが空気を満たしていた。


「……本当に、来てよかったのか?」


斜向かいに座るカインが問う。


「条件は悪くなかった。保証金、教育権、将来の婿取りの自由裁量……それだけあれば、十分です」


「……言葉が子供のそれではないな」


「自覚してます。ですが、それが私です」


カインはしばらく黙っていたが、やがて低く笑った。


「“選ばせてやれ”と言われたが、これは私が“選ばれた”のかもしれんな」


「そのつもりでいました」


会話の間、シオンの目はずっと外を見ていた。


舗装のない道、風に揺れる草。


この先に、彼女の新たな“戦場”がある。


***


アストレア家の屋敷は、広い庭と重厚な石造りの建物が並ぶ古風な館だった。


だがその外観とは裏腹に、中には最先端の魔術研究装置と古文書が並ぶ一室が存在した。


「ここが、我が家の“静脈”だ」


カインが案内した部屋には、魔力伝導体アステレノ脈晶が天井を這っており、各机には演算機エリオン式魔導端末が配置されていた。


「これを使えば、魔力計測と簡易演算が可能だ。君にも自由に使わせよう」


「感謝します」


シオンは装置に指をかざす。


淡く光る魔力の流れが指先に集まり、脈晶がかすかに震えた。


(なるほど……魔力の流れを測定し、思念波長で動作する。演算速度は前世の“初期型戦導核”と同程度。悪くない)


「この世界……私でも、戦える」


声には出さず、ただ確信だけを強めていく。


***


その夜、シオンは新しい寝室の窓辺に座っていた。


屋根越しに星が瞬き、静寂が広がる。


「家族……という概念は、私にはなかった。だが、少なくとも今、私の居場所はここにある」


それは、一時の安息かもしれない。


けれど、確かな“拠点”だった。


「さて、次は――どう“この家”を、動かすか」


少女の眼差しは、すでに先を見ていた。


新たな盤面の上に、最初の駒が静かに置かれる音が、夜の静寂を破った。

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