A:大目にみてやる


 カノンがゼミ御用達の居酒屋の暖簾をくぐると、そこに〈クロガネ遣い〉こと比企田教授の姿はなかった。残っているのは、カノンの下僕ただ一人である。


 狗藤は黙々と、テーブル上の料理と食べていた。店員たちの白い目も気にせず、鶏の唐揚げや刺身の盛り合わせ、ジャーマンポテトにピザ風トーストといった品々が、胃袋の中に消えていく。


「おまえ、何やっとんねん」カノンは呆れ顔で吐き捨てる。

「あ、カノンさん、お帰り。だって、もったいないじゃない。この料理、食べなかったら、捨てられてしまうんだよ」


 だが、お腹をパンパンに膨らませており、既に限界がきているようだ。それでも食べてしまうのは、もちろん、貧乏性ゆえである。


「食べながらでかまへんから、何があったんか説明しろや」カノンは狗藤の前に腰を下ろした。

「それにしても、カノンさんが無事でよかったよ。さっきのきれいな人から、カノンさんは死んだって、嘘を吹き込まれていたんだよ」


 それはあながち嘘ではないのだが、狗藤に言っても仕方がない。カノンは大き目の唐揚げを摘むと、乱暴に狗藤の口に突っ込んだ。

「そんなことはどうでもええ。下僕は訊かれたことだけ答えろや。このドアホっ」


 一旦口に入れた食べ物を吐き出す習慣は、狗藤にはない。丈夫な歯で唐揚げを噛み砕き、急いで咀嚼そしゃくしてから、説明を開始した。


 カノンは黙って、耳を傾けていた。主語はあっちこっちにとぶし、「ドキっ」とか「ジャジャーン」という擬音が多くて、わかりにくいことおびただしい。


 それでも、比企田教授の誘いをはねつけて【弁天鍵】を逆手にとった狗藤の一手が、敵のシステムに致命的打撃を与えたことだけは把握できた。120億円を奪い取った狗藤の一手が、カノンが窮地を逃れた時刻と一致することは言うまでもない。


 聞けば、教授は青い顔をして飛び出して行ったという。おそらく今頃は、発生したトラブルの収拾に走り回っていることだろう。


 狗藤は再び料理にパクつき始めた。そんな彼を見やりながら、カノンは思う。こいつ、自分が仕出かしたことの大きさに、少しも気付いていないんだろうな、と。


「おまえにしては珍しく上出来やな。とりあえず、礼だけは言っとこか」

 腕組みをしてそう言うと、狗藤は不満そうに口を尖らせた。

「あのさ、カノンさん。お礼を言うのに、どうして、そんなに偉そうなのさ。にっこり笑って、“ありがとう”って言えばいいじゃない」


 まるで、子供のような、ふくれっ面で言いつのる。いつものカノンなら、即座に罵倒して、回し蹴りが飛び出すところだ。しかし、流石に今日だけは、大目にみてやることにしたらしい。

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