ずっと隣にいた君へ
猫森ぽろん
【前編】
「ねぇ日向、今日の小テスト、範囲ここであってるよね?」
「ん?……ああ、うん。合ってる合ってる」
隣の席から、教科書を指差しながら屈託なく話しかけてくる声。その声の主、宮田灯(みやた あかり)に視線を向けた瞬間、どくん、と心臓が妙な音を立てた。慌てて視線を自分の手元に戻す。シャーペンの芯を無意味にカチカチと出し入れしてしまった。
「……日向? 聞いてる?」
「あ、ご、ごめん! 聞いてるよ。大丈夫、範囲そこであってるって」
「そっか、よかったー。昨日の夜、必死でノートまとめたんだから、間違ってたら泣いちゃうとこだったよ」
ケラケラと太陽みたいに笑う灯。その笑顔が眩しくて、また少し胸が痛む。昔からずっとそうだ。灯は明るくて、誰にでも優しくて、クラスの人気者。少し内気な私とは正反対。それでも、私たちは物心ついた頃からの、一番の親友だった。
家が隣同士で、小学校も中学校もずっと一緒。高校だって、示し合わせたわけでもないのに同じクラスになった。嬉しいこと、悲しいこと、くだらないこと、何でも一番に話すのは灯だったし、灯もきっとそうだったと思う。好みも性格も違うのに、一緒にいると不思議なくらい居心地が良くて、黙っていても気まずくならない。灯が隣にいることが、私にとっては当たり前の日常だった。
──そう、当たり前、だったはずなのに。
いつからだろう。灯の笑顔を眩しいと感じるようになったのは。友達として普通にしていたはずの、肩が触れ合うくらいの距離に、妙にドキドキするようになったのは。ふとした瞬間に見せる真剣な横顔や、楽しそうに話す声、コロコロ変わる表情……その一つ一つが、やけに鮮明に、私の心に焼き付くようになったのは。
決定打は、多分、先月の体育祭だ。クラス対抗リレーのアンカーだった灯が、一位でゴールテープを切った瞬間。汗と土にまみれながら、それでも満面の笑みで応援席に手を振る姿を見た時、私は気づいてしまったのだ。
(あ……私、灯のこと、好きなんだ)
それは、友情とは明らかに違う種類の感情。灯に触れたい。もっと近くにいたい。他の誰にも向けない特別な笑顔を、私だけに見せてほしい。そんな、身勝手で、どうしようもない独占欲。
自覚した途端、血の気が引いた。だって、灯は私の、たった一人の「親友」なのだ。この気持ちを知られたら? もし、拒絶されたら? きっと、今の関係は壊れてしまう。灯が隣にいない日常なんて、想像しただけで息が詰まりそうだ。
(ダメだ、絶対に言えない。バレちゃいけない)
そう固く決意した。この気持ちは心の奥底に閉じ込めて、今まで通り、「親友」として灯の隣にいよう、と。
それなのに。
「日向、これ、美味しいよ。半分こしよ?」
休み時間に、灯が購買で買ってきたメロンパンを差し出してくる。いつもなら「ありがとー」と普通に受け取れたはずなのに。今日は、灯の指先がパンに触れているだけで、変に意識してしまう。
「……あ、ううん、私、今日お弁当持ってきたから、大丈夫」
「えー、遠慮しないでよー。このメロンパン、今日限定のやつなんだって!」
「ほ、ほんとに大丈夫だから! 灯が食べなよ」
自分でも驚くくらい、ぎこちない断り方になってしまった。灯は少し不思議そうな顔をしたが、「そっか、じゃあ遠慮なく」とすぐにパンにかぶりついた。美味しそうに頬張る姿を見ていると、また胸がきゅっとなる。
(……今の、不自然じゃなかったかな) (変に思われてないかな)
内心は冷や汗でいっぱいだった。平静を装うのに必死で、灯との会話もどこか上の空になってしまう。そんな私を、灯はやっぱり不思議そうに見ていた。
「……日向さ、今日なんか変じゃない?」
授業が終わって、帰り支度をしていた時だった。机に頬杖をついた灯が、じっと私の顔を見て言った。
「えっ」
心臓が跳ねる。まさか、気づかれた?
「だって、なんかボーッとしてるし、さっきから目ぇ合わないし。……なんか悩み事?」
心配そうに眉を寄せる灯。その真っ直ぐな視線から、私は思わず目を逸らしてしまった。
「な、なんでもないよ! ちょっと寝不足なだけだって」
「ほんとに?」
「ほんとほんと! だから、気にしないで」
リュックを背負い、私は逃げるように立ち上がった。
「ごめん、今日、急いでるから先に帰るね!」
「え、あ、うん……わかった。また明日ね」
少し戸惑ったような灯の声が背中に刺さる。教室を飛び出し、早足で廊下を歩きながら、大きく息を吐いた。
(……最悪だ)
自分で決めたはずなのに。普通に接するって決めたはずなのに。全然、上手くできない。 灯の優しさが、今は少しだけ、苦しい。
この「好き」は、絶対に秘密にしなきゃいけないのに。 明日、ちゃんと「いつも通り」の私で、灯の隣にいられるだろうか。
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