私の使い魔(ペンギン)が、どうもお花屋さんを好きすぎる件

猫森ぽろん

【前編】

「いでよ、我が頼もしき力! きらめきの矢!」


 気合を入れて呪文を唱えたものの、私の指先から放たれたのは、線香花火みたいにちろちろと頼りない光の粒が数個だけ。それもすぐにプスンと消えてしまった。はぁ……。何度やってもこれだ。


 私の名前はユキ。しがない半人前魔法使い。先祖代々続く魔法使いの家系らしいけど、どうも私はその才能をほとんど受け継がなかったみたい。箒で空を飛べば低空飛行しかできないし、魔法薬を作れば大抵、変な色の煙が出るだけ。それでも、いつかは立派な魔法使いになりたい、なんて夢だけは持っているのだから、我ながら諦めが悪い。


 そんな私が、人生で一度だけ、ちょっとだけ「すごい」魔法を成功させたことがある。それは、使い魔の召喚。古文書に書かれた複雑な魔法陣を、見よう見まねで描いて、ありったけの魔力を込めてみたのだ。


「いでよ、悠久の時を経て我が呼び声に応えし、古の盟友よ!」


 儀式は成功した……はずだった。魔法陣が眩い光を放ち、風が吹き荒れ、部屋中に荘厳な雰囲気が満ちた……までは良かった。けれど、光と風が収まった魔法陣の真ん中にいたのは……。


「クワッ?」


 体長50センチほどの、ペンギンだった。


 黒と白のツートンカラー。短い足。よちよち歩き。どう見ても、水族館とかで見る、普通のペンギンだ。いや、普通じゃないかもしれない。だって、そのペンギンは、ふんぞり返って短い翼(?)を腰に当て、妙に偉そうに私を見上げてきたのだから。


『我こそは、万年氷雪を統べる偉大なる氷の精霊、ペンギン・フォン・アイスバーグ三世なり! 契約者よ、ひれ伏すがよい!』


 ……みたいなことを、威厳たっぷりの「クワァ!」「グワッ!」という鳴き声と、妙に表現力豊かなジェスチャーで伝えてきた。もちろん、魔法的なテレパシーなんて便利なものは一切ない。私の、必死の想像力による翻訳(?)だ。


 こうして、私の初めての使い魔は、空も飛べず魔法も使えず、ただ尊大で食いしん坊なペンギン――自称「ペン様」――になったのだった。正直、がっかりした。すごくがっかりした。でも、召喚しちゃったものは仕方ない。私たちは、奇妙な同居生活を始めることになった。


 ペン様は、私が用意したタライの氷水風呂がお気に入りで、日中は大抵そこでプカプカ浮いているか、部屋の中をよちよちとパトロールしている。そして、私がため息をつきながら魔法の練習をしているのを、呆れたような半目で見ているのだ。失礼なやつめ。


 そんなある日の午後。私は窓から、隣の家の庭をぼんやりと眺めていた。隣は、小さな可愛らしいお花屋さん。店主のハルカさんは、いつも柔らかな笑顔で花の手入れをしている。ふわりとしたワンピースがよく似合う、優しい人。


 春の日差しみたいに温かいハルカさんのことが、私は……その、好き、なのだ。でも、超絶奥手で人見知りな私に、気軽に「こんにちは」なんて声をかける勇気はない。店先に並んだ色とりどりの花の後ろから、こっそり彼女の姿を盗み見るのが精一杯だった。


「はぁ……今日も可愛い……」


 ぽつりと呟いた私の隣に、いつの間にかペン様が来ていた。短い首をぐいっと伸ばして、私が見ているのと同じ方向――ハルカさんのいる庭を、じーっと見つめている。


「クワ?」


『なんだ、あの人間か。毎日見ているな』とでも言いたげな顔。


「べ、別に! なんでもないよ!」


 慌てて窓から離れる。ペン様にまで、私の淡い恋心を知られるのは恥ずかしい。


 だがしかし、ペン様は何かを察したらしい。その黒曜石のようなつぶらな瞳をキラリと光らせると、私の足元にまとわりつき、「グワッグワッ!」と何かを熱心に訴え始めた。


『ふむ、契約者の悩み、このペン様が解決してやろう! あの花屋の娘を、お前のものにしてやるのだ!』


 ……多分、そんな感じのことを言っている。いや、絶対言ってる。その自信満々な翼の振り方で分かる。


「ちょ、ちょっとペン様! 余計なことしないでよ!」


 私の制止も聞かず、ペン様は短い足で猛ダッシュ! 窓から庭へ飛び出すと、一直線にお隣の花屋さんへと向かっていった。ああ、嫌な予感しかしない……!


 慌てて後を追いかけると、ペン様は、私が昨日スーパーで買って冷蔵庫に入れておいたアジの開きを、なぜか咥えていた。そして、ハルカさんが愛情込めて育てているパンジーの花壇の前で、得意げにそのアジを掲げている!


「クワァーッ!」(受け取るがよい!)


「え? えっ? ペンギン……さん?」


 突然の珍客(と魚)に、ハルカさんは目を丸くしている。まずい! すごくまずい!


「ハ、ハルカさん! すみません! うちの……ペットが!」 「あら、ユキちゃんのところの? 可愛いペンギンさんね」


 私がペン様を捕まえようと駆け寄ると、ハルカさんはニコリと微笑んだ。ああ、女神……! でも、ペン様は私の手をすり抜け、あろうことか、咥えていたアジをパンジーの根元にグイグイと埋め始めた!


「ペン様、やめてーっ!」


「クワッ!」(栄養を与えるのだ!)


「あらあら、土を掘って……お魚さん、隠してるのかしら?」


 ハルカさんは困ったように笑っている。私はもう、顔から火が出そうだった。ペン様を引っぺがし、泥だらけのアジを回収し、ひたすら平謝りする。


「本当にすみません! この子、ちょっとおバカで……!」


「ううん、大丈夫よ。びっくりしたけど、元気な子ね。お名前は?」


「ぺ、ペン様……って、自分で言ってます……」


「ペン様? ふふ、可愛い」


 ハルカさんは、ペン様の頭をそっと撫でてくれた。ペン様は、なんだか満足げに胸を張っている。違う、そうじゃないんだ……!


 この一件以来、ペン様の「お節介大作戦」はエスカレートした。


 ハルカさん宛にラブレターを書けと、そこら辺の葉っぱを咥えて持ってきたり。(もちろん丁重にお断りした) 私がハルカさんを見ていると、背後から「グワッ!」と大声で鳴いてけしかけようとしたり。(心臓に悪いからやめてほしい) しまいには、ハルカさんの店の前に落ちていた綺麗なリボンを拾ってきて、私の頭に無理やり結びつけようとしたり。(リボンはちゃんとハルカさんに返しました)


 その度に私は、赤面しながらハルカさんの元へ謝罪と回収に赴く羽目になった。おかげで、以前よりはハルカさんと話す機会が増えた……けれど、内容はほとんどペン様の奇行に関するお詫びばかりだ。これじゃあ、ただの「変なペンギンを飼ってる、挙動不審な隣人」だ。恋が始まる気配なんて、微塵もない。


「はぁ……ペン様のせいで、私の評判ダダ下がりだよ……」


 ある日の夕暮れ時。いつものようにタライでくつろぐペン様に愚痴をこぼす。ペン様は、私の言葉が分かるのか分からないのか、ぷかーっと水面に浮かんだまま、小さな声で「くぷぅ」と鳴いただけだった。


 その時、玄関のチャイムが鳴った。出てみると、そこにはエプロン姿のハルカさんが立っていた。手には、可愛らしいラッピングの小箱を持っている。


「ユキちゃん、こんばんは。この間のお詫びってわけじゃないんだけど……クッキー、焼きすぎちゃったから、よかったらどうぞ」


「えっ!? わ、わざわざすみません!」


「ううん。ペン様にもよろしくね」


 ハルカさんは、また春みたいにふわりと笑って、小箱を私に手渡した。箱の中には、花の形をした美味しそうなクッキーがたくさん入っていた。


「あ、あの! ハルカさん!」


 何かお礼を言わなきゃ。いつもみたいに、ただお礼を言って終わるんじゃなくて……!


「クワァァァーーーッ!!」


 私の決意を打ち砕くように、背後からペン様のけたたましい鳴き声が響き渡った。振り返ると、ペン様がタライから飛び出し、短い翼をバタつかせながら、なぜか洗濯カゴから引っ張り出してきた私のレース付き靴下を振り回している!


「ペン様ーーっ! 何やってるのーーっ!?」


 私は絶叫し、ハルカさんは目をぱちくりさせ、ペン様は得意げに靴下(しかも片方)を掲げて「クワッ!」と勝利宣言(?)をしている。


 ……私の恋路は、前途多難すぎる。

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