第六話『空き家の物音と、予期せぬ接近遭遇』

 翌日の教室は、昨日解決した(はずの)公園のブランコの噂と、まだ未解決の怪奇現象の話で、朝から少しざわついていた。特に、クラスのお調子者である佐々木健太くんが、やけに興奮して情報を拡散している。


「おい、聞いたかよ! 昨日の夕方、公園のブランコ、ピタッと止まったらしいぜ!」


「え、マジで?」


「マジマジ! 昨日までずっと揺れてたのに! やっぱアレ、本物だったんじゃねーの!?」


 その「本物」をなんとかした(?)当事者の一人である私は、知らんぷりを決め込む。隣の席では、ハルちゃんが「ふふん」と得意げな顔をしているのが視界の端に入った。お願いだから、何も喋らないでほしい。


「つーかさー」


 健太くんが、ニヤニヤしながら私とハルちゃんを交互に見た。


「水野と天野って、最近やけに仲良いよなー。昨日もなんか二人でコソコソ話してただろ? もしかして、お前らも幽霊探しでもしてんの?」


 ギクッ。鋭いところを突いてくる。


「ち、違うし! たまたま帰り道が一緒なだけ!」


  私が慌てて否定する横で、ハルちゃんが「そーそー! 女子には秘密の話もあるのーだ!」と、火に油を注ぐようなことを言ってのけた。健太くんは「へーえ、怪しいのー」とさらにニヤニヤしている。もうこの話題は終わりにしてほしい、と私は心の中で強く念じた。


 放課後、私たちは例の「港町ゴースト(未満)バスターズ」(名称は未だに断固不承認)の活動のため、新たなターゲット現場へと向かっていた。昨日ハルちゃんが宣言した通り、次の目標は「空き家から物音がする」という噂だ。


「空き家って、どの辺りにあるの?」


「港が見える坂の途中だって。ちょっと古い洋館みたいな家らしいよ」


 ハルちゃんが、例の自作調査ノートを確認しながら言う。そのノートには、いつの間にか昨日のブランコのナゴリちゃん(ハルちゃん画)のイラストと、「一件落着!」の文字が書き加えられていた。仕事が早い。


 坂道を上っていくと、目的の空き家が見えてきた。蔦が絡まり、庭の草木も伸び放題になった、確かに少し古い洋館風の建物だ。窓のカーテンは閉め切られ、人気のない静かな佇まいが、夕暮れ時の光と相まって少し不気味な雰囲気を醸し出している。


「……本当に、ここから物音がするのかな」


 思わず、私が呟くと、隣のハルちゃんは「大丈夫だって! もし怖いナゴリちゃんだったら、私がやっつけるから!」と、根拠のない自信と共に私の肩を叩いた。やっつけるって、どうやって……。


 私たちは、とりあえず空き家の周りをぐるりと調べてみることにした。高い塀に囲まれているが、幸い、庭の門は錆びついて半開きになっている。


「ちょっとだけ、お邪魔しますよーっと」


 ハルちゃんが言いながら、軋む門を押し開け、荒れた庭へと足を踏み入れた。私も恐る恐る後に続く。庭には枯葉が積もり、踏むたびにカサカサと乾いた音がした。


 家の中から、物音が聞こえるかどうか耳を澄ます。……聞こえる。確かに、時折「カタカタ」「コツン」というような、小さな、不規則な音が家の中から響いてくる気がする。


「聞こえるね……」


「うん。何の音だろ?」


 私は目を凝らして、空き家全体に意識を向けた。家全体が、古い記憶のナゴリにぼんやりと覆われているのが分かる。誰かが長く住んでいた家の、生活の痕跡のようなものだ。けれど、ブランコの時のようにはっきりとした形は見えない。強い意志を持ったナゴリがいる、という感じではないけれど……。


「強いナゴリがいる感じじゃないけど……何か、いるのは確かみたい。物音の原因かは分からないけど」


「そっか。じゃあ、中に入ってみる?」


「いや、それはさすがに不法侵入……」


 どうしたものか、と二人で顔を見合わせていると、ハルちゃんが庭の隅にある小さな物置小屋に気づいた。木造の、ペンキが剥げかけた古い小屋だ。扉が少しだけ開いている。


「あっちの小屋、怪しくない?」


「え?」


「だって、物音って言っても、家の中からとは限らないじゃん?」


 そう言うと、ハルちゃんは「よし、ちょっと失礼して……」と呟きながら、物置小屋の扉に手をかけ、ゆっくりと開けた。中は薄暗く、古い園芸用品か何かが乱雑に置かれているようだ。


 その瞬間。 バタバタバタッ!! けたたましい羽音と共に、物置小屋の中から黒い影が猛スピードで飛び出してきた!




「「わあっ!!」」


 突然の出来事に、私たちは揃って悲鳴を上げた。黒い影は私たちの頭上をかすめ、空へと飛び去っていく。……カラスだ。どうやら、カラスが物置小屋に迷い込み、中で出られずにもがいていたらしい。あの物音は、このカラスが出していた音だったのだ。


「なーんだ、カラスかー。びっくりしたー!」


 原因が分かり、ハルちゃんが拍子抜けしたように笑い出す。私も、どっと力が抜けて、つられて笑ってしまった。


「あはは、本当、びっくりしたね」


「ねー! ま、こんなこともあるよね!」


 安堵したその瞬間、私は足元の庭石に気づかず、ぐらりと体勢を崩した。


「あっ……!」


「おっと、危ない!」


 倒れそうになった私を、隣にいたハルちゃんが素早く反応し、ぐっと肩を抱き寄せて支えてくれた。ハルちゃんの腕が、私の体にしっかりと回されている。まただ。予期せぬ、近い距離。ハルちゃんのシャンプーの匂いがふわりと香って、心臓がドキリと音を立てた。


「もう、雫ちゃん、ドジっ子だねー」


 ハルちゃんが、笑いながら私の顔を覗き込む。その笑顔が、いつもよりずっと近くにある。


「……ド、ドジっ子じゃない!」


 私は慌ててハルちゃんの腕の中から抜け出し、顔が熱くなるのを感じながら反論した。声が少し上ずってしまったのが自分でも分かって、余計に恥ずかしくなる。ハルちゃんは、そんな私の様子を、少し不思議そうに、でもやっぱり楽しそうに見ていた。


 結局、空き家の物音の正体はカラスだった(ということにしておこう。まだ少しだけ、あの家全体を覆うナゴリの気配は残っている気がするけれど、それをハルちゃんに言って心配させることもないだろう)。


「今日の調査はこれで終わりかな? 案外あっけなかったね!」


 ハルちゃんは、もうすっかりいつもの調子に戻っている。


「まあ、たまにはこういうこともあるんじゃない?」


 私たちは、夕暮れの空き家を後にした。帰り道、ハルちゃんが例の調査ノートを取り出して書き込みながら、「次は、いよいよ倉庫街の猫の声だね! ニャンゴロ先生にまた会えるかな?」と次の目標を掲げる。


 私はやっぱり、小さくため息をついた。けれど、その隣を歩くハルちゃんの、少しだけ赤くなっているような耳を盗み見て、私の心臓もまた、小さく音を立てていることには気づかないふりをした。

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