第四話『見えちゃう私の、ちょっと特別なヒミツ』

「し、雫ちゃん……もしかして、猫とお話しできるの!?」


 キラキラ、という効果音がつきそうな満面の笑みで、ハルちゃんが私の顔を覗き込んでくる。その瞳には、「すごい!」「魔法みたい!」という感情がありありと浮かんでいた。違う、そうじゃない。断じて違う。目の前にいる(いた)のは、ただのふてぶてしいナゴリ猫であって、私がメルヘンチックな動物対話能力者になったわけではないのだ。


「ち、違う! そうじゃなくて! あの猫は……えっと、その……」


 しどろもどろになる私を尻目に、足元のニャンゴロ先生(ハルちゃんには普通の猫にしか見えていないはず)は、ふん、と鼻を鳴らした気配がした。そして、頭の中に直接、あの尊大な声が響く。


『ふん、小娘が面倒な奴に捕まったな。ワ輩は忙しいんでな、あとは勝手にせい』


 言うが早いか、ニャンゴロ先生の姿はふっと掻き消えた。本当に、ただの気まぐれで現れただけらしい。


「あ! 猫ちゃん、行っちゃった……」


  残念そうなハルちゃんに、私はどう説明したものかと頭を抱えた。これはもう、話すしかないのかもしれない。私の、このちょっと厄介で、秘密にしてきた力のことを。


 私たちは、倉庫街を抜け、帰り道にある小さな公園のベンチに並んで腰掛けた。夕暮れの公園は、ブランコがキィ、と風に揺れる音と、遠くで響く船の汽笛の音だけが聞こえる、静かな場所だった。


「あのね、ハルちゃん」


  意を決して、私は口を開いた。


「私が猫と話せるわけじゃないんだ。ただ……他の人には見えないものが、見えるだけで」 「見えないもの?」


  ハルちゃんが、不思議そうに小首を傾げる。




「古い物とか、場所とかに残ってる……想いみたいな、記憶みたいな……そういうのが、見えるの。さっきの猫も、普通の猫じゃなくて、そういう『ナゴリ』の一種なんだと思う」


 自分の口から説明していても、なんだか現実味がない話だ。変に思われるだろうか。気味悪がられるだろうか。ちらりと隣を見ると、ハルちゃんは目をぱちくりさせて、黙って私の話を聞いていた。


「例えば……ほら、あそこの古いベンチ」


  私は公園の隅にある、ペンキの剥げた木製のベンチを指さした。


「あのベンチには、昔ここで待ち合わせしてた人たちの、ドキドキした気持ちとか、待ちくたびれた時のちょっとした苛立ちとか……そういうのが、淡い色のモヤみたいになって見えるんだ」


「へえ……」


「だから、昨日のハルちゃんのハンカチも、美術室の石膏像も……強い想いが残ってるものは、特にハッキリ見えたり、感じたりする」


 そこまで話して、私は俯いた。さあ、どうだ。引いただろうか。気持ち悪いと思っただろうか。沈黙が、やけに長く感じられる。


 不意に、ハルちゃんが「ふふっ」と笑い出した。 「え……?」 顔を上げると、彼女は満面の笑みで私を見ていた。


「な、なに?」


「いや、ごめん! なんか、すごいね! 雫ちゃん、超能力者じゃん!」


「ちょ、超能力って……そんな大袈裟なものじゃ……」


「だって、そうでしょ! 他の人に見えないものが見えるんでしょ? それって超能力だよ! すごい! かっこいい!」


 ハルちゃんの反応は、私の予想の斜め上を行っていた。引くでもなく、怖がるでもなく、ただただ「すごい!」と目を輝かせている。


「じゃあさ、じゃあさ! 私が昨日ハンカチ落とした時、雫ちゃん変な顔してたのも、石膏像見て固まってたのも、ナゴリ? が見えてたからなの?」


「う、うん。まあ……」


「やっぱり! うわー! 私、全然気づかなかった! 面白い! 面白すぎるよ雫ちゃん!」


 次の瞬間、興奮が頂点に達したらしいハルちゃんが、勢いよく私の両手を掴んだ。


「わっ!?」


 突然の接触に、心臓が跳ねる。思ったよりもずっと、ハルちゃんの手は大きくて、しっかりしていた。陸上部で鍛えられた、少し硬くて、でも温かい手のひらの感触が、じかに伝わってくる。すぐ目の前には、キラキラしたハルちゃんの瞳。夕焼けの光を反射して、蜂蜜みたいな色をしている。


「ねえ、もっと詳しく教えてよ! どんな風に見えるの? 色とか形とかあるの? 私のナゴリってどんな感じだった!?」


 矢継ぎ早に質問を浴びせられながらも、私の意識は掴まれた両手と、すぐ近くにあるハルちゃんの顔に集中してしまっていた。顔が、熱い。絶対に赤くなっている。なんだこれ、すごく、恥ずかしい……。


「ちょ、ちょっと、ハルちゃん……ち、近いって……あと、手……」


  かろうじてそれだけ言うと、ハルちゃんははっと我に返ったように、「あ!」と声を上げた。


「ご、ごめん! つい興奮しちゃって……!」


 慌ててパッと手を離す。その瞬間、少しだけ名残惜しいような気がした自分に、内心でさらに動揺する。見ると、ハルちゃんもなんだか顔が赤い気がする。


「……い、いや、別に……」


 気まずいような、でも心臓がドキドキするような、変な沈黙が流れる。風が吹いて、公園の木の葉がさらさらと音を立てた。


 その沈黙を破ったのは、やっぱりハルちゃんだった。


「よし、決めた!」


  バン!とベンチを叩いて立ち上がる。


「雫ちゃんのその力、面白そうだから私も手伝う!」


「へ!?」


「だって、街の変な噂も、雫ちゃんの力があれば解決できるかもしれないじゃん! 探偵みたいでワクワクするし!」


 予想外の展開に、私は目を白黒させる。


「いやいやいや! 別に手伝わなくていいし! ていうか、ナゴリが見えるだけで、別に解決できるとかじゃ……それに、さっきの猫も言ってたけど、危ないかもしれないし!」


 私の必死の抵抗も、太陽の前では無力だった。


「大丈夫だって! 私、体力には自信あるし! 何かあったら雫ちゃんのこと守るからさ!」


  そう言って、ハルちゃんはニカッと笑った。


「ね、一緒にやろ! 秘密基地みたいでワクワクしない?」


 その有無を言わさぬ笑顔と、「守る」という言葉に、私の反論はあっけなく封じ込められてしまった。こうして、私の意思とはあまり関係なく、港町を騒がす(かもしれない)小さな異変に、私たちは首を突っ込むことになったのだった。


 隣で「まずは作戦会議だね!」と意気込んでいるハルちゃんを見ながら、私はまたしても、これから始まるであろう騒がしい日々を思って、深いため息をつくしかなかった。でも、そのため息は、以前のものよりほんの少しだけ、軽い気がした。

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