幼少期
小学校に入るまでは、
人見知りがひどく他の子どもたちと遊ぶことがなかなかできなかった。
小学生になってからは少しずつ人見知りはマシになっていったが、
それでも友達を作るのは得意ではなかった。
両親は共働きだったため私は学童保育に通うことになった。
そこでは毎日のように一緒に遊ぶ友達ができた。
彼の名前はHくん。特別支援学級に通っている子だった。
大人になった今振り返れば、
彼はおそらくADHD【注意欠陥・多動性障害】の症状があったのだろう。
授業中も落ち着きがなく、教室を抜け出しては校内を走り回り、
好きなように遊んでいた。
優しい養護教諭の先生がいつもそばについていた。
当時の私はそんな彼がとても羨ましかった。
「なぜ自分にはああいう自由がないのだろう」と。
私も授業中にじっとしていられないことが多く、
体がソワソワして落ち着かなくなる。
けれど、椅子に座っていられないほどではなかったため、
先生や母からは「我慢しなさい」と言われた。
私は手元にある鉛筆やコンパスの針で、
自分の手や足をこっそり刺しながらそのソワソワを紛らわせていた。
そうやって必死に「普通」を装っていたのかもしれない。
小学2〜3年生になると、
学校の勉強についていくのがどんどん難しくなった。
両親は心配して塾に通わせてくれたり、家庭教師をつけてくれたりした。
それでも勉強に集中できず、成績はなかなか伸びなかった。
今振り返れば「ついていけない」ことに対する不安や劣等感を、
私はこの頃からずっと抱えていたのだと思う。
けれど、その正体が「知的障害」という名前で説明されることになるとは、当時の私は知る由もなかった。
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