第10話 USB
誰もいないフロア。蛍光灯の一部だけが点いている。
尾崎は自席に戻り、ラップトップを開いた。
ポケットから取り出したのは、あの焦げたUSB。
煤けて黒くなった外装をじっと見つめる。
まるで、命のかけらのように。
「……頼む。残っててくれよ」
緊張に息を詰めながら、USBポートへ差し込む。
少しの沈黙の後――ファイルが読み込まれた。
尾崎は無言でその画面を睨んだ。
「MOV_0415」
ただそれだけのファイル名が、ポツンとそこにあった。
再生ボタンをクリックする。
映像が始まる。
そこに映っていたのは――
7年前。屋外。雪の降る夜。
カメラは石岡の胸元からのアングルで揺れていた。
ビルの裏手。監視の目が届かないはずの場所。
だが、映像の中で、男が誰かと接触していた。
「……金はどこだ」
「海外口座に送った。公安の予算からだ」
尾崎の眉がぴくりと動く。
映像の男が、コートのポケットから紙袋を取り出した。
「証拠は処分した。これで終わりだ」
「本当に……奴は死んだのか?」
「死んだよ。胸に撃たれた。カメラを探したが、見つからなかった」
尾崎は息を呑む。
男が振り向く。その顔が――
宮島の部下、公安所属の若い職員だった。
「くそっ、やっぱり宮島が操ってたのか。そして、このUSBは旋が隠したんじゃない。宮島が隠した…」
尾崎がひとつ、疑問を浮べる。
……あの時、あいつは言っていた。何かあったときのために、小型カメラをポケットに仕込んでいるって……
だが、あのカメラは事件後、現場から消えていた。
自分以外、その存在を知らないはずだったのに――
(なのに……俺は見た。あのとき――)
脳裏に浮かぶ、数日前の記憶。
詐欺事件の報告で公安を訪ねた際、ふと視界に入った“宮島尚志”の胸ポケット。
そこに差されていた一本のペン。黒く光沢を帯びた、あの特徴的な軸――
(あれは……あの時、石岡が使っていたのと、まったく同じ……しかもイニシャルが入っていた)
まさか、と思った。だが、今、映像を見て確信に変わった。
宮島は、あのカメラを知っている。いや、“回収した側”だ。
(でもなぜ……あのカメラの中身が、処分されずにこのUSBに?)
尾崎は映像のプロパティを確認する。
USB内の映像ファイルは、7年前に記録されたものだが、移された日付は、3年前――
「……コピーされた?」
再生日時の改ざんではない。これは明らかに“バックアップ”として残された記録だ。
尾崎はスマホを取り出し、一ノ瀬からのメールを開く。
先日依頼していた公安の経費リスト。その中の、ある一行に目が止まる。
「冬季・暖房用灯油 二缶購入」
公安の他部署では、どこも一缶しか要望していない中、宮島の部署だけが二缶。
しかもその時期、冷え込みは例年よりも緩く、追加の暖房は不要だったはず――
(……焼却だ。何かを焼くために、灯油が必要だった。しかも“確実に燃やす”ために、二缶。こんな春に買うのは流石にバレると思ったのか、今年1月に買った)
「だが……焼き切れてなかった。
熱を加えて壊れたように見せかけたが、データそのものは別の媒体に“移されていた”」
尾崎は立ち上がり、静かに語るように呟く。
「つまり――宮島は、部下に石岡を殺させたあと、自ら証拠品を手に入れた。
だが処分しきれなかった。“念のため”、中身を自分でコピーし、手元に保管した。
……まるで、保険のように」
尾崎は天井を見上げる。
「そうだ。あいつは自分の保身のため、いつか自分も消されるかもしれないと思ったんだ。
だからこそ、映像のデータを“焼却するふりをして”、自分で保管した」
なぜ? どうして、そんなものを?
「――“自分を守るための証拠”だったんだ」
もし、命令した上の人間に切り捨てられたら。
もし、公安内部で宮島自身が粛清されそうになったら――
この映像が、“証拠”として、自分の命を守ってくれる。
尾崎の指が、胸ポケットに触れる。
(だとしたら……あのペン型カメラを今も持ち歩いていたのは――)
「――“見せつけるため”だ」
石岡の証拠であり、彼を殺した象徴。
それを“あえて”持ち歩くことで、周囲に牽制していたのだ。
(つまり、あのカメラは、宮島にとって武器なんだ。
過去を隠すためじゃない。“誰にも俺には手を出せない”と知らしめるための……)
だが、尾崎は目の前のUSBを見つめながら、ゆっくりと息を吐いた。
「皮肉だな。守るつもりだった証拠が、こうして“自分を終わらせる証拠”になったんだから」
尾崎は最後に一言だけ呟いた。
「宮島――あんたは、自分の罪を過信しすぎた。
だが、“信じられる相棒を殺した報い”は、確かに、ここに残ってるよ」
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