第30話 父親の苦悩

 調合室で薬を調合しているとシメオン様が資料を持ってやって来た。

 彼は薬慣れしているのか、部屋に漂う薬の匂いは気にならないようだ。顔をしかめるのを見たことがない。

 私は彼に横並びにある椅子を勧め、自身も腰かけた。


「次の標的はこの人物だ」

「ロザレス児童福祉施設の件ですか? 潜入している子が情報を入手したのですか?」


 私は資料を受け取りながら彼を見る。


「ああ。ロキ君の友人の話を元に捜索させてみたところ、子供用の本棚で裏帳簿を見付けたそうだ。子供用の本の背表紙を帳簿に付けていたらしい」


 少年だか少女が、皆が寝静まった後に暗闇の中で捜索している姿を想像するだけで心臓が痛くなってくる。いつ人が起きてきてくるか分からない中での捜索は、緊張と恐ろしさがあったことだろう。


「その子は無事ですか?」

「ああ。問題ない。まだ潜入させている」

「そうですか。良かった。裏帳簿も手に入れたのですか?」

「いや。中身だけ確認させ、次の指令を出すまで戻しておくように指示している」

「やはり裏帳簿を表に出しても罪に問うのが難しいお相手だったのですか?」


 シメオン様は私が持つ資料を人差し指でとんと触れた。


「施設の保証人でもあり、裏帳簿に施設から貴族へ金を流している経緯が記載されていたのがこの人物、ヘラルド・バント子爵。父親がバルラガン伯爵で財政力が高く、王家に大きく貢献している貴族の一つだ」


 私は資料に目を通す。

 バルラガン伯爵の長男、ヘラルド・バント、二十七歳。未婚。弟が二人。三年前、父親が持つ爵位の一つ、バント子爵を譲り受ける。ただし子爵家の領地の管理運営は次男、三男に行わせ、当の本人は享楽に耽っている。彼は領地の金を持ち出して湯水を使うごとく費やしているが、伯爵からの支援により財政破綻には至っていない。


「……控えめに言ってクズですね」

「だな」


 呆れながら読み進める。

 病歴はなく現在も健康で、親兄弟、親戚も健在である。ただ本人は健康に気を遣っているのか、様々な薬草を取り寄せている。その薬草は――なるほど。


「バルラガン伯爵にはその昔、一度お会いしたことがありますが、こう、恰幅の良いお方でしたよね」


 私は両手を広げて示してみせる。柔らかな笑顔が素敵な方だった。


「そうだな。息子のヘラルドは細身だが」

「バルラガン伯爵は悪い方ではなかったように思えるのですが、伯爵から注意していただくことはできないのですか?」

「確かにご本人は悪い方ではないが、彼は子爵の三男で、バルラガン伯爵家に婿入りしたんだ。発言力が奥方より弱い。そして困ったことに奥方が長男を溺愛している」


 親が子を愛することは、子供の成長にとても素晴らしい効果をもたらすだろう。しかし過ぎたるは及ばざるが如しとも言う。いや。薬と同様、過剰摂取は本人に害をもたらすことになる。

 夫人は息子を溺愛するあまり、愚かな子に育ててしまったようだ。弟二人は兄を反面教師としたのか、あるいは自分が頑張れば親に認めてもらえると思ったのか。後者だとしたら切ない。


「バルラガン伯爵にも接触されたのですか?」

「ああ。彼も手を焼いていて廃嫡したい意向はあるようだが、事が表立ってバルラガンの名を汚すわけにもいかない。何より奥方が許さない。頭を痛めているようだ。ただし、見過ごすことのできない出来事が起これば、廃嫡することも可能だろうと考えている。したがって彼は我々との取引に応じる気はあるようだ」

「取引ですか?」


 足を組んだシメオン様は小さく頷く。


「ヘラルド・バントに事実を突きつけて、ロザレス児童福祉施設の保証人から下ろし、不正受給から得た賄賂の返金と罰金を科す。もちろん彼に支払える能力はないから、バルラガン伯爵家が支払うことになるだろう。伯爵としてはそれを廃嫡の理由にする」


 お金の問題だけではご夫人は納得しないだろう。しかし事を公にしないことと、爵位を盾にこれ以上悪事を働かせないために、爵位を取り上げることを指示されたとでも言えば渋々納得するかもしれない。


「けれど、当の本人は表に出せないと思っているから、口を割ることはないだろうと旦那様はお考えなのですよね。そしてその口を割らせるつもりでいらっしゃると」

「そうだ。しかし今回の彼は健康で、ダルトン氏の時のようにはいかないだろう。薬師の矜持が行方不明の今なら毒薬を作ることも厭わないか?」


 シメオン様は嫌味っぽく笑うが、挑発には乗らないでおく。


「ヘラルド・バント様ご本人にはお会いしたことがないのですが、どんな方ですか?」

「そうだな。次期当主として、これまでまともに教育を受けてきたのか怪しい。領地運営は弟たちに任せきりで、本人は今も親の援助を受けているから、扶養者意識が抜けていないのだろう。当然ながら、子爵や領主としての自覚と責任感をまるで持っていない印象を受けた。いわば、親に甘やかされ切って無能に育った二世というところだな。立ち回りは派手で、外見には気を遣っている人物だろうか。昔は黒髪だったから、付け毛か何かでもしているのだろう。直毛の金髪を後ろでひとまとめにしている」

「ああ。ウィッグでしょうか。貴族の間で流行みたいですものね」


 彼は流行に上手く乗る人物らしい。加えてカッコつけさんのようだ。


「見目麗しい方ですか? 女性を侍らせているような方ですか?」

「どういう意味だ? まさか手心加える気じゃないだろうな」


 腕まで組みだしたシメオン様が不愉快そうに片眉を上げる。


「どういう意味ですか? 私は薬師としてお伺いしているのですが」

「……女性を侍らせているかどうかはともかく、女性関係は派手のようだ」


 彼は私の問いに答えず、渋い表情で先の質問に答えた。


「なるほど。お話を聞くと、打たれ弱いくせに外面だけはご立派なお坊ちゃんみたいですね。そんな方なら少し突けばすぐ親に泣きつきそうです」


 治療方針は決まった。あれでいこう。


「そこの薬師。大丈夫か? 薬師とは思えないほど悪い顔をしているぞ」

「あら。それは失礼いたしました」


 私はこぼれていた笑みを隠すために資料で口元を隠した。

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