第五話:Echoes of Steel in the Forest
硬質な機械音が響き渡る無機質な訓練施設。四方を灰色の装甲壁に囲まれた広大な空間の中央に、一人の少女が静かに立っていた。
――ヴェルティリッシュ。
青みがかった長い髪を翻し、紫色の瞳が冷たく虚空を見据える。彼女の両腕――魔導機肢(アルカネイル)の金属部分が微かに軋む音を立てた。眼前には黒鉄で覆われた巨大な魔物が、ゆっくりと立ち上がる。人工的に作られた訓練用の魔物、その名も《鋼鉄の猟犬》。
赤い魔晶鉱(アルカニクス)の光を灯すその瞳がヴェルティリッシュを捉えた瞬間、警告音とともに戦闘開始の合図が鳴り響いた。
刹那、猟犬が地を蹴る。
鋼の脚が床を抉り、弾丸のごとき速度で迫る。空気を裂く咆哮。ヴェルティリッシュは無言のまま足を一歩滑らせ、魔物の突進を紙一重で回避する。
その軌道を読んでいたかのように、彼女の右腕がすでに動いていた。青白い魔力の軌跡を描きながら、アルカネイルが鋭く閃く。
ガンッ!
金属と金属がぶつかる鈍い音。
猟犬の装甲は分厚い。しかし、ヴェルティリッシュの腕はそれを物ともせず、一閃でその前脚を弾き飛ばした。
ガラスの向こう側、訓練室を見下ろす監視室では、数名の科学者たちがデータを解析しながら呟き合っていた。
「やはり、彼女の反応速度は人間の域を超えているな」 「人間を超越している……だが、これは想定通りだ」
彼らの後ろで、静かに腕を組んで佇む一人の女性。
ヘルメス卿。
鋭い紫色の瞳が、淡々と戦場を見つめている。その手には、たった今、騎士団員から手渡された封筒が握られていた。
彼女はゆっくりと封を切る。
その瞬間、訓練場の中央で、鋼鉄の猟犬が爆ぜるように粉砕された。
響く轟音。舞い散る破片。その中心に、ヴェルティリッシュはただ静かに立っていた。
ヘルメス卿は微かに口角を上げ、視線を手元の封筒へと移す。
「……任務だ」
監視室に備え付けられたマイクに手を伸ばし、彼女はヴェルティリッシュに向けて言葉を紡いだ。
「ヴェルティリッシュ、お前に新たな任務が下された」
その声が、訓練場のスピーカーから静かに響いた。
「北東部で魔物が大量発生した。詳細は北東司令部で説明があるけれど、あなたも討伐隊の一員として派遣されることになったの」
ヴェルティリッシュは無言で頷く。その態度にヘルメス卿は満足げに微笑んだ。
「準備ができたら出発しなさい。北東司令部にはあなたと共に戦う精鋭たちが集められている。戦場は針葉樹林の広がる森。今回はただの魔物ではないわ」
ヘルメス卿の言葉に、ヴェルティリッシュの目がわずかに鋭さを増す。
「詳細は向こうで。期待しているわよ」
通信が切れると、ヴェルティリッシュは静かにその場を後にした。次なる戦場へ向かうために。
【ノルヴェリカ帝国北東司令部】
冷たい鉄の扉が重々しく開かれると、ヴェルティリッシュの視界に広がったのは無機質な灰色の会議室だった。部屋の中央には長い金属製のテーブルが置かれ、その周囲に数名の軍人が座っていた。彼らは帝国北東司令部に所属するエリート軍人たちであり、それぞれが鍛え上げられた肉体と厳格な雰囲気を漂わせていた。
ヴェルティリッシュが部屋に入ると、一番奥の席に座る男が立ち上がった。彼は鋭い眼光を持つ壮年の軍人で、その胸にはいくつかの勲章が飾られている。
「お前がヴェルティリッシュか。帝国が誇る”冥刻の神機士”」
男は冷ややかな視線を向けながら言葉を続けた。
「私はこの北東司令部の作戦指揮官、グラウベ・リヒター少佐だ。今回の任務の概要はすでに聞いているだろうが、ここで詳細を伝える」
彼は机の上に広げられた作戦地図を指差した。地図には広大な針葉樹林が描かれ、その一帯に赤い印がいくつも記されていた。
「最近、このグリムヴァルトの森で異常発生した魔物群は、従来の魔物とは違う特徴を持っている。我々の報告によると、それらは動物と人工物、あるいは異なる生物同士が融合したキメラのような姿をしている。さらに、通常の魔物よりも知能が高く、戦術的な動きを見せる傾向がある。」
リヒター少佐はヴェルティリッシュと周囲の軍人を見渡しながら続けた。
「この魔物の出現は偶然ではない。何者かが意図的に放った”人工魔物”と考えられる。我々の任務は、この魔物どもを殲滅し、何者かの企みを阻止することにある」
一人の軍人が口を開いた。
「つまり、敵の実験場に突っ込むようなものですね」
リヒター少佐は冷静に頷いた。
「その通りだ。ゆえに、この作戦には帝国陸軍の精鋭が選ばれた。ヴェルティリッシュ、お前の力が今回の戦いの鍵となる」
ヴェルティリッシュは無言で少佐を見つめた。その紫色の瞳には感情の揺らぎはない。ただ、命令を遂行するための静かな覚悟だけが宿っていた。
「作戦は明朝開始する。それまでに装備を整え、十分に休息をとれ。以上だ」
グラウベ大佐の言葉を最後に、会議は終了した。ヴェルティリッシュは静かに頷き、部屋を後にした。
軍用トラックのボックスボディ内は、エンジン音とタイヤが砂利道を踏みしめる振動で満たされていた。
内部には帝国軍のエリート兵士たちが並んで座り、それぞれの装備を確認したり、武器を磨いたりしている。その中で、一人だけ異質な存在がいた。
ヴェルティリッシュ。
彼女は他の兵士たちと同じようにベルトで固定された椅子に座っていたが、背筋をまっすぐに伸ばし、表情は無機質そのものだった。
「お前が冥刻の神機士か?」
向かいの席に座る屈強な男が声をかけた。短く刈り込まれた金髪、傷のある顔立ち、肩には帝国北部軍のエンブレム。
「……そうだ」
ヴェルティリッシュは淡々と答えた。
その無機質な反応に、兵士たちが視線を交わす。
「噂には聞いてたが、まるで機械みてぇだな。お前、本当に生きてんのか?」
「……その問いに、答える必要があるか?」
ヴェルティリッシュは首を傾げることもなく、ただ静かに返した。男は少し面食らった表情を見せたが、すぐに笑って肩をすくめた。
「ハッ! まあいいさ。戦場じゃ腕が立つかどうかが全てだ。俺はライナー・グロスフェルド中尉。北部軍の特殊部隊所属だ。こいつらも同じく帝国が選りすぐった精鋭だぜ」
ライナーが顎をしゃくると、周囲の兵士たちも順に名を名乗った。だが、ヴェルティリッシュは特に何の反応も見せなかった。
「……興味がないってか? まあ、俺たちがいてもお前一人で十分なんじゃねぇのか?」
別の兵士が皮肉交じりに言った。
それに対してもヴェルティリッシュは微動だにしない。
「私の任務は魔物の殲滅。それ以上でも、それ以下でもない」
淡々と告げるその声には、感情の欠片もなかった。
兵士たちは少し沈黙したが、その後、ライナーが「面白ぇな」と小さく笑い、話題を変えた。
「今回の魔物……普通のやつとは違うらしいな。ヴァルドニアが絡んでるって噂もある」
「その可能性は高い」
ヴェルティリッシュは短く答え、目を閉じた。
魔導機肢(アルカネイル)の指先が僅かに震える。
軍用トラックはなおもグリムヴァルトの森へと進んでいく。その先に待つのは、未知なる脅威だった。
軍事トラックがガタつく地面を踏みしめながら、グリムヴァルトの森の入り口へと到着する。エンジンが止まると、車内の兵士たちが静かに息を整えた。
後部ハッチが開き、兵士たちは順に車外へ降り立つ。冷たい風が森の奥から流れ込み、木々のざわめきが静寂を打ち破る。
「ここがグリムヴァルトの森か……」
ライナーがぼそりと呟く。前方に広がるのは、背の高い針葉樹が天を突くように生い茂る薄暗い森。陽光は枝葉に遮られ、足元には湿った落ち葉と苔が広がっていた。
ヴェルティリッシュは無言のまま一歩前へと進み、森の奥へと視線を向ける。他の兵士たちも緊張した面持ちで銃を構え、警戒態勢を取った。
「行くぞ。目標は人工魔物の殲滅、油断するな」
隊長の号令とともに、彼らは森の奥へと歩を進めた。獣道のような細い道を進むにつれ、木々の密度は増し、辺りの視界がどんどん狭まっていく。湿った空気がまとわりつき、動物の気配が四方から漂ってくる。
すると、茂みの奥から突然、黒い影が飛び出した。
「ッ!」
ライナーが即座に銃を構え、引き金を引く。
乾いた銃声が森に響き渡り、小型の魔物が地面に転がる。全身を黒い毛で覆われた狼のような魔物。銃弾が頭部を貫通し、一瞬のうちに絶命した。
「これが……噂の人工魔物か?」
ライナーは慎重に死骸へと歩み寄り、銃を向けたまま観察する。だが、近づいてみると、それはただの野生の魔物に過ぎなかった。
「違うな……これはただの魔物だ」
その言葉を最後に、一瞬の静寂が訪れる。しかし次の瞬間、森の奥から低く不気味な唸り声が響いた。
枝葉の隙間から異形の影が次々と姿を現す。金属と肉が混ざり合ったような不気味な造形。機械仕掛けの四肢を持ち、鋭い鉤爪が光を反射する。
「……来たぞ!」
ヴェルティリッシュが冷静に言った。
人工魔物たちが、牙を剥いて兵士たちへと迫りくる――。
四足歩行の獣型、蛇のようにうねる体躯、鋼鉄の外殻を持つ者、異常に発達した四肢を備えたものなど、多様な形状を持つそれらは、まさしく自然界の産物ではない。どれもが金属と生物の融合した歪な姿をしており、金色のセンサーのような目が不気味に光っていた。
「くそっ、これが異形の魔物か……!」
ライナーが低く呟く。彼はすぐさまライフルを構え、一番近くの魔物に狙いを定めた。トリガーを引くと、銃声が森に響く。
鉛弾が魔物の額を貫いたかに思えたが、次の瞬間、弾丸は金属の外殻に弾かれた。まるで軽い衝撃を受けたかのように、魔物は微動だにしない。
「効いてない……だと?」
兵士たちの間に緊張が走る。
「散開しろ! 包囲されるぞ!」
隊長が叫ぶ。兵士たちは訓練通りの動きで散開し、それぞれの持ち場へと走る。だが、魔物たちの反応は速かった。四足の魔物が驚異的な跳躍力で一気に距離を詰め、前衛の兵士の一人に襲い掛かった。
「うわああっ!」
鋭い鉤爪が兵士の胸を裂く。返り血が宙を舞い、兵士は悲鳴とともに地面に崩れた。
「畜生め……!」
ライナーが即座に狙いを変え、仲間を襲った魔物の関節部を撃ち抜いた。今度は効果があったらしく、魔物が苦悶するように体を震わせる。
その隙を突き、ヴェルティリッシュが前に出た。彼女の紫の瞳が冷たく輝く。
「排除する」
淡々とした声とともに、彼女はアルカネイルを展開した。クロムナイト製の機械肢が唸りを上げ、赤色のアルカニクスが脈動する。
ヴェルティリッシュの動きは、兵士たちの誰よりも速かった。彼女は地を蹴り、一瞬で魔物の懐に飛び込む。そして、そのままをレイヴェルカ振り抜いた。
レイヴェルカが魔物の頭部を捕らえる。鋭い斬撃音とともに、魔物の頭部が地面にドスンと落ちた。
その間にも、別の魔物が襲い掛かる。蛇のような体躯を持つ個体が、ヴェルティリッシュに向かってその異様に長い尾を振るった。
彼女はそれを読んでいたかのように身を低くし、回避と同時にカウンターの蹴りを放つ。彼女の足が魔物の腹部にめり込み、鈍い炸裂音が響いた。魔物は吹き飛ばされ、木々を薙ぎ倒しながら転がる。
戦闘の合間、ヴェルティリッシュは魔物の構造を冷静に観察していた。金属の装甲と生体組織が異様に融合している。それだけでなく、まるで生物のように俊敏に動き、確実に攻撃を仕掛けてくる。
彼女の思考を遮るように、新たな敵が飛びかかる。鋭い爪が振り下ろされたが、ヴェルティリッシュは即座にレイヴェルカを掲げて受け止めた。
鋼鉄の爪とレイヴェルカが激突し、火花が散る。
「冥刻の神機士! 右だ!」
ライナーの声と同時に、彼女は反射的に体を捻った。寸前で巨大な顎が空を噛む。直後、ライナーの銃弾が飛び、魔物の側頭部に命中した。
「助かった」
「礼は後だ! まだ終わっちゃいねぇ!」
兵士たちは必死に戦っていた。銃弾を込め、避け、叫びながら応戦する。だが、人工魔物の圧倒的な耐久性と俊敏性に、少しずつ戦線は崩れつつあった。
そして――次の瞬間。
「くっ……!」
別の兵士が、一瞬の隙を突かれて魔物の牙に喉を裂かれた。彼の仲間が叫びながら駆け寄るが、すでに手遅れだった。
ヴェルティリッシュは一瞬、眉をひそめる。
「(……全滅する可能性もある)」
だが、それでも彼女は迷わなかった。
「……敵勢力、排除継続」
彼女はアルカネイルを最大出力にし、赤い魔力の奔流を解放した。
異形の存在たちは、人間が知る獣の形をしていながら、どこか歪で、禍々しい。狼のような獣の頭部に機械の義肢を持つもの。無数の目を蠢かせる鳥の骸のようなもの。巨体を支える四肢の関節がありえない方向へと捻じ曲がった熊のようなもの。いずれも自然界には存在しえない姿をしていた。
「来るぞ──ッ!」
ライナーの鋭い声と同時に、魔物の一体が閃光のような速さで跳びかかった。ヴェルティリッシュは反応するよりも先に指を引き金にかけた。
轟音と共にARX-19の魔弾が魔物の額を撃ち抜く。しかし、致命傷には至らなかった。肉と機械が絡み合った身体が、常識を超えた耐久力を持っていることを証明する。
次の瞬間、彼女は姿勢を低くし、魔物の攻撃をかわすと、そのままレイヴェルカを振り下ろす。魔剣の刃が一閃し、魔物の前脚が切断された。悲鳴とも金属音ともつかぬ声が森に響き、魔物は倒れ伏した。
「弾丸じゃダメなのか……!」
ライナーが悪態をつきながらも、ライフルを構え直し、別の魔物を狙撃する。だが、人工魔物は通常の弾では決定打にならず、傷を負いながらも執拗に迫ってくる。
ヴェルティリッシュはARX-19のマガジンを素早く交換しつつ、次の魔物に狙いを定めた。そして、一気に距離を詰める。
跳躍。
宙を舞うような一瞬の静寂。
着地と同時に魔剣が閃き、魔物の首を斬り飛ばした。
その鮮やかな動きに、兵士たちが一瞬息を呑む。しかし、戦闘はまだ終わらない。残る魔物たちが連携し、狩人のようにヴェルティリッシュたちを包囲しようとしていた。
「囲まれるぞ! 位置を変える!」
兵士たちは指示に従いながらも、圧倒的な力を持つ敵に焦りを見せ始める。そんな中、ヴェルティリッシュは冷静だった。
「問題ない、殲滅する。」
静かにそう告げると、彼女はARX-19の引き金を引き続けながら、さらなる魔物の群れに飛び込んでいった──。
ヴェルティリッシュのARX-19が火を噴く。鋭い轟音とともに、魔晶弾が人工魔物の体を貫いた。血を流さないそれらの体は、金属と肉が融合した異様な姿をしており、弾丸が炸裂するたびに火花を散らして崩れ落ちる。
「囲まれるな! 各自、間合いを確保しろ!」
ライナーが的確な指示を飛ばす。エリート兵たちは一瞬の動揺も見せず、次々と銃撃を放ち、人工魔物の怯ませていった。
ヴェルティリッシュは滑らかな動きでレイヴェルカを振るい、鋭い赤い軌跡が闇を切り裂いた。接近してきた狼型の魔物が、その一閃で真っ二つになる。彼女はすぐさま身を翻し、突撃してきた別の魔物の関節部分を狙って斬り込む。機械仕掛けの四肢が軋み、崩れ落ちた。
「クソッ、こいつらしぶといぞ!」
兵士の一人が悪態をつく。銃弾を浴びても動きを止めない個体が数体いた。ヴェルティリッシュはARX-19を構え直し、魔晶弾を一気に撃ち込む。赤い閃光が走り、装甲の隙間に弾丸が突き刺さった。内部の魔力回路が暴走し、魔物が爆発四散する。
やがて、最後の一体が倒れ、戦場に静寂が訪れた。
兵士たちは肩で息をしながら周囲を警戒する。生き残りはいない。戦闘は終わったかに見えた。
──だが。
「……待て、何か来る。」
ヴェルティリッシュが鋭く視線を向ける。森の奥から、地を揺るがす重い足音が響いてきた。兵士たちが身構える中、影が姿を現す。
それは、これまでの魔物とは比べ物にならない巨体を持つ存在だった。
青白い光を帯びた単眼が、不気味に森の闇の中で輝いていた。異形の巨人──身の丈三メートルを超える人工魔物、サイクロプスが現れたのだ。
「……次元が違うな。」
ライナーが低く呟く。
ヴェルティリッシュは無言でレイヴェルカを握り直し、敵を見据えた。
サイクロプスは人工的に作られた魔物でありながら、その筋肉質な体躯はまるで自然界に存在する獣のような迫力を持っている。だが、その異様な点は、中央に輝く青色の単眼だった。
「総員、援護射撃!ヴェルティリッシュを支援しろ!」
ライナーの指示が飛び、兵士たちは散開しながらサイクロプスへ一斉射撃を開始した。轟音とともに弾丸が巨体に食い込むが、その硬質な外皮には浅い傷しかつかない。
ヴェルティリッシュはその間にARX-19を連射しながら、サイクロプスの懐へと接近する。しかし、敵の反応は速かった。巨体とは思えぬ速度で腕を振り回し、大気を切り裂く轟音とともに地面を砕く。ヴェルティリッシュは間一髪で跳び退るが、その衝撃波によりバランスを崩しそうになる。
「……やはり、ただの巨体ではないな」
彼女は即座に体勢を立て直し、細身のレイヴェルカを引き抜いた。刃に魔力を込め、一閃。赤い光が走り、サイクロプスの腕に斬撃を浴びせる。しかし、刃は浅くしか食い込まず、致命傷には程遠い。
「クソッ……タフすぎるぞ!」
ライナーが叫びながら再び銃撃を加える。しかし、サイクロプスは動じることなく、その巨腕を振り上げて地面を強打した。地割れが走り、兵士の一人が足を取られ転倒する。その隙を狙い、サイクロプスは拳を振り下ろす──。
「させない……!」
ヴェルティリッシュは跳躍し、転倒した兵士のもとへ滑り込むように突進。彼の体を抱え込みながら側転するように回避し、直後にARX-19を構えて至近距離からサイクロプスの頭部へ向けて引き金を引いた。
銃声が響き、弾丸が一直線にサイクロプスの目を狙う。しかし──
「──ッ!」
サイクロプスはとっさに両腕を目の前にかざし、弾丸を受け止めた。まるでその部位を本能的に守るかのような動きだった。
ヴェルティリッシュは一瞬、息をのんだ。
「(……まさか)」
彼女の紫色の瞳が鋭く光る。次の瞬間、彼女の中で戦術のピースがはまった。
「そういうことか……!」
サイクロプスの弱点は──その青い目だ。
ヴェルティリッシュは剣を構え直し、戦局を変えるための新たな一手を考え始めた。
ヴェルティリッシュは素早く兵士たちに指示を飛ばした。
「グラップルガンを使って、サイクロプスの腕を拘束しろ」
兵士たちは頷き、散開しながらサイクロプスの両腕を狙う。巨大な怪物は怒り狂いながら腕を振り回し、何本もの木々を薙ぎ倒していく。しかし、ヴェルティリッシュと兵士たちは冷静に機を待っていた。
「今だ!」
ヴェルティリッシュの合図とともに、兵士たちは一斉にグラップルガンを撃ち込む。鋼鉄製のワイヤーがサイクロプスの両腕に絡みつき、強力な巻き取り機構によって締め上げられる。サイクロプスは雄叫びを上げながら抵抗するが、一瞬、動きが鈍った。
その刹那、ヴェルティリッシュは宙を舞った。
A RX-19のトリガーを引くと、連続した銃声が響き渡り、弾丸が一直線にサイクロプスの青い目を貫いた。怪物の巨体が痙攣し、凄まじい轟音とともに膝をつく。兵士たちはワイヤーを手放し、距離を取る。
しかし、サイクロプスはまだ息絶えていなかった。瀕死の状態ながらも、最後の力を振り絞って拳を振り下ろそうとする。
「終わりだ」
ヴェルティリッシュは地を蹴り、一気にサイクロプスの頭上へ跳躍した。レイヴェルカの刃が月光を浴びて鋭く煌めく。そして、落下と同時にその魔剣をサイクロプスの首へと突き立てた。
瞬間、サイクロプスの体が硬直し、そのまま地響きを立てながら崩れ落ちる。
静寂が訪れた。
ヴェルティリッシュは息を整えながら剣を引き抜く。兵士たちもようやく安堵の表情を見せた。
「……終わったか」
誰かが呟いた。だが、その戦いの様子を密かに観察していた影があったことに、彼らはまだ気づいていなかった——。
グリムヴァルトの森の奥深く、視界を遮る枝葉の影に紛れるようにして、一人の男が潜んでいた。赤の軍服の上から暗灰色の外套を羽織り、深く目深に被った軍帽の下から鋭い眼光が獲物を狙う猛禽のように戦場を見据えている。
彼の名はルディガー。ヴァルドニア諜報部に属するスパイであり、今回の戦闘を監視する任務を担っていた。
双眼鏡のレンズ越しに映るのは、倒れ伏したサイクロプスの巨体。青白い瞳は濁り、もはや動く気配はない。森の中に響いていた衝撃音や銃声も静まり、ノルヴェリカ帝国の兵士たちが緊張を解き始めていた。
ルディガーは森の外れにある岩陰に身を潜め、端末を操作しながら通信機を耳に当てた。端末の画面には、戦闘データを解析するバーが進行し、次々と数値が並んでいく。彼の目は愉快そうに細められ、口元には軽薄な笑みが浮かんでいる。
「おいおい、こりゃ面白いデータが取れたぜ。お偉いさんも聞いてんだろ? あんたらが大枚はたいて作った人工魔物ちゃんたち、帝国の兵士に蹴散らされちまったぜ?」
通信の向こうから、低く重々しい声が返ってくる。
「詳細を報告しろ」
「へいへい、わかってるって。まず、ウチのキメラちゃんたちはそこそこ善戦してたよ。でもよ、あの青髪の騎士──冥刻の神機士とかいうヤツ? あれが相手じゃ、さすがに分が悪いわな。速いし、強いし、銃も剣も使いやがる。おまけに、ほとんどダメージ受けてねぇ。普通の兵士は血みどろで戦ってんのに、あいつだけ涼しい顔ってワケだ」
「……サイクロプスはどうなった?」
「ああ、そいつもダメだったよ。結局、青い目が弱点だったみたいだな。部下どもがワイヤーで腕を拘束して、その隙に冥刻の神機士が目ン玉ぶち抜いたって感じだ。うちの開発部門、弱点をうまく隠す工夫でもしときゃよかったのによぉ」
ルディガーは肩をすくめるように言いながら、端末のデータを指でスクロールさせる。
「まあ、収穫はあったぜ。冥刻の神機士の戦闘パターン、それから帝国のエリート兵たちの戦法。特にワイヤー拘束のやり方は面白ぇな。こりゃ、今後の作戦の参考になりそうだぜ?」
「……データはすぐに送れ」
「へいへい、もう転送中だよ。ったく、もうちょい感謝ってもんがあってもいいと思うんだけどなぁ。俺がこうして命がけでデータ取ってやってんだぜ?」
通信の向こうは無言だったが、ルディガーは意に介さず笑みを深めた。
「ま、これで帝国さんたちが油断してくれるといいんだけどなぁ。今度はもうちょい楽しいモンを用意してやろうぜ?」
そう言いながら、彼は端末を閉じると、軽く首を鳴らして立ち上がる。ヴェルティリッシュたちが戦った戦場を一瞥した。
「さて、と。俺もそろそろ退散すっかな。次の計画、楽しみにしてるぜ、お偉いさん?」
森の影に溶け込むように、ルディガーの姿はすぐに消えた。
戦闘の余韻が静寂とともに森に満ちていた。黒煙が立ち上り、焦げた土と血の臭いが入り混じる。ヴェルティリッシュと生き残った兵士たちは、倒れた異形の魔物たちの死骸を調査していた。
ライナーがサイクロプスの死骸に近づき、長身の体を屈めながらその青い目を覗き込む。
「こいつ……普通の魔物とは違うな。こんな目の色をした魔物なんて、聞いたことがねえ」
ヴェルティリッシュも同じように感じていた。これまで討伐してきた魔物とは明らかに異質な存在。それに、サイクロプスだけではない。周囲に散らばる他の魔物──獣のような四足歩行の魔物、複数の動物が融合したような異形の姿をしたもの──それら全てにどこか統一された作為的な形状があった。
「ヴェルティリッシュ、この魔物の皮膚、なんか妙に硬くねえか?」
別の兵士が、倒れた獣型の魔物の皮膚にナイフを突き立てながら言う。
「普通の魔物だったら、もうちょっと柔らかいはずだが……こいつはまるで、金属でも混ざってるみてえな感触だ」
ヴェルティリッシュは膝をつき、その死骸をまじまじと見つめた。確かに妙だった。魔物の体表には細かな亀裂が走っており、その内側にはまるで機械の部品のような光沢のある繊維が露出している。
彼女は慎重にその表面を指でなぞった。ごくわずかに、魔力の残滓を感じる。だが、普通の魔物が持つような自然な魔力とは異なり、どこか無機質な、不自然な波長を持っていた。
「まさか……」
ふと、ヴェルティリッシュの脳裏にある仮説が浮かぶ。しかし、確証には至らない。今はそれを口に出すべきではないと、理性が警鐘を鳴らす。
「どうした?」
ライナーが眉をひそめる。
「……いや、気のせいかもしれない」
ヴェルティリッシュは立ち上がり、周囲を見渡した。
「これ以上の調査はここでは限界だ。死骸の一部を回収して、司令部で詳しく調べるべきだろう」
兵士たちは彼女の指示に従い、サイクロプスの目や獣型魔物の破片などを慎重に回収し始めた。その間も、ヴェルティリッシュの心の奥には、拭えぬ疑念が残り続けていた。
北東司令部に戻ったヴェルティリッシュたちは、戦闘での疲労を押し隠しながらリヒター少佐の執務室へと向かった。
執務室に入ると、リヒター少佐は書類に目を通していたが、彼らの気配を察知すると顔を上げた。
「帰還したか。報告を聞こう」
ヴェルティリッシュが一歩前に出て、淡々と報告を始める。
「グリムヴァルトの森にて、想定以上の魔物と遭遇。確認された個体の多くは、これまでに報告されている通常の魔物とは形状が異なっていた。加えて、通常の個体よりも戦闘能力が高く、兵士の犠牲も出ています」
リヒター少佐は眉をひそめた。
「形状が異なる? 詳しく説明しろ」
ヴェルティリッシュは端的に続ける。
「野生の魔物の他に、人工的に改造されたような個体を確認しました。異なる動物の特性を併せ持ち、通常ではあり得ない身体構造をしていました。また、最後に出現した巨躯の魔物は、一つ目の青い光を放つ目を持つサイクロプスでした」
リヒター少佐は机の上で指を組み、思案するように口を引き結んだ。
「……それが自然発生したものとは考えにくい、ということか?」
「可能性は低いと考えます」
その場にいたライナーが口を開いた。
「少佐、あれはどう考えても何者かの手が加えられたものです。まるで……」
言い淀むライナーを見て、リヒター少佐は片眉を上げる。
「まるで?」
「まるで兵器のようでした」
室内に一瞬の沈黙が落ちる。
リヒター少佐は深く息を吐き、椅子の背もたれに身を預けた。
「……これが偶然なのか、それとも意図的なものか。慎重に調べる必要がありそうだな」
「追加の調査を要請します」
「わかっている。こちらでも解析班を動かそう。お前たちは休め。補給と整備を済ませておけ」
ヴェルティリッシュたちは一礼し、執務室を後にした。
リヒター少佐は残された報告書に目を落としながら、静かに呟いた。
「……これは、戦争の新たな局面かもしれんな」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます