冥刻の神機士

山神賢太郎

プロローグ

 【ノルヴェリカ帝国カール・ノルウェイン州ヴィクター・アシュフォード元帥の執務室】

 帝国の高官たちが集うこの部屋で、一人の男が報告を終えると、重厚な机の向こうから穏やかな声が返ってきた。

「つまり、街の一角に魔物が潜んでいると?」

 元帥の言葉に、レオンハルト・ブラックモア大佐は深く頷いた。

「ええ、すでに市民が何人か襲われています。目撃情報によれば、黒い毛並みと青黒い鬣を持つ獣……犬型の魔物のようだとか。単なる獣ではなく、魔術的な力によって強化されている可能性があります」

 アシュフォード元帥は椅子の背にもたれかかり、思案するように天井を仰いだ。そして、口元に微笑を浮かべながら言った。

「すでにヘルメス卿に討伐任務は出してある。彼女がヴェルティリッシュを任命するだろう」

 ブラックモア大佐の表情が僅かに動く。

「……冥刻の神機士、ですか」

「彼女ならば確実に仕留めるだろう。それに、今回の件は単なる魔物の暴走ではなく、人為的な関与も疑われる。術者がいる可能性もあるから、捕縛の指示も出しているよ」

 ブラックモア大佐は腕を組み、少し考え込んだ。彼はヴェルティリッシュの実力を知っている。だが同時に、彼女が“普通”の人間ではないことも。

「ヴェルティリッシュなら問題はないでしょう。しかし、万が一のことがあれば、私も出ます」

「おやおや、大佐が直々に? それは頼もしいね。だが、彼女はそう簡単にやられる存在ではない。君も知っているだろう?」

 ブラックモア大佐は静かに目を閉じると、短く息を吐いた。

「……ええ、承知しています」


 夜の街。淡い月明かりが石畳を照らす。

 ヴェルティリッシュは音もなく屋根の上を駆け、黒い影を追っていた。風を切る音。遠くで犬の遠吠えが聞こえる。

 彼女の右手には黒銀の銃──《ARX-19》。

 左手には細身の魔剣──《レイヴェルカ》。

 目の前を疾走する巨大な影──魔物。

 その動きには奇妙な秩序があった。獣の本能のままに襲いかかるのではなく、まるで誘導するように彼女を導いている。

「……誘っているのか?」

 ヴェルティリッシュは警戒を強めた。しかし、誘いに乗るしかない。狭い路地へと足を踏み入れた瞬間──

 左右から飛び出す二つの影。

「囲むつもりか」

 三体の魔物が連携し、包囲を形成する。先陣の魔物が注意を引き、左右の魔物が逃げ道を塞ぐ。統率された動き──まるで指揮官の指示を受けた兵士のよう。

 ヴェルティリッシュは銃口を正面の魔物に向けた。

 咆哮。

 三体同時に動き出す。

 ヴェルティリッシュは瞬時に跳躍し、ARX-19を連射。赤い軌跡を描く魔弾が正面の魔物の肩を撃ち抜くも、それすら計算済みかのように他の二体がフォローに回る。

 側面から襲いかかる牙。

 彼女はレイヴェルカを振るい、鋼の閃光が魔物の前足を断つ。しかし、それでも動きを止めない。

 背後の魔物が飛びかかる。

 ヴェルティリッシュは地面を蹴って回転し、逆手で剣を突き上げた。

「……一体」

 魔物が青い霧となって崩れ落ちる。

 残る二体が間合いを詰める。その動きに迷いはない。統率された狩りを続けるかのように。

 ヴェルティリッシュは息を整え、銃を構えた。

「なら、片付けるだけだ」

 次の瞬間、地面を蹴って疾走。

 銃弾が一体の額を貫く。動きを止めた瞬間、レイヴェルカが喉を断ち切った。

「二体」

 最後の一体。

 咆哮し、最後の力で跳躍する。

 ヴェルティリッシュは迎撃せず、身を翻して魔物の背に飛び乗る。

 銃口を首筋に押し当て、静かに囁いた。

「終わりだ」

 引き金を引く。

 魔物は短く悲鳴を上げ、地面に崩れ落ちた。

「……三体」

 すると、魔物の体が青い霧となって溶けるように消えていく。その場に残ったのは、青い魔石だった。

 ヴェルティリッシュはその魔石を拾い上げ、僅かに眉をひそめる。

「……ヴァルドニアの植民地でよく採れる魔石、か」

 彼女の視線が周囲を探る。すると、物陰に潜んでいた人影──魔物を操っていた術者が、一瞬だけ彼女を睨みつけると踵を返して逃走を図った。

「無駄だ」

 ヴェルティリッシュは静かに呟き、瞬時に間合いを詰める。逃げる術者の肩を捉え、一瞬のうちに地面に叩きつけた。

「……さて、話してもらおうか」

 術者は苦しげに息を整えながら、ヴェルティリッシュを睨みつける。

「誰が話すか……」

 ヴァルドニア訛りのノルヴェリカ語。その言葉と同時に、彼は歯を食いしばった。

 次の瞬間、体が痙攣し、崩れ落ちる。

「毒か……」

 夜風が彼女を纏う。


 明朝、ブラックモア大佐とその部下たちが現場に駆けつけた。

 彼は青い魔石と術者の死体が残る地面を見下ろし、わずかに眉をひそめる。

 やがて視線を上げ、ヴェルティリッシュの姿を捉えた。

 彼女の義手──アルカネイル。

 魔導と機械の融合によって生まれた特殊義肢。銀色のクロムナイトが表面を覆い、その内部には赤く脈動する魔晶鉱──アルカニクスが埋め込まれている。

 通常の義肢とは異なり、ただの代用品ではない。それは、戦闘のために作られた“兵器”だった。

 ブラックモア大佐はその無機質な銀色の腕を見つめ、静かに思考を巡らせた。

「ブラックモア大佐、ご苦労様です。魔物は討伐しましたが、残念ながら術者は捕縛することができませんでした。おそらく毒で自害したかと……」

 感情がなく話す彼女にブラックモア大佐は寒気がした。

「そうか……、元帥には報告しておく、君はヘルメス卿のところに戻って報告してきなさい」

「了解しました」

 彼女は素早く敬礼した。

「……毒物の識別はどうだ?」

 傍らに控えていたセリーナ・ハワード大尉が答える。

「監察医の検死によれば、ヴァルドニア製の毒物で自害したとのことです」

 やはり──。

 これは、単なる魔物の討伐ではない。

 もっと大きな何かが、裏にある。

 ブラックモア大佐は頭を抱えた。

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