もし本能寺の変に信長が死んだが、信忠が逃げて来たら、どうなる?との話

@kinoshita1992

第一章 信孝切腹(一) 

 天正十六年九月(同年十月に「修平」と改元)、織田権中納言信孝は申し開き出来ないまま、伏見御所にある将軍織田信忠の寵臣、梶原忠正の屋敷である勘解由島にて切腹した。

 信孝と昵懇である公卿である水無瀬親具と薄諸光も叱責を受け、後者は紅粉屋公事、牛公事、長坂口黒木公事、青花公事などの権益を剝奪され没落した。

 この事件は信忠の家臣太田和泉守牛一の記録には「信孝公領国悪政、かつ悪心あり」と記したので、これは前年の肥後国人一揆の影響と言われている。

 「殿」

 同日深夜、端正の顔立ちを持つ羽柴秀吉の側近――石田佐吉三成は普請中の福崎城の仮御殿の襖を開いて、その中の主に声をかけた。

 「お知らせにより、肥後の中納言様はもう腹を召されたとの由」

 「そうか」

 声の主——筑前・筑後・東肥前二郡・肥後大半を有する太守、福崎城の城主、三位宰相中将羽柴筑前守秀吉は報告に対しそう答えた。まるでこんな事はいつか起こるという声だった。

 「あの坊ちゃん、時の流れを見通していなかったのう……」

 「誠に、そうでございますなぁ」

 「山崎の時の誼で、わしゃは助けようと思ったのに……あの様子もどうにもならぬ」

 秀吉と信孝は山崎の戦いに共に明智光秀と戦ったので、本能寺の変後の織田政権内部では、この二人も昵懇の仲と思われている。

 「何でそうなってしまうだろう……」

 秀吉は意味深の声で呟いた。


 織田信孝は前の天下人、織田前右大臣信長の三男である。幼名は三七と言う。

母は信長の側室である坂氏。坂氏は熱田神宮大神官の家系であり、地位的には信長の実質の正室である生駒氏より低い。一説では、信孝は信長次男である信雄より早く生まれたが、通報が遅くなるので三男になってしまったという話もある。

 「賢き男子でござる」

 信孝の叔父、岡本良勝はそう信長へそう伝えた。甥の信孝が取り立てられ、あわよくば織田の世子になってくれればと思っていた。

 「それは良いが、奇妙と三介のような扱いはいけぬ」

 家督相続した争いが見舞われたのか、信長は早々嫡男の信忠が後継者とする方針を決まったから、同腹の次男と異腹の三男の扱いは早くから異なり、格差を生み出した。

 「次男、三男なら家臣にせよ」

 宣教師の記録には、岐阜城へ信長を訪ねた時に、奇妙丸(信忠)はもう雑用をやる必要がなく、しかも城の奥に弟の信雄と詰めて、特別な待遇を受けた。

 「俺も劣る事がないのに」

 その扱いのせいか、信孝は兄弟たちへ競争心を燃えていた。例え後継になれなくても、見た目が愚かな信雄を負けることがない。

 信孝は確かに優れている。彼は伊勢の雲林院松軒から新当流を学び、その奥義の「一の太刀」まで習得していた。。しかも彼はキリスト教に理解を示して、神父を自分の所領を招こうとして、自身も切支丹になろうという話も上ったほどである。そのために、贔屓目で見ているのかあるいは本当に才能があるのか、有名な宣教師であるルイス.フロイスは信孝を「佐久間殿(信盛)の外には、五畿内に於いて此の如く善き教育を受けた人を見たことがない」、「思慮あり、諸人に対して礼儀正しく、又大なる勇士である」と高く評価した。

 しかし、その評価に反して、信孝は小身の身代である。

 永禄十一年二月、三七は実父信長の伊勢侵攻戦の過程で、降伏した北伊勢の神戸城城主、神戸具盛の養子に送り込まれた。

 (俺は織田の人間ではなくなる)

 養子入りに信孝はそう思ったのが、信孝と一緒に神戸氏入りを付いてきた岡本良勝はそう思わなかった。

 「三介様もそうでございましょう」

 翌年の北畠攻めに際し、次男の茶筅丸(後信雄)も北畠具教の養嗣子に入っている。

 「これは殿の策でございます」

 次男以下の男子は他家の養子として送るが、信長は後にそれらの家を自らの一門衆を掌握し、息子たちで他家の乗っ取りを狙っている。と岡本良勝はそう説明した。

 「若様は大事な役目を担っておりますぞ」

 自分に付いている老臣の言葉を聞くと、落ち込んでいる信孝の顔に喜色が現れた。

「そうか、なるほど!ならば父上の期待を応えないといけぬのう!」

 解説を受けた信孝は顔面に喜色を浮かべ、もし役目を果たしたならば、父からさらなる取り立てが見込めるのではとこの時よぎっていた。

しかし、その様子を眺める岡本良勝の考えは違った。

 (恐らく殿は、奇妙様以外の息子を跡目をするつもりはありますまい)

 信長は兄弟と息子を伊勢の豪族を次々送り込むのは、織田家内の継承権は一本化した故、と良勝は思っている。

 奇妙丸様の地位を邪魔しないように、他の息子は他家を送るしかない。

(若様は単純すぎる)

 恐らく信孝は表面の原因しか気にしていないだろう。

 今後何かやばい事が起こらないといいなぁ、と良勝を思っている。

 自分は信孝の家老だが、家ともに信孝と沈むのも御免蒙るので、粛々と役目をやる方がいいと思います。

 織田の勢力が拡大している、今後は『織田家を逆らわない方がいい、と良勝は心にそう決めた。


 元亀元年頃より、信孝は養父の具盛と不仲となり、信長は具盛を伊勢沢城に強制的に隠居させた。恐らく、信孝を継承させる言い掛かりであろう。

 その一年後、信孝は神戸氏の家督を継いだが、その具盛を強制隠居に不満の家臣が反発が起こり、信孝は自分を反対する家臣を粛清し、高岡城主の家老・山路弾正を切腹させ、120人の家臣を追放した。

 「見事なり、戦国大名の気風はそうすべし」

 この事で信長は信孝を褒めたが、神戸氏の家臣団は二割の粛清となり、岡本良勝、坂仙斎、三宅権右衛門らの尾張家臣団で主導権を握る格好となった。信孝家臣団の結束は乏しくならざるを得ず、後々禍根となる。

 信孝は領地である神戸城周辺に神戸検地と呼ばれる検地を行い、城下に楽市楽座、伝馬制を敷くなど領地経営に力を注いだ。神戸城下は伊勢参宮街道の宿場として大いに栄え、内政への才能を示した。

 「自領に善政を敷いたら、父上はもっと自分の事を引き立てるのでは?」と信孝を思っていた。

 だが、その領地は伊勢河曲郡・鈴鹿郡の二郡の内のみで、身代は僅か五万石ほどだった。

 兄信忠どころが、次兄の信雄の南伊勢五郡さえ遠く及ばないのである。

 「三七様、評判が良き武者にござる」

 この頃、信孝は岐阜城に元服したので、その烏帽子親は織田家の筆頭家老である柴田勝家を務めた。その柴田勝家はしばしば信長の御前にて信孝を評価していた。恐らく自分が織田氏と親縁関係が薄いので、織田家中に味方を増やしたいのだろう。

 「それは然り。だが三七は齢がまだ若い、もっと功績を積み重ねないといけぬ」

 聞き入ったのか分かりませんが、信長は自分の子でも実力で出世すると考えた。


 天正二年、信長は天下人として歩み始めた時に、元亀元年から敵方たる一向門徒が陣取る伊勢長島へ、三度攻撃を仕掛けた。

 長島一向一揆の門徒たちは結束が強い。かつ長島という地は、木曽川・揖斐川・長良川の河口付近にあるバラバラの小さな島で構成する輪中であり、地の利を有するので、元亀二年から長島願証寺は石山本願寺の法主顕如の下知を受け、織田氏に対して蜂起したと、粘り強く戦っている。

 この長島一向一揆に一門と老臣はじめ多くの士卒を失った信長は、今度こそ門徒達を殲滅するようにという心意気で、織田領全域を動員して、総勢八万とも言われる兵を集めて、陸と海両方面からの長島へ侵攻した。

 この時、信孝も市江口の大将を務める兄信忠と次兄北畠信意(信雄)と共に出陣。これは信孝の初陣と言われる。

 「後味が悪い合戦じゃ」

 戦場から帰った信孝はそう述懐しながら、血汚まみれな鎧を脱いだ。

 信孝と信雄の役目は一揆方の大鳥居城と篠橋城を攻撃する事である。寄せ手は大鉄砲で城を砲撃して、一揆方が降伏と申し出て来たが、弟たちさえ門徒達に討ち死した信長は断固許さず、兵糧攻めを続けた。しかももう一つの篠橋城は城を明け渡して共に長島城へ攻めると申し出したが、篠橋城門徒達は長島へ向かう途中に直接長島城へ逃げ込んだ。

 「それでも良い、そのまま彼奴らを餓死にせよ」

 信長の命令は極めて冷徹だった。

 「彼らを何とか救い手立てはないのか……?」

 そんな時に、一手の大将である兄信忠はそう言った。

 「馬鹿を言わないでくれ。兄上。ここにいる叔父上達でも殺した憎き門徒兵ぞ」

 「それは分かっている」

 信孝の指摘に、信忠はそう言い返した。

 「だが、儂は心配しておる。もしそのまま根切ばかりが続くと、我らと敵対する大名や寺社達は、最後の一人まで死ぬ前に、抵抗し続くかな……と」

 「それならば上出来じゃ。最後の一人まで討ち果たし、その人らの所領を織田領にしようじゃないか?」

 「それも道理よのう……」

 信忠はそれに対して相変わらず釈然としない顔をしている。

 だが、その甘い思考は後に仇になった。


 九月二十九日、長い籠城で食糧が尽き、飢えぶり耐え難い長島の門徒たちは降伏と申した。信長は降伏を受け入れる振りをしたが、実は船で城から出る門徒たちの回りに、兵たちを伏せた。

「あの者達は我々を苦しめた一揆衆じゃ。約束など無用!討ち果せ!」

 織田軍は約束を反故にし、鉄砲で門徒たちを射殺し、あるいは伏兵で切り伏せた。長島は一瞬で生き地獄となり、門徒たちを統率する顕忍と下間頼旦も討たれた。

 だが、生き地獄と化したのは門徒たちだけではない。

 約束が反故した事を知った門徒たちの、織田への怒りは極致に達していた。彼らは老若男女問わず悉く死に狂い、死を恐れずに裸のままで織田軍の手薄い所へ捨て身の反撃を仕掛けた。ただの八百人の門徒たちの不意打ちで、織田一門衆の信長の庶兄――織田信広、弟の織田秀成、藤左衛門家の織田信直などが戦死した。

 「儂の迂闊じゃ……」

 信忠はそう後悔していたが、帰って来た信孝はこれで別の考えが出たらしい。

 「兄上が織田家を背負うのは、些か力不足と思うのじゃ……」

 信孝はそう呟いだ。

 (まさか若様は奇妙丸様と家督を争うつもりか!?)

 これは危険すぎる。信忠は信長が大変寵愛した生駒殿と産んだ子であり、それにより嫡男と位置付けられている。その既定路線を壊すのは、織田へ反旗を翻すと等しい、と傍らに控える岡本良勝は思わざるを得なかった。

 だが、そう考えているのは信孝だけではない。

 「そうでござる。三七様こそ、織田氏の当主と相応しいお方と存じます」

 「いざとなる時に、我々は力になります故、ご心配には及びません!」

 信孝の乳兄弟の幸田彦右衛門孝之と異父弟――小島兵部少輔も信孝をおだて上げていた。

 「おお!それは頼もしい」

 「そもそも次男、三男に格差を作った殿はいかがと思いまする。殿自身は家臣たちの次男・三男を馬廻衆として召し抱え、前田又左衛門殿など四男の身ながら殿のご下知で前田の家督となられたのですぞ!」

 (それはあの時の殿が、家中の支持がまるでない故の指し手なのじゃぞ!)

 隣の岡本良勝は孝之の言葉に対して、「此度と訳が違う!」と内心批判した。

 「殿様の出発点、そして家臣たちを駆り出される原動力は『下剋上』である。上位の人間を打倒し、下の人間を取り立て、彼らを功績を立てせて、その功名と相応の一職を与えるこそ織田家の仕来りでございます。若様は奇妙様に勝る武勲を飾れば、殿様も跡目の事を考え直していただけるはずにござる」

 異父弟小島兵部少輔の言葉に、信孝に激しく頷いたが、岡本良勝はそれを「彼奴は何を言っておるのじゃ!」としか考えられなかった。

 (兄弟に下剋上の心を持つのは、お家騒動の元になるしかないのじゃ!)

 後で妹(信孝と小島の母)をしっかり叱らないと……

 「お主もそう思っているであろう?平吉郎?」

 突然名を呼ばれて、良勝はびっくりしましたが、頭を上げると、信孝はご機嫌な顔で良勝を見ている。

「そ……それは、二人方の物言いは最もでございますが、斯様な一大事は、家中に人脈を作り、さらに功績を上げたから、ゆくゆく御思案下さる方、より得策かと……」

 良勝がそう言った。

 「その万事が整える前に、若様は兄を敬って、そのような軽挙と言葉を控える方が良いかと……」

 だが、この諌言の代わりは、信孝と孝之の冷たい目である。

 「なんだよ、平吉郎。その素っ気ない答えは?」

 「爺は肝が小さいのう」

 「家名ばかり守ると、出世の機会を失うぞ」

 剣呑ぞ……こんな考えこそ剣呑ぞ……こんな考えはいつかお家騒動の元にならないように、と岡本良勝は心にそう願ったばかりでした。


 「春の夜の……」

 信孝が不満と感じるのは、長兄信忠だけではなかった。

 「潮の落つる暁ならば修羅の時になるべし其時は。我が名や名のらんたとひ名のらずとも名のるとも。義経の浮世の夢ばし覚まし給ふなよ夢ばしさまし給ふなよ……」

 能舞台に朝倉尉の面を付けている漁師のシテが舞いている。囃子の高揚の声が上がって、この勇壮の声調こそは修羅能の特徴と思われるが、今の信孝はうるさいと感じていた。

 「今日の修羅の敵は誰そ。なに能登の守教経とや。あらものものしや。手なみは知りぬ。思ひぞいづる壇の浦の……」

 原因は黒垂を着て、梨子打烏帽子を被り、金の縫箔で藤花と笹竜胆の紋をあしらう法被を肩脱ぎして、平太の面で太刀を舞いているシテと、信孝は思います。シテの舞は見事である、所作は完璧で、優美で義経を戦う姿を表現しているが、なぜか気に食わない。

 間抜けだった。シテの舞は美しいのだが、覇気がない、武人の気風も感じないので、どんだけ美しいくても名将――源九郎判官義経と思えない。

 「其船軍今は早。其船軍今は早……」

 「いえ、皆の衆、大変苦労を掛けたなぁ」

 能が終わったと、シテが面を取り、やや長い、気楽な顔が現れて笑って、観客の諸将を労いの言葉をかけた。

 「いえいえ、中将様家中の乱事を我らが鎮めるのはこれ上ない誉でございます!」

 「これで何度も上様と楯突く北畠の一族を一掃したぞ!」

 「ははは、そうじゃ!そうじゃ!皆の衆のおかげじゃ!」

 声の主、今の北畠の御本所――北畠信意(織田信雄)は大に笑った。

 天正四年十一月、信意は隠居の北畠不智斎具教が住む三瀬御所に大勢の家臣を連れて、具教はじめ主だった北畠一族を殺した。同じ頃、信意の居城田丸城に、日置大膳亮・土方雄久・森雄秀・津田一安・足助十兵衛尉・立木久内ら家臣が集まり、城へ招いた北畠一族の長野具藤、北畠親成、坂内具義を刺し殺した。

 この一連の粛清は、永禄十二年の大河内攻め以来の決算というべきもので、織田軍は北畠討伐をしようとしたが、大河内城で北畠氏は予想外で抵抗したので、仕方なく将軍足利義昭の命令で北畠具教と『和議』の形で決着。次男の茶筅丸を「養子」の形で証人に入れかろうじて勝ちを拾ったのだ。しかし、北畠氏はその後も織田氏へ不服従の態度を取り、特に元亀四年三月に具教は西上作戦をしていた武田信玄の陣に鳥屋尾満栄を遣わせ、信玄上洛の際には船を出して協力するという密約を結んだ程である。信長と対立する足利義昭と通信など、不審の振舞がこれ以外も多々あった。

この事は天正四年に織田信長に知られた。その前年、信長は朝廷から従三位、権大納言・右近衛大将の官職を賜り、天下人の地位を朝廷に公認されたので、北畠氏との上下関係が逆転して、具教の子、具房を隠居へ追い込み、自分の子信意を北畠氏の当主の座をしたが、織田家臣と北畠家臣の対立と武田通敵の一件で、信長が子の信意へ北畠氏粛清を下知を下したのだった。

 一説によると、具教は弟の木造具政などに嫌われて、好悪が激しい気性の人からこそこの災いを招いたと言われる。


 ※許されたのは信意の養父である「大腹御所」という渾名がある北畠具房のみ、滝川一益に預けられて伊勢長島城に幽閉された。しかし、この粛清から逃げた北畠政成らの北畠残党が多気の霧山城に籠城した、信意の助太刀として信長は信孝と羽柴秀吉、関盛信ら諸将の一万五千の兵を差し向けて、十二月四日に攻め立てて、政成らを自害させた。


 (何で俺が兄上の尻拭かなければならないのじゃ)

 信孝はそれを快く思わなかった。

 昔から、信孝は信意を見下ろしている。兄弟の間の対抗意識か、あるいはただ彼の顔を気に入らないのか?城に一緒に暮らしたからしょっちゅう喧嘩しており、いつも兄、信忠が二人を宥めていた。

 信孝はもう一度得意げな様子の信意の顔を見た。

 瓜顔の信忠と痩せ顔の自分と違って、信意は父信長と同じの長い顔、大きな鼻と高い声を持っている。見た目だけからすれば、彼は兄弟の中に一番信長と似ている人だと言えるだろう。しかし、間抜けだ。信意は父信長のような英気を感じられない故、顔が嬉しさで伸びるとより間抜けに見えてしまうのである。

 けど、あいつは太平記にでも出る名門――北畠国司家の御本所である。

 (父上は実は実力ではなく、腹で取り立てる人を選ぶのか?)

 そう思うと、僅か五万石知行の自分は不快に苛まれる。と信孝は感じている。

 「儂は才知はそなたら劣る故、皆の支えをお願いしたいのじゃ!」

 (それを知ってるなら人へのそんな迷惑をかけるな!)

 と信意の発言を聞いた信孝は心にそう罵った。

 「へぇ!三介様は上様の大事な息子、今は織田家家督城介様を支える同腹の弟でもあり、織田家の重要な藩屛であられまする。我が家臣は何があっても、命を投げうる所存でございます!」

 そこへ、へこへこして首を垂れている、皺った顔を持つが、派手な色々縅具足と色鮮やかな狒々緋陣羽織を着ている小男は彼が特徴の大声で、幇間のような手を擦りながら信意の機嫌を取る家臣は信孝をさらに不快を持っている。

 羽柴筑前守秀吉。父の下男から取り立てる、鼠のような走り回っている醜男である。べしゃりとおべっかで出世する男と思ったが、案外才覚があり、長年織田を苦しめた浅井を滅んだ戦功で、今は近江三郡を持つ鼠になっている。

 幼い頃に会ったが、滅多に見たことがないから、あの驚異の出世で、信孝は秀吉へ不気味と感じ、見た時に不機嫌になる。

 「筑前守」

 能が終わると、信孝は帰る秀吉を呼び止めた。

 「おや、三七様じゃないか?わしゃに何か御用がおりますか?」

 秀吉は特徴ある愛嬌溢れる笑顔で、下人のように手を擦りながら振り返った。

 「わしゃは出来ることがあれば何でもやります」

 「兄上……北畠殿は、まこと大名職の家督にふさわしいか?」

 「はて?」

 秀吉の疑問に、信孝はそう言った。

  「北畠殿のやり方が下手すぎじゃ。もし彼奴がもっと手際よければ、謀反者を討ち漏らすはずがなかろう。そもそも、こんな事は事前に手を下せばいいのに……あのうつけは北畠のような大領を任せるわけにはいか」

 信孝は言い募っている。

 「城介の兄上も、長島の一揆にあんなに一門衆を死なせて……彼らは才知が劣り、武勇も足りないと思う。彼ら本当に父上の子なのか?と、儂は時々思っている……」

 「そうですか?わしゃは皆、上様の一部を受け継がれていると思いますぞ」

 「生ぬるい答えじゃの」

 「上様も最初あんな格好ではございませぬ。皆の成長、我が家臣たちは楽しみにしていますぞ」

 家臣の分際でこの上からの目線は気に入らないなぁ。慈しむ父のように信孝を見ている秀吉を見ていると、信孝は嫌な気持ちが湧いて来た。

 信孝は秀吉を睨んでいる。

 「筑前守、お前も自分の才覚で出世するのじゃろう?ならば、父上が掲げる、皆の出世を燃やせる『下剋上』の波は、儂も乗っても良いではないか?」

 それを聞いたところ、秀吉の笑顔はいきなり消えた。

 「どういうつもりでございますか?三七様?」

 「だから、力不足の兄上を引きお……」

 話は終わらない所に、信孝は背中が鳥肌が立てる悪寒が感じ、えも言えぬ圧で言葉が喉に引っかかって、上手く声が出て来れなかった。

 「三七様、そのような考えはお控えあそばせ」

 秀吉の声から感情が消え、その異様な威圧感で信孝は直視できず、目を必死に逸らしている。

 「今の城介様はもう上様から織田家の家督を譲ったが、織田の分国も今でも安定していない故、外は武田など、内にも本願寺が獅子体中の虫になっている。もし三七様は今余計な真似をすれば、織田家は乱れて、外敵に侵入の機会を与えるのみでございます」

 足音が聞こえる。秀吉が近づいて来たと分かったが、信孝は身動きが取れなくなった。

 金縛りに遭ったみたいに。

 恐い、筑前守はそれほど恐ろしい人なのか?

 (筑前守の……その感じは……)

 「皆もそれぞれの考えがおるでござろう?だが頭の中に考えているだけは良いが、いっざ動いたら、謀反者になる。そうなれば、一門衆でも、誰でも支えませぬぞ」

信長と会うみたい。信孝はそう思った時、強い圧が突然消えてしまった。

 「お分かりでございますか?三七様」

 ポン。頭が回ると、満面の笑みで肩を叩いたのは、いつもの羽柴秀吉でした。

 「は……はい」

 狼狽えた信孝は思わずそう応じた。

 「それでよいでござる。三七様は聡明で武勇も名高い、出世したい功名心も揃える。ならば、いつかきっと『機会』が来ると、わしゃは信じております」

 秀吉は言った。

 「その『時』の来る前に、どうか御兄弟衆たちと仲良くしてくださいませ」

 「はい……」

 圧された信孝はこれしか答えなかった。

 「そして、もう一つ忠告がおる。三七様、大名たる者は必要なのは『強さ』だけではない、『弱さ』も必要じゃ」

 その点から、城介様と北畠様はおみぇより上手いぞ。と、秀吉は言った。

 「それはどういう意味じゃ?」

 大名とは人より優れ、強い人ではないか?

 「それはご自分で考えくださいませ」

 飄々と言う秀吉は手を振りながらそのまま訳が分からない信孝は残して行った。

 「何なんだよ……筑前は……」

 彼はそんな問答をする人か……?信孝はそのまま立って、長く経ってもその答えを出しませんでした。


 秀吉からの忠告は効くかどうかは分かりませんが、あれからの信孝は大人しくなった。

 天正四年十一月、彼は従五位下侍従に叙任された。

 天正六年に兄信忠に従い大阪へ出陣。さらに播磨へ別所長治が中国攻めとしている秀吉へ反旗を翻した時に、信忠と共に播磨へ出陣。神吉城攻めでは足軽と先を争って勇敢に戦うほどであった。

 「侍従殿は頼りに候」

 「それは、ありがたき幸せの御言葉……」

 信忠から褒められた時に、信孝は感謝したが、裏腹に本音ではなかった。

 (今は挙兵しても勢力が小さい。しかも家臣たちの協力も得られなぬ以上、武功を立て、名声を上げ、時を伺う方が良い)

 認めたくないが、秀吉が田丸城にて指摘したことは正しい。信孝はそう思わざるを得なかった。

 彼は兄弟との仲を維持し、信忠と信意と一緒に能を演じた事があり。

 この頃の信孝は連枝衆として、兎に角多忙だった。

 彼は名義上連枝衆として信忠の軍団に所属したが、父信長の召喚で摂津の荒木村重が謀反した時に有岡城の戦いも赴き、天正八年から天下の所司代――村井貞勝を補佐してしばしば在京し、禁裏の交渉役も務めた。この役目を上手く果たしたらしく、本願寺がこの年、大坂へ退去した時に、信孝は上京した信長に随行、陣所に禁中より薫物を賜った。

 使えるやつと思われるが、それでも信孝の所領も増えていなかった、織田家中の序列も高くない。

 天正九年二月二十八日に内裏東側で行う、世に広く知られる「京都御馬揃え」は、出場する織田一門の武将には信忠、北畠信意、長野信包、信孝、津田信澄、織田長益で、叔父の信包でも信孝の上に立った。

 率いた人数も信忠が八十騎、信雄が三十騎、信包、信孝、信澄が僅か十騎で、明確の格差があります。

 そんな信孝は、天正十年に転機を迎えた。

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